■武人として・・・


暗い廊下を男は一人歩いていた。
冷えた夜気が、男の頬を撫でる。

ここは許都。
帝の住まう帝都であり、彼が歩いている廊下は国政の中心にある許城の一角にあった。

男は個人用に与えられた執務室へ入り、さらにその奥にある仮眠室へ入る。
彼は都内に屋敷を与えられていたが、この夜は彼の主より呼び出しを受けていたため、
従者には戻らないと伝えていた。

「・・・・」
簡素に整えられた寝台に横になると、天井を見つめた。
先ほどまでのやり取りを思い出す。


「そなたに合肥守護を任じる。」
合肥は彼が仕える主の治める曹魏と孫呉との国境にある前線基地である。
北進の気配を隠そうとしない孫呉に対して一番の牽制になっている重要な拠点であった。
「李典と楽進を派遣する。ともに合肥の戦線を死守せよ。
 軍備の配置、人材の選抜についてはそなた達に一任する。」
「承知いたしました。」
「三将の辞令については、明日の朝の軍議で公表する。今宵は休め。」
「はっ!」


これまでは攻めることが多かった。
騎馬の機動力を最大限に活かして攻めることだけを考えていた。
しかし今回は違う。
守るのは城であり、土地であり、すなわち人なのだ。
長い戦になるのは必至だ。

寝返りを打つ。
人材の選抜・・・。
前線基地である合肥、そこへ臨む者は生半可なものではだめだ。
実力も。覚悟も。
明日は兵舎を回ってみよう。

そこまで考えてから、男は目を閉じた。


******************


いちに。いちに。いちに。いちに。
朝靄も消えない広場を走る姿が一つ。
春の終わりとはいえ朝はまだ寒く、吐く息は白い形を成していく。
それに対して、額にはすでに汗が流れていた。

「ふう。」
朝の日課の一つを終えると、彼―いや彼女は手ぬぐいで汗を拭った。
上気した肌に、ひやりとした空気が心地よい。
彼女はこの都に仕える兵卒だった。

強くなりたい。
そう志し、都へ入ったのはいつの頃だったか。
そして、その目標となる人物と出会った。
それ以来、いつもその背中を見ていた。
いつかは並び立ちたい。
そして、力になりたい。
そのためには、更に強くならなきゃ。
あのお方を超えなきゃ、並べない。


「お早うございます」
「おお。お早うございます。」
広場に面した回廊から声が聞こえる。
官職にある人が出仕してきたらしい。
「今朝の軍議ですが・・・殿はどうやら西へ向かわれるようですよ。」
「殿自らか。南はいかがなさるのか?」
「合肥に張将軍を派遣なさるとか。」
「ほう。蕩寇将軍をか。」

・・・・・・・。
張将軍。蕩寇将軍。
指す人物は一人だった。
少女、夢維は練習用の棍を握ったまま駆け出した。


********************


軍議は閉じられ、群臣たちは解散する。
魏将・張遼はその場に留まり、軍師により赴任先―合肥の地形風土について一通りの説明を受けた。

「とまあ、こういったところです。詳細は現地で得られるでしょう。」
「はい。ありがとうございます。」
「ところで、現地に派遣になる軍ですが、推挙したい者がおりまして・・・」
「そうですか。是非一度お会いしたいものです。
 合肥は南の要、死守すべき土地と考えてます。ともに守れるお方でしたら、是非とも。」
男は立ち上がる。
「あ。どちらへ?」
歩き出した張遼に男は声をかけた。
「調練場が開いている間に兵の動きを見てまいります。出立まであまり時間がありません。
 もっと集めなくては。」
一礼し、退出した。



「張遼様!」
部屋を出てきたところで声が掛かる。
足を止め、振り返ると兵卒姿の小柄な少女が立っていた。
「夢維か。」
目を細めた。

以前はともに戦ったこともある。
それ以来、出会えば親しげに挨拶を交わす間柄であった。

久しぶりだな・・・
そう告げようとした張遼に夢維は折りたたんだ紙を差し出した。
「?」
張遼がそれを受け取った瞬間、夢維は踵を返して走り出した。
「?」
なんだこれは?
声をかけ損ね、張遼は手元に残った紙に目を落とす。
紙の表書きには『桃戦状』と書かれていた。
ももせんじょう?


**********************


「おい」
「は・・・はい。」
突然現れた男、張遼に夢維は驚いた表情を返した。

驚いているのは、男と出会ったこの場所であった。
兵士の食堂である。
男は、配給用の盆を持っていた。
対する自分は・・・割烹着に右手にお玉という姿である。


「配膳の当番か?」
男は苦笑している。
「はい。」
将軍ともなると食事は個人の執務室で取る場合が多い。
一部の将軍は食堂でとる事もあったが、このように盆をもった彼の姿は珍しかった。

「そなたがくれた書簡だが・・・字はもっと丹念に練習した方がよいぞ。」
「?」
突然切り出された言葉の意味を掴みかねて、夢維は首を傾げた。
「ももせんじょう・・・・」
「ももせんじょう?もも・・・・・・あ!」
字間違えた!?
「受けて立とう。首を洗って待っていろよ。」
張遼は僅かに笑った・・・ような気がした。
「・・・・」
「それより・・・後が支えている。昼の定食を頂きたいのだが・・・」
「あ!すみません!」
見とれてしまっていた。
慌てて止まっていた手を動かす。


***********************


「来てくださってありがとうございます。」
夢維はぺこりと頭を下げた。
「構わん。私もそなたの実力を見せてもらいたかった。」
「はい。全力で参ります!」
練習用の棍をもった夢維が構える。
「戦場のつもりでかかって来い!」
張遼も構えた。


夢維は駆け出した。速い!
張遼は手にした棍で受け止めた。
夢維は巧みに棍を操り攻撃を繰り返す。
素早いが、一撃も決して軽くない。

張遼はほうと息を漏らした。
鍛錬を積んでいるのは分かる。
毎朝早く起きて自主的に練習しているのも、知っていた。

何合目か、打ち合わせた時に、夢維が体勢を崩した。
張遼はその隙を付き、棍を繰り出す。
ぐいっと夢維が体をひねる。
背を撃とうとした張遼の棍は空を斬った。
夢維はそのまま転がり張遼から少し離れて体勢を立て直した。

やはり、一筋縄ではいかんな。
内心舌を巻き、構えを取り直す。

「でぇぇぇぃっ!」
再び夢維が斬り込んでいる。
張遼は同様に棍で払う。
軽い?しまったと思った時には夢維は懐まで入り込んでいた。
「!!」
素早く体を下げ、後退する。そこを夢維が素早く攻め込んでくる。
さらに打ち合わせること数十合、お互いに決定打を打つことができずにいた。


夢維の棍が。舞う。
もはや何合合わせたかも分からなくなった頃のことであった。
棍はカランと音を立てて地面に転がった。
張遼は荒い息を整え、構えを解いた。
「さて、勝負・・・」あったな。そう言おうとした張遼は自分の目と耳を疑った。
「まだまだぁぁぁっ!」夢維が駆け出し、張遼との間合いを一気に詰めてきたのである。
!!?
繰り出された右拳を張遼はかろうじてよける。
とっさのことでバランスを崩した張遼は後ろに大きく跳び体勢を立て直す。
「何のつもりだ」
夢維を見据える。
「戦場のつもりです。」
張遼は一瞬目が点になったがすぐにふっと緩めた。
「面白い。来い!」
夢維が再び駆け出した。

速いな。
もともと身軽で素早い夢維であるが、今は得物を持っていないためそのスピードが最大限に活かされている。
張遼は手にした棍で防ぐのが精一杯だった。
うかつに攻撃に出ればあっという間に懐に入られてしまうだろう。
柄の長いものよりも短いものの方が合っているのかもしれぬな・・・。
練習用の棍には様々な長さが用意されているが、夢維は長めのものをよく用いているようだ。
一瞬夢維の体がふっと沈み、次の瞬間には張遼の目の前にあった。
!!?
とっさの判断で左にかわす。
夢維の拳が胸を掠める。
歴戦の士だからこそできた反応であった。
夢維の左足が思い切り蹴り上げた。
今度は少し余裕をもってかわす。

加速した?いや、この一瞬を狙って以前から徐々に速度を落としていたのだ。
なんというやつだ・・・
よけ損ねた胸がじわりと痛む。
もしも寸鉄を持っていれば討ち取られていたかもしれない。
張遼は背筋に冷たさを感じた。が、すぐにそれが冷ではなく熱であることを感じた。
体が・・・熱い・・・

そう、その眼だ。
その闘争心。
対峙しているときの血が熱くなる感覚。
もっと、感じたい。もっと。もっとだ。
張遼もまた棍を捨てた。

武器を捨てた張遼は向かってくる夢維に拳を突き出す。
夢維はさっと体勢を低くしてかわし右拳を突き出す。張遼は左手でそれを受け止めた。
びり。
左腕が軽く痺れる。重い。
夢維は素早く拳を打ち込む。
張遼は左右の手で叩き落とし、右足で蹴り上げた。
宙を舞った夢維が体勢を直し、構える。
殴り合いの喧嘩のような試合が続く。
二人とも体中泥だらけで、あちこちすり傷だらけであった。

強い。
夢維は張遼の拳を両手で弾きながら思った。
弾いているのは、単に張遼の拳が重過ぎてまともに受けられないからである。
弾いている手の動きも次第に重くなっていく。
弾きそこなった拳はいくつか夢維の体にあざを作っていた。
これが最後。
そう思って挑んだ。
程なくして張遼様は合肥へと行ってしまわれる。
そこはとても遠いところだから・・・これが最後になる。
だから、諦めないで最後まで全力でぶつかってみたかった。

まさか、武器を捨てられるとは・・・・
思いもしなかった。
武器なしの張遼様がこれほど強いとは・・・
ドクン。
心が。躍る。
もう少し。
感じていたい。

勝敗を決めたのは一瞬だった。
疲労のたまった夢維がバランスを崩した瞬間、張遼が勝負に出た。
張遼は渾身の一撃を夢維の胴めがけて突き出す。
しかし、夢維もまた渾身の力を振り絞ってその腕を掴み・・・
でぇぇぇぃっつ!
!?
世界が一転した。

張遼は自分の目に高く昇った太陽が映っているのを感じた。
眩しいな。
次の瞬間すさまじい音とともに地面に背中から叩きつけられた。
立ち上がろうとするが、すでに押さえ込まれていた。

「見事。」張遼は仰向けのまま息を整えながら言った。
「しかし・・・」
「――――」夢維も荒い息を整えようとしていた。
夢維の頬を伝う汗が、顎の先まで流れ、雫となって、張遼の服の上に落ちる。
「すごい格好だな」
「!!」
夢維は仰向けに転がされた張遼の腹の上に跨っていた。
夢中で気付かなかったとはいえ、はしたないにも程がある。
「あわわ。ごめんなさい。」
慌てて立ち上がろうとした夢維の膝が張遼の腹を圧迫する。
「!!」
張遼は苦悶の表情を浮かべた。
「ごっ・・・ごめんなさい!」
・・・・・
・・・・
・・・
・・



*********************


結局、張遼の合肥派遣・・・というより、曹魏の西征自体が一週間ほど後れることとなった。
理由は・・・集団食中毒である。
昼食の後、未の刻には調練が再会されるが、その頃お腹に不快感を訴える者が急増した。
その日に許城の昼定食を食べた者にのみ症状が現れたため、食中毒と断定された。


「もう泣くな。」
「―――――」
「大丈夫だから、泣かなくてよい。」
運悪くその日に配膳係りを担当した夢維は(他にも担当は沢山いたのだが)、
ひどく落ち込んでいた。
「私が気が付いていれば・・・。」
そんなことは無理だろう。
そう心の中で思いながら魏将・張遼は軽く目を瞑った。
彼も犠牲者の一人である。

「まだ、苦しいですか?」
心配そうな顔が覗き込む。
「いや・・・大丈夫だ。」
夢維は枕元に置かれた桶に浸された手ぬぐいを絞り、張遼の額にのせた。
実は、夢維は配膳の仕事が忙しすぎて、昼食にありつけなかったのである。
自分から『桃戦状』を出したものだから後れるわけにはいかず、
非常食の乾パンを頬張って駆けつけたのだった。
張遼から一本取れたと喜んだのもつかの間、一気に気分は奈落まで落ちた気分であった。
ついでに言うならば、張遼に止めをさしてしまったのも自分だった。
腹に入った膝が・・・
「・・・・」
重い空気が体全体を覆ってしまった。そんな気がする。


「・・・夢維。」
「はい。」
呼ばれ、俯いたまま応える。
「私とともに合肥へいってくれぬか。」
「!?」
意外な言葉に弾かれたように顔を上げると、真っ直ぐな視線とぶつかった。

「危険な場所だ。命を落とすことになるやもしれぬ。ここには戻れないかもしれぬ。だが・・・。」
張遼は一旦言葉を区切り、続けた。
「私はそなたとともに戦ってみたい。」

真摯な眼差しに、言葉は返せなかった。
代わりに新たな銀のしずくが頬を伝う。

「それは・・・どう取ればよいのだ?」
そんな夢維の反応に張遼は苦笑を返した。
その中には僅かではあるが、狼狽の色が現れている。
敏く読み取った夢維は、慌てて涙を拭うと、顔を上げた。
真っ直ぐな視線が交叉する。

微笑む。
「・・・・私の全てをかけて・・・お守りします。」
「それは心強いな。宜しく頼む。」
「承知致しました。」



一週間後、張遼は七千の兵を率いて、南の要・合肥へと出立した。
その傍らには一際小柄な兵の姿があったという。

【むう様のComment
本編のEDで将来を予感させるような、いいEDを頂いたので、勝手に「未来予想図」してみました。
双屋さん、素適なお話をありがとうございました!
乱文、失礼致しました。

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