フロアの隅から薄暗い照明のホテルの一室に移動していたが、夏侯惇の考えることに変わりはなかった。
――何をしているんだ、俺は。
 先に、と勧められてシャワーを浴び、ベッドの隅に居心地悪く座っている。
 糊の利いたバスローブは肌ざわりがいいとは言えず、夏侯惇の困惑を深めることのみに非常に有用だった。
 新しいくせに立て付けの悪いドアが、がたがたと音を立てているのが聞こえた。
 それより他にしようもなく、夏侯惇が音のする方に目をやると、ちょうどが顔を上げたところだった。
 嬉しげに小走りに駆け寄ってきて、夏侯惇の隣にちょこんと座る。
 備え付けのボディソープの安っぽい、しかし鼻をくすぐる強い香りに眩暈を覚えそうだ。
 は、夏侯惇の顔を覗き込むようにして身を乗り出している。
 大雑把に合わせられたバスローブは深く切れ込み、がバスローブの他には何も纏っていないと察しが付いた。
 妙に手馴れたに、内心愕然としている己が居る。
 口付けを重ね、昂ぶっていたのは事実だが、実際にホテルに誘ったのはの方だった。
――惇さん、行こう。
 身支度もそこそこに、手を引かれるように連れて来られたのはホテル街だった。
 唖然としている夏侯惇を他所に、は常の無邪気な笑みを向け、何処がいいかと尋ねた結果がこのホテルだったと言う訳だ。
 何処でもいい、等と投槍に吐き捨てるのではなく、陳腐な台詞の羅列になってもいいから引き返すべきだったと夏侯惇は後悔していた。
 は、慣れているのかもしれないが、夏侯惇はこの手合いの安ホテルに来たことはほとんどない。何と言ったらいいか、嫌悪があったからだ。
 いざ意気投合して事に及ぶ時は、大抵その女の家か偶に自分の家、というのがパターンだった。
 その場限りの関係と言うのが苦手なのかもしれない。
 責任を取ると言えば詭弁のようだが、『抱く』という行為は夏侯惇にとってはそれなり重い行為なのだ。遊びですることでは、ない。
「帰る?」
 振り返ると、は立ち上がった。
「ね、帰ろうか、惇さん」
 にこりと笑って背を向ける。
 その手を捕らえたのは反射だったかもしれない。
 の体は細く、比例して軽い。
 夏侯惇が手を強く引いただけで、の体は引き戻されて勢いのままベッドに倒れこんだ。
 仰向きに倒れたに跨り、口付けを落とす。
 これは反射ではないぞ、と夏侯惇は己に言い聞かせていた。
 不思議なことに、『抱きたい』という衝動があるわけではない。無論、『溜まった』という感覚もない。
 にはすまない話だが、子供が昆虫を夢中になって追い回す、あの意味もないくだらぬ情動にそっくりだと思った。
 意味もなく、ただ欲しい、捕まえたい。捕まえても『玩具』ではないのだからろくに遊べもしないというのに、ただ捕まえたと確認し、自分の物だと納得する為だけに、追う。
 捕まえた後は……、どうしただろうか。
 口付けながらバスローブの襟を裂く。
 少女のような滑らかな肌、膨らみも覚束ない胸乳には、それがあるのが不思議だとすら思ってしまう、朱に色付いた小さな乳首が備わっていた。
 唇に含めば固くしこる。
 舌で舐め転がすと、朱は色濃く変化したようだ。
 指先を腹部に伸ばし、バスローブを留めている唯一の結び目を解くと、の身を包むものは何もなくなった。
 薄く白い腹はぺったりとして、申し訳程度にまばらに生えた薄い陰毛は、とても二十前の娘のそれに見えない。
 出来のいい、綺麗な人形を抱いているような錯覚を覚える。
 ふと思い立っての顔を見遣ると、はその大きな目で夏侯惇の為しようをじっと見詰めていた。
 深い、緑色をしている。
 ぱっと見、黒に見えていたので気が付かなかったが、の目は黄色人種の常たる色とは異なりその虹彩からして常人離れしていた。
 焦った。異様に、焦った。
 人形を抱いているのではないかという下らない妄想が、当の自身の目の色によって証されたような気がした。
 何をしているかと困惑し、しかし滑らかな肌がビスクドールのその色と肌触りに酷似していることから、シャワーを浴び男に組み敷かれているはずの肌が、色付くことなく冷ややかだという事実に辿り着く。
 固まってしまった夏侯惇の下で、ビスクドール、否、はゆっくりと身動ぎして起き上がった。
「帰ろう、惇さん」
 手の中からするりと抜け出すように、ベッドから降りたは風呂場に向かう。
 着替えを取りにいったのだろう。
 夏侯惇は馬鹿のように固まったまま、が居た場所を凝視していた。

 が服を着終わった後、脱衣所から出ようと振り返ると夏侯惇が立っていた。
「惇さん、入り口のところでもらったカードキーあるっショ。アレ、ちょーだい」
 お金払わなきゃ、と笑うに、しかし夏侯惇は返事すらしない。
 立ち塞がるように両手でドアと壁とを掴んでいるので、は外に出られずに居た。
「……惇さん?」
 小首を傾げるに、夏侯惇はようやく口を開いた。
「慣れているのか」
「慣れてるって?」
「こういう場所に来るのは、慣れているのか」
 何でそんなこと、とにしては珍しく困惑しているようだ。
「うん、何回か、来てるから」
「誰と」
 誰とって、とは困ったように眉を顰めた。
「色々」
 では、初めてではないのだろう。
 夏侯惇の手がの肩を鷲掴みにした。の目が、夏侯惇の手を凝視する。
 吊り上げるようにして持ち上げる。持ち上がる体が酷く儚く脆弱なものに思えた。
 まるで、蝶のようだ。
 ベッドに引き摺り戻すと、夏侯惇はの服を脱がせにかかる。上など別に脱がせなくても別に構わない。おざなりにたくし上げはしたが、後は興味もなくボトムに掛かる。大き目のサイズだったのか、大して手間も掛からずあっさりと脱がせられた。
 は、先程よりは表情に色が付いてはいるものの、やはり大きな目を向けて夏侯惇の為しようを見ている。人形のような無機質の目で、夏侯惇の行状を如何に見ているのか。
 どうでもいい。
 夏侯惇にとって、今やは網に掛かった蝶なのだ。追い掛けることもなく手の中に収まった蝶、その蝶の羽の美しさを手で広げてまじまじと見てみたい。
 そう願って、何が悪い。
 その為に蝶の羽がもがれ、地に堕ちたとて。
 冷ややかだと思った肌は、実際その通り未だ熱を孕んではいない。蜜が溢れて夏侯惇を受け入れるはずの秘裂にも、何の変化もない。
「惇、さん?」
 の声がやや引き攣ったことは、夏侯惇にとっては軽い愉悦の類に過ぎなかった。
 薄い陰毛は舌に絡むこともなく、柔らかな肉を隠すことさえ出来ずにいた。
 手を添えていた足から、筋の緊張する強張りを感じる。
 初めてそれらしい反応を得たことで、夏侯惇は怯むどころか力を得て舌の動きを激しくする。
 潤いのほとんどは夏侯惇の唾液によるものだが、ともかく濡れるのは濡れた。
 夏侯惇はバスローブの結び目を解き、の膝を大きく割り体を進ませる。
 の秘裂に固く熱った肉棒をぴたりと付けると、侵入口に目算を付けて押し込んだ。
「いっ……!」
 ずぬ、と鈍い音が響くと同時に、突然の顔が歪んだ。
 何事かと疑問が過ぎるも、夏侯惇は勢いづいた腰の動きを止められなかった。
「いた、痛い、痛いっ!」
 の目から涙が吹き零れ、ようやく夏侯惇は我に返った。
 動きを止めてみれば、抱えたの足は尋常でなくがたがたと震え、縮こまった体は痛みからか脂汗に塗れている。
 おかしい。
 夏侯惇は未練がましい欲望を無理矢理押さえ込み、沈めかけた肉棒を引き抜いた。
?」
 不安になって覗き込んだは、大粒の涙を零してしゃくり上げている。
「……痛い、よぅ、惇さん……」
 言葉もない。
 は、処女だった。

 夏侯惇はを連れて逃げ帰るように自宅に戻った。
 一人身には広過ぎる我が家だったが、馴染んだ空気は夏侯惇を安堵させた。
 をソファに座らせ、コーヒーを淹れる。
 揃いの食器などほとんどなかったし、来客用のカップを探すゆとりもなかったから、適当に淹れて適当に出した。
「ミルクは、ない」
 夏侯惇は、コーヒーはブラックで飲む主義だ。
 砂糖が欲しいというので、調理用のシュガーポットを出してやった。
 隣合わせでコーヒーを啜る。
 沈黙が肌に痛かった。
「……すまなかった」
 夏侯惇が謝ると、は首を折るようにして夏侯惇を覗き込む。
「その……痛むか」
 少し考えて、ちょっとだけ、と答えるは、常のだ。
「すまなかったな、その……慣れている、と言っていたから、つい、な」
 何を言い訳をしているのだとイラついたが、沈黙よりはまだマシだった。
 はコーヒーに息を吹きかけながら、ちびりちびりと啜っていた。
「あのね」
 不意にが口を開く。
「惇さんがしたの、アレがホントのセックスなんデス?」
 セックスに本当も嘘もあるか。
 答えようがなく、夏侯惇は口を閉ざす。
「……自分、裸でぎゅってするのがセックスだと思ってたデス。他の人は、皆、惇さんみたいなこと、しなかったし」
 を組み敷いた夏侯惇にはわかった。
 相手の男達は、たぶん夏侯惇と同じ恐怖に取り付かれたのだろう。恥じたのかもしれない。
 魂の篭った人形の目に欲望に滾る己を見出す。人形に自分の性欲を観察されるのは、想像を遥かに凌駕して後ろめたくまた恐ろしかったに違いない。例えどれほど好きだったとしても、だ。
 夏侯惇の欲は、偶々彼らのそれを上回っていた。滅茶苦茶に壊して、堕としてやろうと思っていたのだから。
 普段は冷静な己の激情に、夏侯惇は改めて恥じた。まるきり青臭い若造の如き熱情ではないか。
 いい年こいて、こんな年下の娘に狂った自分が情けない。
 最初の『帰ろう』こそ夏侯惇を気遣ってのものだったのだろうが、二度目の『帰ろう』は気遣いではなく、単に『終わったなら帰ろう』と言っていたのだろうと判って、夏侯惇に更なるダメージを加えた。
「――惇さん、聞いてる?」
 顔を押さえて俯く夏侯惇の腕を、が子供のようにゆさゆさ揺する。
「すまん、聞いてなかった……何だ」
 問い返す夏侯惇に、は真顔に戻って唇を閉ざした。
 何だ。
「……自分、惇さんの傍に居ても、大丈夫デス?」
 今までの相手は、何の束縛もなかった。クラスメイトや先輩、近所に住んでいた大学生。皆、を好きだと言い抱きたいと請うた。は、彼らの本気を受け止めてその願いを叶えてやろうとした。
 けれど、皆、何時の間にか疎遠になって、離れていった。
 彼らは、から離れたければ離れられる位置だった。も追おうとは思わなかったし、しなかった。請われなくなったのだから、それが自然だったのだ。
 夏侯惇は違う。直属の上司で、から離れるには近過ぎる。
 もし嫌になってしまって、離れたいのなら、自分が会社を辞めてもいいとは申し出た。
 俯くに、夏侯惇は溜息を吐いた。
「それなら、最初からあんなことはせんわ」
 夏侯惇は内心で付け足した。他の連中の時とは、あからさまに自分の対応が違うとはわかっているのかいないのか。
 から離れようとした時と同じように、自分から離れようとしているのだと判っていた。それが判っていて、何で手放したりできるものか。への溺愛振りはとうに承知だ。の扱いと同じと言うなら、が夏侯惇をどう思っているかなど言わずもがなだろう。
 言わないが。恥ずかしいから。
 ぽつりと吐き出す言葉に、が首を傾げる。判りにくかったのだろうが、答える気にもなれず夏侯惇は別の話題を振った。
「……、お前、何故目をつぶらない」
 事の最中に相手をまじまじと見詰めて、というより観察するなど、処女にあるまじき行いだろう。大抵の処女は、知識があっても恐怖から、または慎みから目を閉じるものだ。
 勝手な思い込みだが、夏侯惇は本気でそう考えていたし、頭から決めて掛かっていた。
「だってあんな近くに惇さんがいて、一生懸命だから見てたいんデスー」
 一生懸命と言われ、夏侯惇はがっくりと頭を下げた。一生懸命と言われればそうだが、そう言われるのは何だか切ない。らしい、とも思ったが。
 これは推測だが、の体が反応しないのは、が観察に熱中し過ぎて悦を感じるゆとりがないからではないかと思う。まったく反応しなかったわけではなかったからだが、もしそうならが処女で居られた理由も分かる気がした。
 くだらなくてやっていられないが、渋々でも逐一教えてやらねばならぬのかもしれない。
「ああ言う時は、目をつぶれ」
 言われて、は素直に目をつぶる。
 今じゃないと言い掛けて、夏侯惇は自棄になってを押し倒した。

  終

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