Warning: Use of undefined constant CHARSET - assumed 'CHARSET' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/thy/public_html/PA2/dream.php on line 25 Warning: Use of undefined constant CHARSET - assumed 'CHARSET' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/thy/public_html/PA2/dream.php on line 26 Warning: Use of undefined constant Off - assumed 'Off' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/thy/public_html/PA2/dream.php on line 30 謎の人事と謎上司

 TEAM魏においての張遼の評価は高くない。
 否、自ら下げているという方が正確なところだ。
 実力主義で鳴らしたTEAM魏で、仕事以外のことで評価を下げるというのはなかなかの難業なのだが、それをしたのが張遼だった。
 ある意味、人には真似できない『偉業』を成している訳だ。
 では、何が原因で評価を下げたのかというと、これが他のTEAMや会社の人間にはなかなか理解され難い。
 張遼の評価を下げる最たる理由、それは、『残業を好んでする』ことにあった。

 桂香が張遼の下に異動することが決まった時、仲の良い同僚の女性陣は、一様に微妙な表情を見せた。
 内部異動だったからこうなのだろう。外部からであれば張遼の評価はまず知られる類のものでもなく、TEAM魏への異動ともなれば、まず確実に栄転扱いになるからだ。
「……何かしちゃったの」
 何故、ではなく、何を『しでかした』と問われる辺りが、張遼の立ち位置の微妙さを物語っている。
 桂香は、紙パックのジュースに差したストローをくわえつつ、上目遣いに虚空を見つめた。
「んー」
 ストローが明るいオレンジ色に染まる。
 軽く喉を潤すと、桂香は口を開いた。
「……こないだ、司馬懿部長に呼び出されてさ。今、手持ちの仕事はあるかーって訊かれて。なかったからないっつって。それから、希望の所属先あるかって訊かれて、特にはっつったらこうなったっぽい」
 唯一の心当たりではあるが、かなりあやふやである。訊いた同僚も、どこか不満げだ。
「だって、そもそも仕事の内容が違うじゃん。いくら同じ事務だって言ったって、人事と総務じゃ扱う書類だって違うし」
 被る部分もないではないが、違うと言えば違ってはいる。同僚からしてみれば、仔細がどうあれ純粋に自分の負担が増えることになるので、不満を持つなという方が無茶かもしれない。
 しかし、内の一人が苦笑混じりに皆をたしなめる。
「まぁまぁ……ほら、あれじゃないの。桂香、結構マイペースなとこあるじゃん。張遼部長に対抗できる女子社員て、早々いないんじゃないー?」
 桂香を除く一同、一斉に『あぁー』と嘆息する。
「……何だ君達。それはちょっと失礼でないか?」
「失礼も何も。だって、私だったら張遼部長と面と向かって話すんのもヤだよー」
 怖いもん、と付け足された言葉に、やはり桂香を除く一同が頷く。
「怖い? かな?」
 首を傾げる桂香に、冷たい視線が注がれた。
「怖いかな? ……じゃないって」
「怖いよねぇ。ほら、いつだったか、ショーの途中で子供がぎゃん泣きしててさ」
「あぁ、あったあった! 親もヒス起こしちゃってさ、そもそも連れてくんなって話なのにねー」
「そうそう。それをさぁ、通り掛かった張遼部長の顔見たらさ、ぴたって泣き止んじゃってさぁー」
 周りで見ていた者の話では、張遼はちらりと一瞥しただけらしい。一瞥し、たまたま子供と目が合った途端、子供は引きつけでも起こしたかのようにぴたりと泣き止んだそうだ。
 ただし、その後少々話が続く。
 余程怖かったのか、その子供は失禁してしまったのだ。
 お陰で、一時とはいえショーが中断、裏方面子は予想外の事態に取り乱してしまい、TEAM魏の黒歴史とまで言われる汚点となっている。
「あー……」
 その騒ぎであれば、桂香もよく知っている。
 よく知っているどころか、実は皆が知らない事実も知っていた。
「あ」
 思わず声が出た。
「何?」
 声を聞き付けた同僚がいぶかしむが、桂香は曖昧に笑って誤魔化す。
 そも、人には言わぬよう口止めをされている。ここで暴露する訳にはいかない。
 けれども、ひょっとしたらあれが桂香の異動を決めたのかもしれないと思い当たっていた。
 今でもはっきり覚えている。
 開けっ放しになった男子トイレのドアの向こう、大きなスーツの上着を腰に巻いた男の子が泣いていた。上着があまりに大き過ぎて、袖や裾が当たり前にトイレの床に引きずられている始末だ。
 何事かと覗き込んだ桂香の視線の先に、その上着の持ち主と思しき男の背があった。
 見られていると気付かないのか、盛大に水しぶきを上げつつ一心不乱に何かを洗っている。
 ワイシャツの肩口まで濡れて色が変わっていて、桂香は何だか呆れたような心持ちに陥ったものだ。
――どうしたんですか。
 声を掛けると、男の子も男も振り返る。
 今にも喚き出しそうな男の子の頭をかいぐりと撫で回し、男の手元を見やると、男が洗っていたのはどうやら子供の下着らしい。脇には、やはりびしょびしょになった子供のズボンが引っかけてあり、ひっきりなしに水が滴り落ちていた。
「……着替えは?」
 男はしばらく桂香を見ていたが、やがて小さく首を横に振った。
「誰か、買いに行ってるとか?」
 首が横に振られる。
 男の子が、弱々しく泣き声を上げた。
 その頭をぐりぐり撫で回し、ぽんぽんと軽く叩く。目が回ったのか、男の子の泣き声が止んだ。
「じゃ、私買ってきます」
 すぐ戻るからね、と男の子に言付け、桂香はヒールとも思えぬスピードでダッシュする。
 近くの子供服売場を頭の中の地図で検索しながら、更に加速した。
 その後は、特に記するところもない。買った着替えを届け、男の子に着せるだけ着せてから持ち場に戻った。
 司馬懿には怒られたが、いつものことだからいちいち気にしてもいられない。
 すぐに仕事を再開して、それきり忘れていた。
 張遼と、接触らしい接触をしたのはその時限りだ。それでどうして異動の話が出るのか迄は分からないが、きっかけになったと考えるなら、やはりこの一件以外にはないだろう。
 訳が分からんなぁと桂香は思う。
 そして、この『訳が分からん』という気持ちは、この先しばらく桂香に付きまとい続けることになった。

  終

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