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バイクのエンジン音が、葵の鼓膜を震わせた。
くるりと振り向くと、道路に身を乗り出すようにして手を上げる。
左折してきたバイクが、葵の横でスピードを落とした。
左足が地面に着くと同時に、ヘルメットのシールド部分がぱかりと開く。
「タクシーじゃねぇんだよ」
言葉の調子に合わせるかのような不機嫌そうな顔をして、甘寧は葵を睨め付ける。
「いーじゃん、乗せてけよ」
対する葵は毛ほども気にした様子もなく、へらへらと笑っている。甘寧の返事すら待たずにガードレールに手を掛けるのを見て、開いていたシールドは手早く閉じられた。
「やなこった。せいぜい歩け」
その言葉だけであったなら、葵は決して怒りはしない。
閉じた直後、聞こえることを意識したのかしないのか、まったく定かでない部分を聞き分けてしまったことで、葵の癇癪は容易に爆発した。
それが、葵最大のコンプレックスを直撃するものだったからかも知れない。
――いいダイエットになんだろ。
「この」
思わず振り上げられた拳から逃げる為とは思えぬ程に、甘寧のバイクは華麗なスタートを切る。締まった体付きを強調するような薄手のジャケットは、あっと言う間に遠くなり、視界の彼方に消え去った。
風邪でも引いちまえ、と内心悪態を吐いてみるが、真冬でも薄着で通す筋金入りの健康優良児には、望むべくもない天罰と言えよう。
とはいえ、葵自身も細かいことにこだわる性質ではない。関心は小憎たらしい甘寧よりも、男の割に締まったその腰付きの方へとあっさり移行する。
腰骨の辺りに手を遣ると、女として考える以上に張り出している気がする。
骨格がしっかりしているから、という言い訳が真っ先に浮かぶが、決してそれだけでないという自覚も、葵の心底にしっかり根付いているのだった。
ふと目を向ければ、鏡のように艶やかに磨き上げられたショーウィンドウに、葵の姿が映っている。
――太い、よなぁ、やっぱ……。
元々身長が高めの葵である。
数値上では決して太っているとは言い難かったが、いわゆる『細身』とは縁遠い体型だった。過剰になりがちな理想の法則に則って、葵が脳裏に描くのが更に一段上の『華奢』な体型であるから、現実への駄目出しはヒートアップするばかりである。
張り出し過ぎる(と葵は嘆いている)胸を隠すボディウェーブの毛先を無意味に引っ張って、何とか少しでも細く見せられないかと工夫をこらすが、それくらいで何とか出来るなら悩みはしない。
ものの数分も経たぬ内に諦めを付けて、再び会社までの道のりを歩き始めた。
葵が会社に着き、自分のデスクに鞄を置くなり声が掛かった。
周瑜だ。
振り返ってその表情を確認し、葵は軽く首をすくめる。
「……こちらの言いたいことは、分かっているようだな」
「さーせん!」
深々と頭を下げて差し出された手のひらの上に、周瑜は溜息を吐きつつ書類の束をぽんと乗せた。
「訂正して、午後一で提出するように」
「うぃーす」
それなら余裕である。
感謝の意を込め敬礼で返した葵に、周瑜は心底嫌そうに口元を歪めた。
生真面目に過ぎる周瑜にしてみれば、葵のような女はどうしても苦手なのかもしれない。
葵の方はまったく気にしていないのが、ある意味笑える話であった。
「またかよ」
呆れた口調の中に、揶揄するような笑みが含まれている。
今度は、先程葵を抜かしていった甘寧だった。
「うるっさいな、お前にだけは言われたないわー」
ミスの数では引けを取らない二人である。こんな会話も、お約束の一つだ。
厳密に言えば、葵の方が年齢も役職も上なのだが、それを気にしないのも二人の間のお約束である。
「なぁ」
「ん?」
「お前ぇ、あの道だったっけ?」
噴き出しそうになる。
昨日までは、会社の真ん前にある駅で降りていた葵だが、今朝からは隣の駅で降りて、一駅分歩くようにしていた。
無論、ダイエットの為である。
人には、分けては甘寧には、嬉々として話したいと思えるようなことではない。
ダイエットに関してだけは、どうにも誰にも知られたくない。葵本人としても、なかなかに不思議なことだ。
けれども、嫌なものは嫌なのだ。
こればかりは理屈でない。
「……実は、好きなコーヒーショップがあそこの途中に出来たんだよねー。だから、さ」
あらかじめ『証拠』として用意していた言い訳である。
ほれ、と鞄からタンブラーを出して見せた。
そのタンブラーを、甘寧が何の気なしに取り上げる。
あまりに自然だったので、勢いのまま飲まれるまで、葵はぽかんと見守っていた。
「……ん甘っ!!」
「ちょ、この、バカッ!」
我に返ってタンブラーを奪い返す。
「今日、限定発売したばっかの、『ホワイトクリスマス仕様キャラメルマキアート』だぞ! まだ、味もみてないってのにっ!!」
「バカお前ぇ、『超クソ甘泥水』の間違いだろ」
うぇーと呻きながら喉を押さえる甘寧の膝下を、葵は軽く蹴って追い払う。
折角楽しみにしていた新作を、よりにもよって甘寧に先に飲まれ、挙げ句馬鹿にされ、葵の怒りはあっさり頂点に達する。
甘寧は葵の足を素早く避け、小走りに退散していった。遠巻きにまた何か言っていたようだが、そっぽを向いた葵の耳には届かない。
「まったく」
むっとして、椅子にどさっと腰を下ろす。エア式の椅子が、わずかに沈んだ。
そんなことも、面白くない。
「むぅ」
憤りが晴れないままに取り戻したタンブラーを傾けると、微かに苦い甘い液体が口に広がる。
途端、葵の胸一杯に幸せが満ち溢れた。
――何が泥水か、こんなに美味しいじゃん!
甘寧の味覚がおかしいのだと、葵は脳裏に浮かぶ甘寧を悪し様に罵る。そも女性に人気のコーヒーショップだったから、見るからに男男した甘寧の舌に合う筈がないのだ。許しもなしに、一口とはいえ横取りするなど、甘寧の癖に百と八年早い。
「……さて」
散々愚痴って気が済むと、周瑜に返された書類を広げる。
「……えと」
葵の眉根がきゅっと寄る。
どこを間違えたのか、聞くのを忘れた。
膨大な数字の羅列を前に、葵の額にじっとりと汗が浮かぶ。
午後までの猶予が、急に短く感じられた。
半泣きになりながら書類チェックを始めた葵の横で、キャラメルマキアートがゆっくり冷めていくのだった。
終