「何だ、また喧嘩でもしたのか」
 ずばりと斬りつけるような的確な指摘に、趙雲はうっと言葉に詰まった。
 如実な反応に、馬超はすぐさま事実だったと認識する。
 誠実で鳴らして取引先にも信用の厚い趙雲は、しかし恋人には頭がまったく上がらない。
 は美しい娘だ。
 元から整っていただろう相貌に加え、妙齢の女性らしく化粧を施している。濃過ぎず薄過ぎずの上品なメイクは、流行を敏感に取り入れるファッションセンスとも相まって、営業に出たらさぞ稼いでくるに違いないと専ら評判の美貌だ。
 もっとも、本人にそのつもりはまったくない。
 明るく前向きな性格は営業向きかもしれないが、見た目を裏切る一本気な頑固さは、到底営業には向かないと自覚しているところだ。上司たる龐統もそのことは認識していて、それでが外回りに出されることはなかった。
 趙雲としては有難い限りだった。
 派手とも浮ついているとも取られがちな恋人が、もし営業で外回りと言うことにでもなればうるさい虫がたかってくるに違いない。
 追い払おうにも、相手が取引先では趙雲にはままならないのだ。下心満載の脂ぎった中年に手を取られ、が嫌がりつつも拒絶できず、ついには……と想像して鳥肌を立てる。
 周囲は、そんな趙雲には呆れ返るだけだ。
 がもしそんな目に遭ったら、有無を言わさず金的蹴り上げ、警察に駆け込むに違いない。だから営業には出せないということになっているのに、趙雲の妄想はどうしてもそちらに向かないらしい。
 好青年故の苦悩の深さに、面白いから黙っていようと言ったのは劉備だった。
 この事実を趙雲が知ったら、涙目になって人間不信に陥るかもしれない。
 ともかく、にはまったく頭が上がらない趙雲は、喧嘩している今でもうじうじと悩み続けている。
「今回は、何だ」
「今回はとは、どういう意味だ」
 そのままの意味だ。
 馬超が知る限り、趙雲との喧嘩など大なり小なり日常茶飯事だ。すわ終わる別れるという話になることこそ少ないが、穏やかだが優柔不断になりがちな趙雲と、何事にもはっきりと甲乙付けたがるとでは揉め事が起きない方が難しい。
 趙雲も、優柔不断なら優柔不断でいっそに迎合すればいいものを、ああでもないこうでもないと、うだうだ言い募るのがいけない。
 は、別に趙雲に同意を迫っているのではない。
 ただ、これが好き、あれが嫌いと言っているに過ぎないに対して、趙雲は余計なことを付け足してしまうらしい。
 いわく、『、残念ですが、私の給料では買って上げられませんよ』『、そんなこと言わずにもう少しよく見てみたらどうですか。これはこれでなかなかいいと思うんですが』。
 うざい。
 は、色が好き、デザインが好きと言っているだけで買ってくれと言っている訳ではない。同様に、嫌いだというものに関して、趙雲は自分はそんなに嫌いではない、だからも……という風に言い出されても困惑するのみだ。
 一事が万事この調子では、ならずとも切れること間違いなかろう。
 と言って、他の者からそんな話を聞いたことがないから、これはに対してだけの行動なのだ。
にだけですよ」
 問い詰められた趙雲自身も、不服げながら言い返す。
 恋人だから、好きだと言うものは買ってあげたいし、嫌いなものは少しでも少なくなる方がいいではないか。
 それはそれで正論だ。
 けれど、おのれらには学習能力というものはないのかと、馬超などは思ってしまう。
 がそういう人間だと趙雲が認識し、趙雲がそういう人間だとも認識する。
 世の中の付き合いに、諦めは必要不可欠だ。諦められない短所があるなら、別れてしまえばいいだけの話なのだ。
 こと、恋人同士のお付き合いなどその典型たる代物だろう。
 厄介なのは、この二人の場合はそれでもお互い惚れあっているという点だった。別れろなどと言ったら、ブチ切れるから手に負えない。
「別れちまったらいいだろ、女なんて幾らでもいるんだからよ!」
 あ。
 唇が音の形を為すも、声として発せられることはなかった。
 迂闊者という名札をした張飛に付き合って、飛んで火にいる夏の虫になるつもりはない。
 ゆらり、と不穏な空気を纏って立ち上がる趙雲の死角に逃れ、馬超はじりじりと後退った。

 目の据わった趙雲に引き摺られるようにして、張飛と馬超は馴染みの飲み屋に顔を出していた。
 元よりキレ気味の趙雲にアルコールが加わり、凄みを増す。
 取引先の人間が見たら、きっと別人だと思うような荒れようだった。
 暴れないだけマシとも言えたが、暴れないので帰らせてももらえない。死角に逃げ込んだにも関わらず、お前は後頭部に触覚でもついているのかと言う素早さで腕を掴まれ、退社後の呑み会に付き合わさせられてしまった。
 昼過ぎまでは目が回る程忙しい思いをしただけに、家に真っ直ぐ帰ってゆっくり寝るつもりだった馬超には、この呑み会の空気の重さは耐え難かった。
 話し上手聞き上手の馬岱でも巻き込めれば良かったのだが、薄情な従弟は馬超を見捨てて先に帰ってしまった。デートだそうだ。
 殴ってでも連れて来れば良かったと後悔していると、空いていた隣の座席にどやどやと座り込んだ集団が居る。
「どーも」
 軽く手を掲げるのは、統括室所属の蜀の担当者、だ。馬超も、女ながらやり手と聞いてはいたが、呑み屋というプライベートな場所で顔を合わせるのは初めてかもしれない。
 趙雲の隣に当たる位置にその女が座り、馬超の隣には見知らぬ子供(馬超にはそうとしか見えなかった)が、の隣にが座った。

 趙雲もさすがに気が付いたらしい。
 座敷の中で二つしかないテーブルだから、気が付かない方がおかしいとも言えた。
「私ら、二次会なんですよ。がこの店お勧めって教えてくれて、来たら蜀の人が居ますよって店の人が教えてくれて。お邪魔じゃなかったですか」
 口ではそう言いながらも微塵も思っていない風なが、少しばかり鼻に付く。
 飲み物を手早く決めると、二次会だという言葉を証すかのように食事に近いオーダーをした。
「……趙雲係長、悪い酒呑んでますねぇ」
 統括室所属だけあってか、まったく物怖じしない。
 悪い酒と言われた趙雲は、の手前もあってか露骨に嫌そうな顔をした。
 はお手洗いに行く、と言い残して席を離れる。
 後姿を見送るの目は、多少酔っているようだった。ほんのりと染まった目元が隙だらけで、男の悪戯心を誘っているようにも見える。
「趙雲係長、と付き合ってるんでしょ? 喧嘩でもしましたか」
 ずばりと言い当てる。
 馬超がずばりとやるのは付き合いの長さと深さから許される所作であって、ついこの間担当換えして言葉もほとんど交わしたことのない人間がやっていいことではない。
 少なくとも趙雲は、人付き合いに関しては人一倍うるさい方だ。口には出さずとも、内面でその人間に対しての評価を確実に下げる。
 そして、素直な男だけにそれが態度に如実に表れるのだ。
 だが、相手は曲がりなりにも統括室の人間だ。下手に手出しすれば、TEAM蜀そのものが危機に陥りかねない。
 馬超も張飛も、うろたえこそしないものの、落ち着かない気持ちに駆られていた。
 は、そんな二人の心情を知ってか知らずか、趙雲の肩に自分の肩を寄せる。
、気が強いですからね。相手するのも大変でしょう」
「……いえ、別に」
 趙雲の声に不機嫌が滲み出てきている。
 女はけらけら笑い、さすが全身肝と言われるだけはあると手を叩いて喜んだ。
「さっきだって、、男に声掛けられて怒っちゃって。それで河岸変えしたんですよ。趙雲係長は凄いわーさすがだわー」
 正面に座った娘に相槌を求め、娘もこくこくと頷いている。
 趙雲は、が他の男に声を掛けられた事実と、それを跳ね除けたという事実に複雑な笑みを浮かべた。
のこと、好きなんですか?」
 浮かんだ笑みがぴきりと固まる。
 女の問いに趙雲はしどろもどろになった。馬超に救いの目を向けるが、馬超とて為しようはない。
「あのね、趙雲係長。たまには、あの子を心配させてやればいいんですよ。貴方があんまり一筋だから、だって油断しちゃって我がままになるんですよ? 分かります?」
 寄せられていた肩が、いつの間にか胸に変わっている。
 厚いコートを着用していたせいか、中は外の寒さに比して意外に薄着だ。白のブラウスの胸元に、ブラのレースが浮いて見えていた。
「あ、あの」
 趙雲がうろたえているのを、馬超は敢えて見て見ぬ振りをした。全身肝も、女相手となると勝手が違うものか。
 あからさまな誘いに、だが普段はないことだけに焦ってしまうらしい趙雲は、ある意味いい見ものでもあった。
 所詮は他人事、色恋沙汰なんぞで人を振り回すから、ばちが当たるのだ。
 趙雲の顔が不意に引き攣る。
 何だと振り返った馬超の目に、仁王立ちしたの姿が飛び込んできた。
 まずい。
 これはさすがに気の毒過ぎると、馬超の血の気がさっと引く。
 がテーブルの間にある通路から、二人の間に飛び込んでいったのは、馬超の血の気が引く速度とほぼ同じ速さだった。
「お姉様、酷いっ!」
 趙雲との間に割り込んだは、きつい視線をにのみ向けた。
「私より、子龍のがいいって言うんですかっ!?」
「違うだろっ!?」
 否定の言葉は綺麗にはもり、声を発した馬超は同じく声を発した相方たるの顔を凝視した。

 一次会と称した呑み会で、散々の愚痴に付き合わされたと言うは、一計を案じ二人を仲直りさせるつもりでやって来たのだった。
「よくここにいると分かったな」
 馬超の問い掛けに、は軽く電話して確認したと答えた。
 この呑み屋はTEAM蜀御用達で、趙雲の顔は店の人間にも名前ごと割れていたので容易かったと言う。
 統括室の情報恐るべしと、馬超は内心冷や汗を掻いた。
、ああ見えて意外に焼餅焼きなとこがあるから、目の前でちょっかい掛けてやったら乗るだろうと思って。……まさか、ああ出るとは思わなかったけど」
「センパイ、まだまだデスよー」
 娘――の突っ込みに、は疲れたように頷いた。抵抗する気力もないらしい。
「好きなくせに、意固地になるから手に負えない、あの子らは」
 一人言じみた言葉に、馬超も深く頷いた。
 周りを巻き込んで大騒ぎに発展させるタイプだから、尚更手に負えない。
 厄介なのは、巻き込まれても二度と関わり合いになりたくないとは思えない、互いに人好きのする二人だという点だった。
「学習能力がないからな、あいつらは」
「まぁ、そんなコト言ったらよ」
 それまで黙っていた張飛が、不意に口を開いた。
「毎度毎度それに付き合う俺達も、相当学習能力がねぇってコトよ」
 違いない、と四人はどっと盛り上がり、出戻ってきた馴染みの店で仕切り直しを始めた。最初に注文しておいた品が、折り良く出来上がったところでつまみにも事欠かない。
 趙雲とは、この場に居なかった。
「後、一時間半ってとこデス?」
「あそこ、二時間だったっけ」
「ま、待たせときゃいいってことよ」
「ラブホの前で、ですか?」
 いい加減仲直りしろと、四人で強制連行して近所のラブホに置いてきたのだ。
 ご丁寧に、部屋まで取ってやり、その部屋のドアに入るまで皆で見送った。迎えに来るから逃げるなよと言い含めてある。
 本気で迎えに行くつもりだし、本気で迎えに来るだろうと分かっているだろうと踏んでいた。
 もしも逃げ出したりしたら、明日からとっても楽しいことになるぞとも言っておいたから、恐らく逃げることもないだろう。
 これに懲りて、ちっとは学習してくれたらいい、と言い合いながら酒を煽る。
 けれど、きっと学習してくれないんだろうなと、皆が皆こっそり考えているのだった。

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