の外見は、一口に言って柔らかい。
 おとなしげで、かつ懐こそうな、人見知りをしないタイプに見える。
 大手企業K.A.Nの中でも最大手たる、TEAM魏の中でも生き馬の目を抜く営業所属、といった風情は欠片も伺えない。
 それは自身も自覚している。
 魏に配属されてからそこそこ経つし、たまには自力で契約を取れる程度には慣れて来た。
 けれど、まだまだだと思うし、周りもそう見ているだろうと察している。
 何しろセールストークが得意でない。
 営業マンであれば、誰しもお為ごかしの一つも口にするものだ。
 だが、はそれが出来ない。
 どうしても嘘を吐いているような罪悪感があって、言葉に詰まってしまうのだ。
 当然、成績はあまり芳しくない。ノルマをこなせないこともある。
 幸い、取引先は商品の傾向も手伝って年かさのおじ様であることが多く、親父受けの良いはその利点で良く助けられている。
 いいことではない。容姿はいずれ変貌する。
 実力で契約を取れるようにならねば、と、ここ最近のはやや焦っていた。

 懇意にしている取引先の課長から、呑みに誘われた。
 珍しいことではないものの、は少しばかり躊躇する。
 ただでさえスキンシップ過剰な世代との付き合いである。騒ぎはしないものの、肩に手を回される、膝と膝がくっつく程度のことは毎度のことで、今回誘われた課長は、殊にその傾向の悪戯を好む人だった。
 どうしよう。
 迷うの脳裏に、今月の営業成績が思い浮かぶ。
 壁にノルマを張り出すような時代錯誤な真似はしないものの、各自に渡されているパソコンには、毎月の営業成績がデータとして表にされている。
 営業アシスタントのいないは、自分でこのデータ打ち込みをしなければならないが、契約を取って来て報告書を作成がてらデータを打ち込む一瞬が何より好きだ。
 更新ボタンをクリックし、画面が一新されて出てくる契約獲得、新規顧客獲得のグラフにわずかな変化とNEWの文字アイコンを見るのが快感だった。
 メールで届く顧客からの挨拶状を見るのも好きだ。
 親切な人は、が勧めた商品が如何に評判か、売れているか等ということまで教えてくれる。
 向き不向きはともかく、が営業という仕事に誇りを持っていることに違いはない。
 今月はもうノルマも達成しており、困っている訳ではない。
 しかし、実は後一件契約を成立させれば初めての『営業成績三位』に滑り込むことが出来るかも知れない位置でもあった。
 月末になればすぐに引っ繰り返されるかもしれないが、一瞬でも三位の欄にの名前が反映される。
 入社三年目のにとって、それは最高の殊勲だ。
 一瞬の栄光という儚い夢は、その儚さに反して力強くの理性を揺らした。

 結局、誘いを受けて指定の場所に向かう。
 会社のロビー、駅の改札等の分かりやすい場所ではなく、とある料亭の脇という指定が何だか胡散臭い。
 まさか一人で来ないだろうと思っていたのに、そのまさかだった。
ちゃん、待たせちゃったかな」
 親しげな口振りで現れた課長に、は曖昧な微笑みを浮かべる。
「こことは前からの馴染みなんだ。さ、入ろう」
「あんまり高いと、困っちゃいますよ?」
 冗談めかして答える(事実困るのだが)と、課長はにっと笑った。
 失礼だとは思ったが、およそ不気味としか形容できない笑みだった。
「大丈夫、今日は、仕事を離れてのお付き合いってことで。ね?」
 何が言いたいのか良く分からない(というか分かりたくない)。
 仕事の為に来ているとしては、仕事を離れられては困るのだ。
 妻帯者と聞いていたから、多少思い込みもあったのかもしれない。浮気は男の甲斐性と嘯く輩の存在を、うっかり忘れていたようだ。
「さ、行こう行こう。大丈夫だから、ね」
 ちっとも大丈夫なんかじゃない。
 どう対応したらいいのか分からず、半ばパニックを起こすの肩を、課長はぐいぐいと押す。
 連れ込まれるように料亭の門を潜ろうとした二人の背後から、突然陽気な声が上がった。
「や、どーもどーも。お誘いいただいたのに遅れちまって、どーも申し訳ない!」
 びくっと肩が跳ねる。
「か、夏侯淵部長?」
 思い掛けない人の登場に、の声がひっくり返る。
 夏侯淵は、の顔を見るなり大袈裟に溜息を吐いた。
「何だ、お前。ちゃんと課長さんを接待してやらな、イカンだろ。……申し訳ない、課長。これだから、コイツにゃまだ一人で接待させらんないってんです。ま、今夜は大船に乗ったおつもりで! パーッと参りましょう、パーッと!」
 あ、え、お、と意味不明な呟きを漏らしながら夏侯淵に引き摺られて行く取引先課長、その二人の姿を、は呆然と見送った。

 文字通り、他の部屋から苦情いただく程度にどんちゃん騒ぎを終えた後、は夏侯淵と連れ立って歩いていた。
 呑むわ騒ぐわ、挙句の果てには足を滑らせた夏侯淵が襖を破って隣の間に転げ込むハプニングまであり、隣の間に古めかしい布団が枕を並べて敷いてあるのにどん引きし、しかし夏侯淵はこれはいいと意気揚々と潜り込むしで大変な騒ぎだった。
 飲食ならびに襖の弁償はK.A.Nの方で持つことにして店側には陳謝し、相手の課長はタクシーに押し込んでこれもK.A.N持ちとなった。
 たいした成果もなく、多額の交際費だけがとんだ結果となって、の肩身は狭い。
 黙りこくるの背を、不意に夏侯淵がど突いた。
「……バーカ、お前、いちいちンなことで落ち込むな! そんなこっちゃ、一人前の営業にゃなれねぇぞ!」
「ぶ、部長、だって……」
 は、自分が未熟なせいで皆に迷惑が掛かってしまったと反省しきりだ。
 相手の課長も、今後K.A.Nとの付き合いを考え直してしまうかもしれない。
 あまりに旧式な要求に、の頭が付いていけず対応が遅れたのは他ならぬ自身のせいだと言えた。
 もっときちんと警戒して居れば、幾らでも対応のしようがあったのだ。
 落ち込むなと言う方がきつい。
「馬鹿、俺だってまさか今時ンな要求かましてくるオヤジが居るたぁ思やしねぇよ。今回、俺が出張って来たのだって、ホンットーに偶々だしなぁ」
 実は、相手課長の奥方から夏侯淵の元に、直接電話が掛かって来たそうだ。
 聞き覚えのない声に面喰う暇もなく、お宅の会社では泊まり掛けの接待をしてくれるのか、このご時世にずいぶん余裕がおありだと、よく分からない話を喧々と喚き散らされた。
 よくよく話を聞いてみると、取引先の社員の奥方と知れた。
 恐らく、夫の浮気を察知して、勢い任せに調べまくって夏侯淵まで辿り着いたのだろう。恐るべきは女の嫉妬だ。
 電話片手にパソコンを立ち上げて調べてみると、当の相手はの担当で、の予定も確かに接待後直帰となっている。
 ただ、待ち合わせ時間が接待としてもずいぶん遅くということ、一人で向かうらしいということでピンと来るものがあった。
 先方の奥方には上手く誤魔化して、自分も同席するし問題はないと言い含め、の向かう先に直行したという次第である。
「よく、分かりましたね!」
 予定は書き込んだものの、さすがに待ち合わせ場所まで書き込まない。
 能力主義の前提もあってか、特に営業では取引先の接待程度、一任するのが通常とされている。夏侯淵がの行く先をこれ程短時間に探し当てることは、ほぼ不可能と言って良かった筈だ。
「バーカ、俺様を誰だと思ってやがる」
 蛇の道は蛇って奴よ、とだけ言って軽く肩をすくめる夏侯淵に対し、は言い知れぬ劣等感に襲われる。
 夏侯淵のように容易く、スマートに誰かを助けられる程、の能力は高くない。自分一人の事とて持て余すくらいだ。
 こうなりたいと思っても、そこに辿り着けるかどうかさえ確かでない完膚なきまでの差に、は更に落ち込んだ。
「どうした」
 目敏く突っ込んでくる夏侯淵に、は言葉を濁しつつ、自分の気持ちを打ち明けた。
 呆れたようにを見る夏侯淵に、無性に恥ずかしくなる。
「馬鹿、お前、何を図々しいこと言ってんだ」
 てっきり、お前もいずれとか、こういうことには時間が掛かると励まされるのかと思った。
「お前如きが俺様に敵うと思ってんのか! お前が百年、イヤ千年努力したところでな、この俺様に敵うワケがねぇ!」
 堂々と言い切られ、の目が点になる。
「……な、何言ってんですか、そりゃあ、私なんかまだまだだけど、でも、その分ちゃんと努力して、いつか絶対部長みたいな営業出来るように、私だって……!」
「なるってか?」
「なります!」
 考えがまとまらないまま澱んでいた言葉は、夏侯淵の誘導で強い意志に変わる。
 夏侯淵が笑う。
「よし、ンーならなってみろ! ケツまくって逃げてみやがれ、俺が絶対引っ張り戻してやっからな!」
「は、はい!」
 売り言葉に買い言葉のノリで、思わぬ『宣誓』をやらされてしまった。
 今更ながらに自分の言ったことを訝しく振り返るを、夏侯淵の手が押し出した。
「おら、帰っぞ。一線で戦う営業マンの基本は、休める時には目一杯休む、だ」
 肩に置かれた手が、熱い程に温かい。
 取引先の課長の手とは、同じ手かと疑いたくなる程、感触が違っていた。
 温かくて、何と言うか、気持ちいい。
――うわ。
 いきなり頬が赤くなったのを、夏侯淵に知られないよう、は懸命に取り繕った。

  終