バレンタインの日、の元には相応のチョコレートが届けられた。
基本的にTEAM間のやり取りがない職場にあって、それでも一部男性社員の元には、他TEAMの女性社員からの贈り物が届けられている。
送り方に色々と工夫が必要だったが、やって出来ないものではない。
ただ、出来ると一口に言ってもやはりある程度の工夫が必要なものだから、他TEAMの男性社員にバレンタインのチョコレートを贈る、ということにはそこそこ深い意味が込められている。
言わば、本命チョコと言ってもいいだろう。
故に、他TEAMからの『お届け物』は、ある意味男性社員のステータスシンボルと化していた。
の手元に届いたチョコレートの中にも、幾つかは他TEAMの女性社員からのものが紛れ込んでいる筈だ。
けれど、がそれを喜んでいる様子は微塵もない。
どころか、チョコレートの存在を疎ましく思っている気配すら漂っている。
もらったのは昨日だと言うのに、翌日まで職場に放置され無造作に袋に突っ込まれたチョコレートを見たら、送り主はさぞ悲しむことだろう。
それぐらい乱雑な扱いだった。
「少しは、嬉しくないものですか」
珍しくも諸葛亮がペンを止めたのは、そんな女性達の怨念によるものだったかもしれない。
は不機嫌そうに諸葛亮を横目で見ると、書棚の整理をする手を止めずに答えた。
「いいえ、全然。貴方は、私が嬉しくない理由もご存知の筈ですが」
つっけんどんな物言いに、諸葛亮は軽く肩をすくめる。
「貴方の『理由』と贈り物を喜ぶ気持ちはまったく別のものでしょう」
何を苛立っておられるのか、とわざとらしく付け足す。
その些細な付け足しが、の胸をどれだけ抉るか知らずに居るのだろうか。
否、そんな筈はない。
この、諸葛亮と言う男に限って、意図のない差し出がましさは有り得ないのだ。
すべて計算と計略に基いてのことである。
そう断言させるに足るものが、諸葛亮には有る。
「今日に限って言えば」
苛立ちが滲み出ている。
隠しきれない自分の青さが、そうさせる諸葛亮の狡猾さが憎い。
「嬉しいどころか腹立たしいですよ。こんなおべんちゃらに付き合わされる、自分の『理由』が恨めしいくらいで」
「ならば、捨てればよろしい」
間髪入れぬ手厳しい言葉に、は声を飲む。
「……そうですね」
声が震える。
苛立つ。
「そう、しましょうか。どうせ報われない気持ちだ、このままこの職場を去って、新天地でやり直すのも悪くはない」
「それは困ります」
またも間髪入れぬ諸葛亮に、は堪え切れず、憎々しい視線を諸葛亮に向けた。
だが。
待っていたかのように、諸葛亮はを見ていた。
弾き飛ばされるように視線を逸らす自分を、は、弱い、と吐き捨てたくなった。
諸葛亮はあくまで涼しげに、柔らかな笑みを浮かべてを見詰める。
「貴方に辞められては、私が困るのです。以降、そのような戯言は申されませんように」
戯言などではない。
本気で辞めたいと、出来得ることなら今すぐにでも辞めたいのだと、切なる願望はの喉元まで出掛かっていた。
しかし、叶わない。
辞めてやると言えたらどれ程楽になることか、甘い想像は心地よい開放感を以てを誘うが、が誘惑に乗ることはなかった。
解放より遥かに心地よい囚獄が、をしっかり咥え込み離さずに居る。
祝福されざる恋の形に苦しんでいるのは、常に一人だというのに、どうしても目の覚めない悪夢を見ているような気持ちにさせられる。
「」
呼び掛けられ、胆が冷える。
同時に、腹の底の底から白い蛇が、むくっと鎌首をもたげたのが分かる。
冷却と沸騰、常に同時に感じる二つの熱量は、決してを逃さぬ常習的な快楽をもたらしていた。
股間で隆起する肉を感じる。
嫌悪しても、その事実は変えられない。
諸葛亮のデスクを回り込み、傍らへと回り込む。
開いた足の間に入り込むと、未だ手にしていたファイルを諸葛亮のデスクの上に投げ捨てた。
ファイルも、机の上にあった書類も、まとめて乱雑に飛び散る。
「大事な資料なのですよ」
笑いながらを見上げる諸葛亮の目は、いつも冴え冴えとして冷たい。
恐怖しつつも強く惹かれる。
下世話に言えば、怖いもの見たさと言う奴か。
後にも先にも引けなくなって、初めて後悔する羽目になると分かっていても尚、は自分を止められなかった。
背もたれに押し込むようにして諸葛亮を拘束し、その唇を思う様吸い上げる。
甘くて、痺れた。
肌の表面がじんじんと熱く疼いて、諸葛亮の体に己の身を押し込んで鎮めようとするのだが、疼きはその度合いを増すばかりだ。
「今日は……私と」
休日出勤に付き合って出社したのは、諸葛亮からの直接の指示であった。
思い掛けず二人きり、フロアの静かな空気に、やましい気持ちをくすぐられても致し方がない。
諸葛亮はくすりと笑った。
侮蔑の笑みに感じられた。
「今宵は、妻に付き合う約束ですから」
バレンタインですから。
傲慢に、勝ち誇ったように告げられる。
は泣きたい気持ちを堪えて諸葛亮を睨め付ける。
妻のある身云々以前に、同性に対してこうも激しい感情を抱くことになろうとは思わなかった。
以前は普通に女性を見、女性を好んだ自身が信じられない。
今のは、諸葛亮の虜と化していた。
それも、その気があったということでもない。
理解できないことに、女のみならず他の男にも目もくれない。
諸葛亮だけにしか興味を持てなくなっていたのだ。
「……私を、解放して下さい」
恋だとさえ思えない、諸葛亮が何らかの手管での心を縛ったとしか思えなかった。
何を馬鹿なとも思う。
けれど、諸葛亮なしでは生きていけないと思い詰めている自分が、哀れで惨めで狂おしかった。
諸葛亮は哂う。
「ですから」
の頬を撫で、顎を伝って体の中心線をなぞり、猛々しく膨れ上がった欲の証に触れる。
「ご自由に。私とこのような真似をなさらねばよろしい。私も、貴方が嫌だと仰るのであれば、二度と同じ過ちは致しますまい。ですが、辞めてもらっては困ります」
惨いことを平気で言う。
の肉を引き摺り出し、露にして弄ぶ諸葛亮の指を、しかしが振り払うことは出来ずに居る。
息が上がり、涙目の情けない顔で、中腰になって腰を揺らめかしている。
みっともないという自覚はある。
何の役にも立たない、鬱陶しい自覚だった。
達する直前、諸葛亮の手は離れた。
が思わずその場にへたり込み、恨みがましく諸葛亮を見上げると、目線の位置に諸葛亮の肉が晒された。
「夜は妻と約束がありますが」
柔らかい笑みを浮かべる目に、の惨めな姿が映っている。
「今であれば。……その為に、貴方を呼び立てたのですよ」
囁くような声は、鞭打ちの鞭と変わらぬ激痛を伴う。
適当な駒として利用されているだけだと分かっていながら、忙しい職場でそこそこ役に立つだけという身の上でありながら、最も低俗な理由で縛られて便利使いさせられている自分を、は心の底から呪った。
それでも、どうしても諸葛亮の傍から離れられない。
泣こうが、叫ぼうが、この呪わしい関係を切り捨てることがには出来なかった。
自分は愛しているかもしれない、だが諸葛亮は違う。
ひょっとしたら勘違いして愛していると思い込んでいるだけなのかもしれない、けれど諸葛亮に捨てられたらと考えると、小便を漏らしてしまいそうなくらい恐ろしくなった。
如何な手を使ったのか。
真実がどうであれ、がその事実を知ることはないだろう。
知ることが怖いからだ。知ったら、終わってしまいそうで、恐ろしい。
だからは、盲目の獣のように与えられるまま諸葛亮を貪る。
永久に続く、連鎖のようだった。
ならば終わりはない。
悲鳴を上げたくなる程、ほっとした。
は泣きながら、諸葛亮の肉に食らい付く。
諸葛亮のものだと言うだけで、全身が鳥肌立つような快感に震える。
触れても居ないの肉から、透明な雫がぽたぽたと滴り落ちた。
は咽び泣き、諸葛亮は静かに哂う。
無邪気に愛を謳う日に、救い難い戯れがの心を腐らせていった。
終