もう、セックスしない。
突然の宣言に、夏侯惇は無言で応じた。
聞こえなかったと取ったのか、は同じ言葉を同じように繰り返した。
「もう、セックスしないデスよー」
「理由は」
が突拍子もないことを言い出すのはいつものことで、付き合いが長くなるにつれ慣れた。
突拍子がないと言っても、なりにそれなりの理由はある。
尋ねれば答えるし、夏侯惇の納得がゆくよう説明もする。
要は、忍耐だ。
忍耐を強いられる関係が健全かどうかは知らないが、幼い頃から面倒な親族の男と付き合ってきた故に、これもまた慣れている。
重要なのは、耐えようと思える相手かどうかの一点のみだった。
は、耐えてもいい相手だった。
何せ恋人だ。
成立までのプロセスに至っては、夏侯惇自身かなりあやふやで記憶も薄い。
通例の残業をこなしていた時、から不意打ちの口付けをもらい、口付けを返し、また口付けた。
こうして考えると、熱烈な片思いの果てに成就した恋のように感じるが、実際はそうではない。
は不思議な空気を醸す娘で、何処か常人離れしてさえいる。それでいてプライドは高く、白黒をきっちり付ける清冽さを兼ね備えていた。
子供のような見た目の癖に、急に大人びた表情を見せる。のんびりと行動するくせに、仕事には責任感が強い。
あやふや、あるいは滅茶苦茶なのだ。統一感と言うものがない。
凡そ夏侯惇の好みとは思えぬと、面倒な親族が断言していた。夏侯惇も、そう思う。
どうしてこの娘を抱き、どうして恋人として付き合っているのだろうか。
手順からして、夏侯惇の思惑の真逆を行く。
これまでの夏侯惇であれば、食事に誘うなりして好意を相手に知らしめ、相手も馴染んだ頃合に告白、付き合い始め、ある程度馴染んだところで触れるというのが常だった。
は違う。
口付けから始まり、ほとんど告白らしい告白もないままホテルへ赴き、そこでが処女だったと知り泡を食って自宅に連れ戻ると、何故かソファで続きに突入して無事に破瓜を済ませた。
すべて一日(というか数時間)で済ませた挙句、何だかよく分からないまま付き合いを続けている。
の言うセックスも、恋人同士ということで偶には致してはいたが、どちらかというと傍に寄り添ってのんびり過ごすことが多かった。
夏侯惇は無趣味だったので、自然とそうなることが多い。
今までの女と別れる羽目になったのも、先方が夏侯惇に退屈したからだろう。
それが悪いとも思わないし、悪かったとも思わない。
どうにもならないからだ。
仕事が趣味なのだと詰られれば確かにその通りだし、自分より仕事が大切なのかと問われれば否定も出来なかった。
その事実が相手にとって許し難い背徳であると言うなら、夏侯惇は離別を受け入れざるを得ない。仕事を辞める訳にはいかなかった。
もっとも、面倒な親族に言わせれば、それは夏侯惇が悪いらしい。
本当に仕事を辞めさせたがっている訳ではない、夏侯惇にとって己が一番大切なのだと思わせろ、甘い夢を見せろと強請られているのだと笑われた。
夏侯惇には、その甘い夢とやらをくれてやる度量がない。
言われた傍から胸焼けを感じ、無意識に手で押さえてしまう程なのに、どうしてそんな真似が出来ようか。
嘘でもいいと言われても、その嘘が堪える。面倒と言うより、不実に思えてしょうがないのだ。
一生女とは縁がないなと言われたが、今はこうしてが居る。
嘘の言葉など必要ともしない、言ったら無言で熱を測りだしそうな娘だ。
そう思えば、尚更貴重な存在に思える。
だからこそ、他愛のない遣り取りぐらいは甘んじて受け入れてやるつもりだ。
夏侯惇が問い掛けた『理由』をどう説明しようかと考えていたは、伏せていた視線を真っ直ぐ夏侯惇に向けた。
「セックスしてると、訳が分からなくなっちゃうデス。起きてるのに、周りが何にも見えなくなって、後、体がふわふわって浮き上がったりするデス」
「……それが嫌なのか」
は、困ったように首を傾げる。
「イヤってゆーか、だって、変じゃないデス?」
「変じゃない」
夏侯惇が断言すると、は目を見開いた。
「……変じゃ、ないデス?」
「お前の体が慣れたんだ……俺に」
余計だと思いつつ付け足す。独占欲の現われと取られてもおかしくないが、こと、に関しては事実を事実として詳細に話してやらねば要らぬ思い込みをしかねない。
は軽くパニックでも起こしているのか、目を丸くしたまま無言になってしまった。
こういうところは、よく出来たロボットか何かにも思える。計算がおっ付かなくて、中のコンピュータが凍ってしまっている感じだ。
初めて肌に触れた時は、ビスクドールだと思った。
人間扱いされていないと知ったら、はどう思うだろうか。
怒るだろうか。
笑うだろうか。
想像が付かなかった。
「変じゃ……ないデス?」
常になくしつこく訊いてくるを、夏侯惇はひょいと抱え上げた。
軽い。
そのまま居間を出ると、は鴨居に頭をぶつけないように身を縮こまらせた。
「惇さん、何処に行くデスか」
「寝室だ」
何故、と問いたげなの視線を流す。
時間としてはまだ早過ぎるかもしれないが、防音設備はそれなりきちんとしているマンションであるし、いつしようが結局は当人同士の問題だろう。
寝室のドアを開け、を運び込む。
「惇さん?」
「変じゃない、と言ったろう」
だから、教えてやる。
「実践?」
「……実践だ」
の軽口に真面目に付き合っていると、とてもではないが萎える。
適当に流して、こちらのしたいようにする方がいいのだ。
男として至極当然嬉しい言葉を聞かされただけに、夏侯惇は珍しくやる気になっていた。
「だって、ホントにふわふわって、頭の中真っ白になっちゃって、ぱーって。……ホントにおかしくないデス?」
「おかしくない」
俺が上手いだけだとは、さすがに軽口としても口に出しては言えない。の体が開発されたなどと言えば、それはそれでまたあらぬ誤解をさせそうだ。
実践して、これが普通なのだと言い聞かせるのが一番早い。
過去の経験から、夏侯惇はそう判断を下した。
は未だ納得し難い顔付きだったが、夏侯惇に組み敷かれるとおとなしく目を閉じた。