姜維から告白されたものの、はその好意を如何にあしらうべきかで悩んでいた。
あしらう、と考えること自体既に結論を出しているに近いのだが、当のは気が付いていない。
笑いを取ることにシビアなは、現実に対してもある意味シビアな目を持っていた。
年齢差、職場恋愛の困難、かてて加えて任された仕事に対する責任感も、の心を浮き立たせない重りと化していた。
蜀の双璧と並び称されるが、独立を目標に掲げていると知ってからは尚更だ。
が辞めてしまったらがほとんどの事務に目を配らなければならなくなる。
年上の女性社員が居ないではなかったが、ほとんどが営業等の外回りを主としていて、また仕事の多さに忙殺されているから達の手伝いをしようなどと言う殊勝な先輩は皆無と言っていい。
却って、やれ手伝えの代わってくれのと用事を言いつけられることも多く、ええ加減にせんかいと怒鳴りたくなることもしばしばだった。
遣り甲斐はあるがとにかく忙しい職場なのだ。
などは、よくお洒落に気を配る余裕があると感心するほどだ。
以前飲み屋で隣になった時に話を聞いてみたが、お洒落したいから血尿出す寸前まで頑張れるんです、と何ともステキな答えが返ってきた。
以前から趙雲との漫才には光るセンスを感じていたので、そう素直に言ってみると、の目が険呑になって『だって、ものすごいボケなんですよあの男!』と握り拳を握ったのをよく覚えている。
爽やか好青年、お婿さんにしたい男性社員No.1の趙雲に、よくもそれだけ言えたものだと感心したのをよく覚えている。
もっとも、確かにの言う通り、目を離すとうっかり保証人にされて夜逃げされの借金塗れになりのスーパーコンボを喰らいそうな人の良さが趙雲にはあるから、いいツッコミ相手に恵まれて良かったとも思っている。
自分はどうかと言うと、やはりどうにもならんというのがなりの結論だった。
よくて学校の先生と学級委員、悪くて悪い女に騙された純情少年と言ったところだろう。
面白くない。
いや、面白い面白くないは本来下すべき評価とズレを生じているのだが、的には大変重要な事項であるので他者の意見は取り入れられそうにもない。
何はともあれ、に退職予定を当たってみるのは、仕事の上から言ってもやるに越したことはないと思われた。
と話をしたことは、実を言えばあまりない。
同じTEAMの誰を捕まえても、恐らく同じように感じていることだろう。
仕事は出来るが、必要以上には話そうとしない。
その必要以上がとりわけて少ないものだから、寡黙と言ってさえよかった。人付き合いが悪いというよりは、無意識に避けている風だった。
独占して扱き使える諸葛亮には有り難いかもしれないが、女子社員の連携は時として強力な武器になる。
そこのところをもう少しわかってくれれば、仕事のシステムをを頭にして組み直しして、もう少し楽にできるのにとは考えていた。
諸葛亮がを手放すかどうかは別の話だが。
何を考えているのか判り難いあの諸葛亮に、のみならず姜維までもが慕っているのがよくわからない。仕事外ではもう少し人間味のある人なのかもしれないが、傍から見ている分には察しようもない。
それはともかく、今はの件が先だ。善は急げとも言うし、は今日中に確認を取ろうと決めた。
食事もデスクで取ると、ざっくばらんに話せる機会はあまりない。何せ、食事を取りながらも仕事をしているのだ。
だから、はが退社する前、ロッカー室で着替えをする時間を見計らって偶然を装うことにした。
制服はないK.A.Nだったが、退社時に着替えるものは少なくない。他のTEAMの女の子には、バイク通勤する子も居るとかで、毎朝毎夕ここで着替えているとのことだ。
も、全部ではなかったが着替えをする。
一日事務机に座って居ると、どうしても肘や手首の辺りが汚れてしまう。万事に隙なく清潔感を保つは、だからブラウスだけは変えて帰るのだ。
「さん、今ちょっとだけ、いい?」
振り返ったは訝しげにを見詰めたが、「どうぞ」と言っての言葉を待った。
素っ気無い。
やりにくいなぁ、ホンマ、と思いつつ、はいっそのこととずばり切り出した。
「あのー、さん、起業独立目指してるって聞いたんだけど」
は、何処から聞いたと問いたげに目を細めたが、やはり素っ気無く「そうよ」と返してきた。
「…あのー、ね、今、事務の仕事、中心になってるのって私とさんやん」
「そうね」
「…良かったら、退職考えてる時期とか、教えてくれると助かるんだけど」
の目が、ふっと思考に沈む。
あちゃぁ、これは案外近いんとちゃう、とは内心焦りを禁じ得ない。
ところが、の返答は予想に反して意外なものだった。
「…今は、考えてないわ。当分、先の話ね」
そこそこの資金さえ溜まれば、ぐらいの年でも起業の時期を考えるものだ。それも言わないということは、の独立はまだまだ先のことだろう。
誤魔化されたかなと思いつつ、しかしが理由もにそんな嘘を吐くようにも思えなかった。
時期が来たら話すわ、とから切り上げられ、もそれ以上話を続けられなくなりロッカーの扉を開く。
着替えを再開させたがブラウスを無造作に脱ぎ捨て、何気なく視線を向けたはそこに目にしたものに思わず驚きの声を上げた。
「さん、その痣」
はっとして首筋に手をやるだったが、赤い痣の跡は肩口から背中の中央に向け、二つ三つと散らばっていた。
の仕草から、これはやっぱりそういう跡だと知れて、も赤面して言葉を失う。
ああ、さん、恋をしてるんだ。
不意に感慨めいた感情が胸に湧きあがった。
痣の位置を指摘され、真っ赤になったは慌ててブラウスを着直した。
「…お願い、内緒にして」
おずおずと切り出したに、大きく頷いて見せる。
「誰にも言わんわ、信用して」
しばらくの顔を凝視していたは、小さくこくりと頷いてコートを纏った。
「…お先に」
足早に立ち去るの足音が、ぴたりと止まった。
が振り返ると、はわずかに振り返り、早口の小声で「有難う」と呟いた。
の姿がロッカーの影に消え、扉が閉まる音が聞こえてきた。
あのの思いがけない表情に、は恋の偉大さを知った。
さて、自分はと省みてみた。
「…あかん、面白くないわ」
ビール買ってから家に帰って、録画しておいたお笑い番組でも見ようと思った。
終