Warning: Use of undefined constant CHARSET - assumed 'CHARSET' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/thy/public_html/PA2/dream.php on line 25 Warning: Use of undefined constant CHARSET - assumed 'CHARSET' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/thy/public_html/PA2/dream.php on line 26 Warning: Use of undefined constant Off - assumed 'Off' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/thy/public_html/PA2/dream.php on line 30 今宵二人のバーは戦場

「ねぇ、振られたのだけど」
 会話を抽出した訳ではない。
 橙子が賈詡に歩み寄り、開口一番漏らしたのが上記の台詞になる。
 普通の神経を持ち合わせている人間であれば、まず仰天するか困惑するかのこの台詞を、しかし聞いていたのは賈詡だった。
「へぇ、珍しい」
 何に対してかは指摘しない。
 ただ話を促すのみに留められたが、橙子に気にした様子はなかった。
 人のまばらな静かなバーで、二人カウンターに並んでいる。
 氷を浮かべたグラスの中で、ウイスキーが冷えているのを確認するようにゆったり回す。
「珍しいかしら」
 橙子が小首を傾げる。
「珍しいね」
 賈詡が頷くと、 橙子はもう一度首を傾げた。
「私が振られることなんて、そんなに珍しくはないと思うけれど」
「珍しいさ」
 重ねて否定される。
「女史が付き合う前から振られるなんて、前代未聞だ」
 一瞬、あ、と小さな声が上がった。
「……そうね、それもある……の、かしら」
 橙子は左右に首を傾げ続けている。
 おもちゃじみたその仕草にも、賈詡はただ黙したままだ。
 その仕草が考え事をしている時の癖だと、長年の付き合いで理解しているのだ。
「今回、私から誘ったのだけれど……すぐ断られてね、こう言われたの」
――君は、俺を好きな訳ではないだろう?
 記憶に残る言葉をリフレインするように、橙子は小さく頷いた。
「私、びっくりして」
 賈詡の手の中で、氷が崩れ落ちる。
「……びっくりすることかな」
「びっくりしないかしら」
 橙子は、自身のグラスを形ばかり傾けた。
 すぐに離れたグラスの縁に、わずかに口紅の跡が残される。
「私、好きだと思ったから告白したつもりだったのよ。それなのに、どうして私が好きじゃないなんて分かるのかしら……」
 語尾が擦れて消えていく。
 衝撃を受けたのかと賈詡が衝撃を受けていると、やはりそうではないようだった。
「……そうじゃないわね、何と言ったらいいのかしら」
 橙子は一人悩んでいる。
 そして、答えを見出した。
「私の『好き』があの人の『好き』に当たらない、というのが、何だか不思議だったの」
 好きになれば、好きになった側から告白するのが当然だと考えていた。
 異論はあろうが、橙子はそう考えていた次第で、だから当然自分から告白した。
 それを、真っ向から否定された。
 断られるのは仕方がないにしても、自分の感情の真偽を指摘されるとは思っていなかったのだ。
 思わず、訊ねていた。
――私は、あなたが好きだと思ったのだけれど。
 返事は即きた。
――違うよ。君のその気持ちは、恋とかそういうものではなく、ただ、好感程度のものなのだろうと、俺は思う。
 有難いとは思うけれど、と付け足され、彼の口は閉ざされた。
 即答はおろか、断言するのも珍しい彼だった。
 しかも、それが他人である橙子の気持ちに対してとあって、橙子は何故だか考え込んでしまったのだった。
「好感程度というけれど、それは『好き』とどう違うのかしら。私、彼のことは今まで出会った人の中でも、かなり高レベルで『好感』を持っていたと思うのよ?」
 それが『好き』に値しないなら、何をもって『好き』だと判断すべきなのか。
「……女史の判断は、別に間違っちゃないと思うがね」
 賈詡にしては、どうにも言い難そうな物言いだった。
 苦手なのだろう。
「どこから間違ってないと思う?」
 橙子は気にしない。
 気にしていては、そもそも賈詡との付き合い自体が成立しないだろう。恋バナ程ではないにせよ、親しい付き合いを避けている節がある。
 現に、TEAM魏の職場で賈詡に関わろうとしているのは、 橙子を除けば郭嘉くらいなものだ。
 もっとも、橙子が意識して行動している訳ではない。
 万事、自然体でこうなのだ。
「うーん、敢えて言うなら最初から、何も間違ってはないよ。単純な話、お相手の求める尺が高水準だったってだけだろう」
 断りの文句としては陳腐だったからこそ、橙子には聞き慣れず引っ掛かるのだ。
 賈詡が下した判断は、妥当だろう。
 橙子は、微かに唸り声を上げながらグラスを揺らす。
「私、賈詡殿も好きだけれど」
 とんでもない方向から話が切り出される。
 自身の名を耳にして、賈詡は一瞬、己の頭がおかしくなったかとさえ疑った。
「これは、好意なの? まさか、恋なの?」
 続く言葉が、賈詡を冷静に引き戻す。
 小さく咳払いして、楽な姿勢を模索した。
「だから、女史。それを決めるのは女史だし、それを受け入れるかどうかの判断をするのは、相手の仕事になる訳だ」
 先の話で言うならば、橙子が恋をしていると思ったのだから恋だ。
 だが、相手がそれを認めない以上、相手方には 橙子の恋はカウントされないということになる。
「カウントしてもらうには、どうしたらいいと思う?」
「……やけに粘るね」
 色恋沙汰に執着しないのが、橙子という女の特色だと思っていた。
 相反する姿に、賈詡は何故か失望している。
 気取られぬよう、おどけた仕草で追撃すると、橙子はゆらゆらと首を傾げる。
「だって、嫌だわ」
「何が?」
「あの人が、ずっと一人でいるなんて、嫌だわ」
 賈詡は、思わず口を閉ざした。
「いい人なの。だから、その辺の変な女に引っ掛かって欲しくはないし、この世の中で一番いい女と恋して欲しいし」
 そのひとと出会うまで、幸せでなくては駄目、と、橙子は続けた。
「女史、ではなくて?」
「私は、世界で一番とかではないもの」
 さり気なく『いい女』であるとは認めている。
 が、橙子の主張を真に受けるのであれば、せめていい女でなければ繋ぎ役は担えないといったところか。
 上目遣いに中空を見上げると、何の気なしに疑問を口にする。
「具体的には」
 数多くのプレゼンで切磋琢磨してきた仲のせいか、迂闊にも追及してしまう。
 下手を打ったと気付いても、時既に遅しだった。
「それはまあ、セフレ? とか?」
 こちらに気のない相手に出来ることなど、そう多くはない。
 出来るとしたら、男性特有の『溜まる』症状の緩和くらいではなかろうか。
 力説されても、はいそうですねと頷ける話でもない。
「……いや、それも、どうなのかね……」
 せめてもの抵抗を見せるも、火の点いた橙子を抑えるには到底及ばなかった。
「と、いうと?」
 前のめりに身を乗り出され、併せて身を引く羽目になる。
 胸元の切れ込みが更に強調される形になるが、当の橙子がまったく気にしていないのが難点だ。
「というと、と言うと?」
「だから、どう『どうなのか』なのかしら。私、その手の行為はそれなりに得意にしているつもりだけれど、何か足りないかしら」
 見せびらかすように上半身を緩くねじって見せる橙子は、押しまくってくる。
「タイプでないのは重々承知なのよ、でも、素の私の方がセフレとしては後腐れないと思うのね?」
「女史、女史」
 なだめるように手のひらを振ると、ようやく橙子も姿勢を正す。
「駄目かしら、セフレ」
「……うん、取り敢えずその三文字連呼するのは自粛しておこうか」
 橙子が頷く。
「駄目? セフレ」
「うん、女史、わざと言わなくていい」
 澄ました顔でグラスに口を付ける橙子の横顔を、賈詡は疲労を隠して見遣る。
 恋愛を楽しむタイプだとばかり思っていたが、はまる時は呆気なくはまるらしい。
 常の飄々とした気風こそ変わらないが、ある意味一途な様には驚愕するばかりだ。
 こんな女だったかと呆れもするし、こんな女なのかと感動もする。
 何より、『女だった』と今更気付いた自分こそが絶句ものだ。
「……どう、というか」
 誤魔化すように口を開く。
 橙子の視線がこちらに向くのを認識しながら、賈詡は振り返らずにいた。
「抱く、というのも、男にとってはなかなかの重圧、というところでね」
 視線の圧力を感じ、目線だけ向けようとした瞬間、間近に橙子の顔があった。
 ぎょっとして背筋を反らす。
「具体的には?」
「……具体的、と言ってもなぁ」
 そも人によるし、繊細な問題であるから、説明し難い。
 賈詡が口籠っているわずかな間に、 橙子があらゆる意味で距離を詰めてくる。
「早いから?」
 スツールから引っ繰り返りそうになるのを耐える。
 しかし、追撃は止まない。
「小さい? 短い? 被ってるとか?」
「女史」
「単純に下手とか?」
「女史」
「あ、そもそも勃たないとか!」
「女史、落ち着こう」
 それらは、個々の問題であると同時に、夜のバーという状況においてもいささか不似合いな会話だろう。
 橙子はグラスを干し、残された氷を見下ろす。
「私は、そんなの気にしないけれど」
 本気で言っているのだろう。
「……男は、気にするかもしれんさ」
 賈詡は、曖昧にぼかした。
 常の悪い癖だと思ったが、この期に及んで変えようもない。
 それを許してくれない女と並んでいることも、どうしようもなかった。
「賈詡殿は?」
「……うん?」
 二人の視線が真っ直ぐに絡む。
 指が絡むように密着した視線に、自然と二人の顔が近付く。
 吐息が触れる程の近さで、橙子の唇は言葉を紡いだ。
「早いの?」
「……うん?」
 沈黙が、二人の間に沸き立つ熱を打ち消した。
「賈詡殿って、あんまりセックス好きそうに見えないけど、でも、意外に意外かもしれないって……」
「うん、誰が言ったのかな?」
「うん、郭嘉殿よ?」
 再び沈黙が落ちた。
 賈詡は、カウンターの隅でグラスを磨くバーテンを手招いた。
「お代りをもらえるかな。ああ、郭嘉殿にツケで」
 賈詡と 橙子の前にあるグラスを示すと、バーテンは静かに頭を下げた。
 冷静なジャッジに定評のあるバーテンダーには、某曹操という無敵の後ろ盾が付いており、殊TEAM魏の社員は頭が上がらないという噂である。
 噂は噂に過ぎないが、賈詡と 橙子の前には郭嘉にツケられた新しいグラスが置かれる。
 二人は、黙してグラスを傾けた。
 本日の『対戦』は、これにて終了である。

  終

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