「お久し振りでした」
「……そうね」
同じ職場に勤めるもの同士としては、いささかおかしな挨拶と言わざるを得まい。
だが、実際のところ二人が直接顔を合わせたのは一月振りだった。
忙しかったこともある。
二人が会うのを邪魔していた輩も居る。
何より、二人が敢えて遭おうとしていなかったことが大きかった。
まして付き合っていると称している間柄では、ある意味別れの準備期間と言っていい時間だった。
は端から付き合っているつもりはないと言いつつ、しかしこうして振り返ってみれば、やはりあれは付き合っていたことになるのだろうかと考えるまでになった。
別れると決めたからこそ、そんなことを考える。
我ながら救い難い事実だった。
この一月、馬岱からも連絡はなかった。
馬超や他の面子の性格上、口を割るとも思えなかったが、察しの良い馬岱のことだから何がしかの気配を感じて理解したのかもしれない。
他人に恥を掻かせても、自分が恥を掻くのは殊更に嫌がる性質だと見ている。
恥を掻かされたと分かっても、それで騒いで恥の上塗りをするのを厭っていたのだろう。
では、こうしてわざわざを尋ねてきたのは、掻かされた恥の返礼のつもりだろうか。
フロアに入れると記録が残る可能性があって、だから二人で食堂に移動した。
夜遅くの食堂は、灯りも落とされて薄暗い。
自販機の傍に置かれたソファに、二人並んで腰掛けている。
本を読む訳でもないので、自販機の放つ明かりだけでも十分と言えば言えた。
でも、とは思う。
人を照らす目的ではないというだけで、どうしてこんな寂しい光に見えるのだろう。
セフレも、似たようなものなのかもしれない。
居ると便利と言うと少し違う気もするが、本来のセックスは愛し合ってするのが定石だ。
本来の目的から逸脱しているというだけで、何とも寂しい、虚しい存在に変化する。
だからといって自販機の明かりを無くしてしまえば、その利便性は失われてしまう。消してしまう訳には行かない。
セフレは如何だろう。消して、つまり解消してしまう訳にはいかないものだろうか。どんなに寂しくなろうとも、居てくれなくてはならないものだろうか。
には判断が付かなかった。
馬岱は如何考えているのだろう。
がそうであるように、馬岱にとってもはどうしても居る存在ではない筈だ。
別れるのは容易い筈なのに別れないのは、馬岱の男としてのプライドによるものなのか、それともに対しての当てつけなのか。
いつも求められることに慣れている筈の男だ。
本当に馬岱でなくてはならないと思っていないとしても、それでも相手は馬岱が運命の恋人と信じ込んで付き合っていた筈だ。
そんな相手とどうやって別れたのかは定かでないが、馬岱が相手を同じように見ていなかったのだけは確かだろう。
誰だったら良かったんだろう。
は、少なくとも自分でないことは確かだなとぼんやり結論付けた。
何故なら、こんな状況にあっても、馬岱は『馬岱』としての冷静な仮面を取り払おうとはしないからだ。本当にが好きなら、こんな状況で薄ら笑いを浮かべて平然としては居られないだろう。
少なくともはそうだし、孫策もそうだろう。
みっともなく喚いて足掻いて、しかしそうすることしか出来ないのだ。
改めて馬岱との間に隔たりを感じる。明瞭な違和感があって、他人だと思えた。
あれだけ肌を重ねても、結局はそんな風にしか見られない。
冷たい女だな、と我が事ながら呆れた。
「何を考えているんです?」
馬岱の言葉に、視線を隣に向ける。
コーヒーカップを片手に、やはり視線だけ向けていた馬岱は、向けられた視線を避けるように逸らしてコーヒーを煽る。
も倣ってコーヒーを啜ったが、かなり温くなったそれは美味いとも思えない。
「……言い直しましょうか。何も、言う気がないんですか」
ないと言えば嘘になる。
「そっちから言ってくれたら楽なのになぁって思ってる」
の言葉に、馬岱は一瞬目を点にした。
すぐに苦笑が滲み、やや前屈みになっていた体をソファの背もたれに押し付けた。
「怒らないの」
そうなって当然だと思う。
罵詈雑言、あるいは盛大な嫌味で返ってくるかと思った馬岱の口は、無言で歪んだ笑みを浮かべるのみだ。
「怒る気も失せますよ。本当に、は訳が分からない」
呼び捨てにされて、はちらりと馬岱を見遣る。
馬岱が軽く肩をすくめるのを見て、わざとだと知った。
「」
怒らせたいのだろうか、とはぼんやりした思考で考えた。
生憎、怒られはしても怒る権利など端からない。だから、感情には何の起伏も生まれない。
馬岱はの表情をじっと伺っている。
しばらくして諦めたのか、また肩をすくめた。
「……大体ね、俺は。女ってこんなもんだと思ってたんですよ。何でもかんでも妙に飾りたがって、そのくせ素の自分をアイシテクダサイ、なんてね。矛盾してるの分からないのかなぁって、そんな風に思いながら、でもお陰でとても楽でしたよ。飽きて捨てる時も、ドラマティックに盛り上げてあげるとね、大概悲劇のヒロインよろしく一人で盛り上がって、物分りのいい特別な女のつもりで別れてくれるんです。何度も繰り返して、またか、あぁまたかって。その内、そんなことにも慣れてきて。日常茶飯事と言うか、マニュアルみたいになってきて、楽だけど退屈になって、恋愛ってこんなものなのかと」
一呼吸置いて、馬岱は小さく『思ってたんですけど』と付け足した。
「そんなじゃないでしょ」
の否定は、自身が驚くほど自然に漏れた。
「あんたが、そういう相手ばっかり選んでたってことでしょ。……うぅん、違うか。そういう風に仕向けておいて、そういう女だって決めて掛かってんじゃないの」
あるいは、その両方なのかもしれないが。
「……そんなに経験豊富なひとでしたか」
見抜かれている。
が好きだと思ったのは、孫伯符以外誰も居ない。
孫策に出会う前であったなら、も馬岱の言うところの『物分りのいい特別な女』のつもりで誰かの作ったシナリオに乗っていたかもしれない。
だが、それ自体は罪ではないと思う。相手の女も、馬岱もだ。
傷付けられるのは誰しも好まない。傷付いた振りで酔い痴れて別れられるというなら、それはそれでいいと思う。
「私は、特別な女のつもりにさせてくれない訳?」
「面倒臭いから、嫌です」
即答されて、の眉間に皺が寄る。
馬岱の口元に、今日初めて本当の意味での笑みが浮いた。
「さんとは、相性いいなって思ってたんですよ。体だけじゃなくて」
「……親父っぽい、それ」
如何にも嫌そうなに声もなく笑う馬岱は、不意に笑みを掻き消して沈んだ目を見せた。
「終わりに、してあげましょうか」
自分から言い出したにも関わらず、は動揺した。
表面上は意識せずに押し殺していたが、胸の奥底に錐で穿ったような細い鋭い痛みが走る。
何だ、とは胸の内で囁いた。
何だ、案外私もこいつのこと好きだったのかもしれない。
最後にと誘い掛ける馬岱の誘いは、どうしようもなくチープな印象が拭いきれない。
それでもいいかと思ったのは、そんな感傷からだったのだろう。
「どうして乗ってくれたんです?」
馬岱の部屋に上がったは、不機嫌そうに声のした方へと顔を向ける。
「こんなことされるって分かってたら、来なかったかもね」
いつもと違う風にしたい、と馬岱が言い出し、うかうか了承したのが間違いの元だった。
シャワーを浴びたを出迎えたのは、皮製の目隠しと明らかにそれと分かる拘束具だった。
「お得意先の忘年会で当たってしまって。でも、こんなの普通使えないでしょう」
キレイキレイに飾り立てるお別れの際に残したい記憶ではないし、下手にハマられて執着されても困る。
「だからって、ねぇ」
「あるものは使わないと」
分かったような分からないような言葉でをいなし、馬岱はを四つん這いに這わせた。
四つん這いと言っても、両手は背中に回されて固定されてしまっている。
尻だけ上げさせられる非常に苦しい体勢で、は不満げに身動いだ。
「動いたら駄目ですって。ちゃんと固定して下さいよ」
何を、と問い掛ける間もない。
露になった秘裂に、何か滑らかな感触が触れる。
バイブの類とも違う感覚に目を凝らすが、黒皮が邪魔して何も見えない。意外と作りのいいものなのか、完全に視界を遮断していた。
「いいですか、挿れますよ。ちゃんと締めないと、火事になりますからね」
火事?
が問い返すと同時に、膣にぐいっと挿入されるものがある。
「ほら、ちゃんと締めて」
「……ちょ……何、コレ……!」
変に滑らかな物体は、意外に長い。
ずぶずぶと音を立てての中に入り込んでくるのだが、引っ掛かりは何もない。何となく温かい気もする。
「蝋燭です。火が着いてますから、注意して下さい」
「ろっ……」
絶句する。
火事になると言った馬岱の言葉の意味が理解できた。は今、馬岱の家のリビングに居る。着いた膝の下には、毛足の長いカーペットが引かれていた。
意識せずとも体が緊張し、蝋燭を締め上げる。
「ん、さん、思ったより上付きなんですね。ちょっと危ないかな」
「やっ、だ……!」
一度突き込まれた蝋燭が、ずるずると引き抜かれる。
馬岱が鼻で笑ったのが分かり、は頬をかっと赤らめた。
「じゃあ、M字開脚で行ってみましょうか。それなら、たぶん大丈夫ですよ」
「ふざけ……」
怒鳴り掛けたは、後孔を探る馬岱の指に思わず息を飲む。
「じゃあ、こちらにしますか」
否も応もない。
こじ開けるように開かれた狭い入口に、蝋燭が突き立てられる。
腹痛が衝撃のように走るが、馬岱が押さえつけていて退けることも出来ない。
全身を戦慄かせて声にならない悲鳴を上げるに、容赦なく蝋燭が捻り込まれる。
「あんまり力を入れると、蝋燭が折れてしまいますよ」
どうでも良さげな馬岱に、は唇を噛み締める。
最後の思い出にと言うには、あまりに陰惨だった。
の内心を読み取ったかのように、馬岱はの耳元で囁いた。
「綺麗な思い出なんか、残して差し上げるつもりはないんですよ、俺は」
思い出すのも嫌だと悪寒が走るような別れがいい。二度と顔も見たくないと吐き捨てられるような、そんな悲惨な別れ方がいい。
「さんが、またうっかり他の男に体許したりしないように、ね。分かるでしょう? 俺なんかと、ほいほい寝てしまうような尻軽なんですから、貴女は」
誰が尻軽か。
最初は馬岱が薬を盛ったのが切っ掛けだった。
貞女よろしく、最後まで抵抗しろとでも言いたかったのだろうか。泣き叫んで、抗って、事が済んだ暁にはボロ雑巾のように打ちひしがれていればこうはならなかったとでも言いたいつもりか。
それとも、そう思わなければ許せない程、本気だったということだろうか。
ある程度押し込んで満足したか、蝋燭から感じる圧力が無くなった。とは言え、その存在から成る圧迫が消える訳では勿論無い。蝋燭の芯に火が点されているせいか、妙に熱く感じられた。
「さん」
口元に押し付けられるむっとした匂いは、男の肉そのものの匂いだった。
「文字通り、尻に火が着く前にイかせて下さい。そうしたら外してあげますから」
よくもまぁこんなことを思い付くものだ。
この男を知性溢れるだの温厚な人柄等と評価している連中に教えてやりたい。
「孫策常務も、こんなことしますか」
「する訳ないでしょう」
もう少しまともだ。
多分。
絶対の事実として、もし孫策が同じことをにするとしたら、それはを喜ばせようとしてのことに違いない。実際はどうあれ、を喜ばせる、または悦ばせることに異様に熱心なのは事実だ。
だが、馬岱は違う。
馬岱は、ただひたすらを傷付け、痛めつけることにのみ執着している。
それはそれで、馬岱なりの愛情表現なのかもしれない。
綺麗な思い出、いい人を演じることにのみ執着していた男が、初めて相手を傷付けて別れようとしているのだから。
拒否しきれないのはそのせいだ。
はそう思うことにした。自分なりに馬岱に恩義を感じるところがあって、別れることに後ろめたさがあるのだ。
亀頭を口に咥え込み、鈴口を舌の先で抉るように動かす。
馬岱が悦ぶ場所だった。
「……っ……」
音を為さない愉悦の声が、視界を塞がれた分を煽る。
手が使えないので不自由は不自由だったが、然して気にせず口淫を続けた。
「…………っ……!」
怒らせたいのだろうか。
馬岱と言う男が良く分からない。
その理解の遠さが、馬岱の不器用さの表れにも思えて、は何故だか泣きたくなった。
続