■愚行

 呂布の鬱憤が溜まり続けている。
 傍目から見ている蔡紫には、肌で感じられる程の有様だった。
 強者を求めてこんな得体の知れない山くんだりまで赴いたというのに、肝心の『獲物』が気配もないとあっては仕方がない。
 そうは思うが、ではだからと言って蔡紫が相手になれる筈もない。体を使うのは専ら『夜の秘め事』と決めている蔡紫には、不必要な筋肉など楽しみの阻害にしかならない。必要以上に鍛えて、体が固くなったり柔らかな胸乳が引っ込んでしまったりしては大事だ。
 第一、呂布の相手がまともに務まるのは、蜀の美髯公くらいのものだろう。今は魏に降った張遼でも、五分に持ち込むのは至難の業だと思われる。
 訓練と称して手が抜ける男ではない。
 そんな呂布が訓練などしたら、本来の目的を逸脱して死人の山になってしまう。
 当人は、死者を悼むどころか『惰弱の極み』と吐き捨てるに違いない。
 覚られぬよう溜息を吐き、こんな男の何処がいいのかと、ふと、可憐な舞姫の相貌を思い浮かべた。
「……こうも何もないと、貂蝉様への土産話にも事欠いてしまいそうですわね」
 さり気なく、あくまで自然を装って話し掛ける。
 呂布の目が鋭く蔡紫を捉えるが、その光に敵意はない。不機嫌から目付きが険しくなっているのだろうと察しを付け、話を続ける。
「せめて、何か……あの、張コウとか仰る方が話してらした、花の一輪でも手土産にしたいところですわね」
「貂蝉は、土産を強請るような女ではない」
 返答の内容はともあれ、呂布が話に乗ってきたということは、蔡紫がこの話を続けてもいいということだ。
「そうなんですの? 私は、好いた殿方から贈り物をいただけると、物がどうであれ、嬉しく思いますけれど」
 物がどうであれ、に力を篭める。
 実際、蔡紫はそんなところがあった。
 移り気故に誤解されることもあるが、特定の生き物がそうであるように、付き合っている時は一人きりと決まっている。
 蔡紫が別れを切り出すこともあるが、相手から別れを切り出されることもまた、少なくない。
 噂に踊らされたり、独占欲を剥き出しにされて腹を立てると、大概の男は『やっぱりお前はそういう女だったんだ』と怒鳴りだし、それで別れてしまうのだ。
 不思議なことに、別れてしまうとそれきりになってしまう。
 未練もない。思い出すことすらほとんどない。
 昔、それはお前が恋をしていないからだと笑われたことがある。
 お前のそれはただの遊びで、本当の恋ではないよ、本当の恋は、もっと。
 そこまで考えて、もっと、の続きは何だったろうかと首を傾げる。
「そんなものか」
 呂布が面倒そうに吐き捨て、蔡紫は我に返った。
 一瞬にも満たない回顧だった。
「そんなものですわ。それは、心で思うのは誰しもするでしょうけれど、その方から賜った品があれば、その方の思いを形にしていただいたような気が致しますもの」
 好きな男が好きだと言う思いを篭めて贈って寄越した品。
 それだけで、その価値は何にも代え難い尊いものと化す。
 蔡紫はそう思う。
 だから、逆に相手が好きでなくなれば、その品の価値も当然消えてなくなる。塵同然の品となり、打っちゃっておこうが売り飛ばそうが、微塵も気にならなくなるのだ。
「物は、物に過ぎん」
 ところが、呂布はあっさりと否定した。
「物に託す程度の安い想いなど、くだらん」
 あら、とカチンと来るものがあった。
「……愛する方のお傍に居たいと思えばこそ、いただいた品を肌身離さず大切にしたい。それは、可笑しなことでして?」
 蔡紫の言葉に、呂布はくだらん、と繰り返した。
「傍に居たければ居ればいい。そうしないのはお前の勝手だ。そうさせないのは男の勝手だ」
 ならば、と続け掛けた言葉を、蔡紫は飲み込んだ。
 今、貂蝉が呂布の傍に居ないのは何故だと詰め寄りたくなったのだが、それが単なる水掛け論の発端にしかならないと覚れたからだった。
 呂布は強者を求めてここに来ている。
 愛しい貂蝉を置いて来ることになろうと、留まれなかった猛る愚心は蔡紫には理解し難い。
 ただ、呂布の言う通り、蔡紫が傍に居たいと、昼も夜も関わりなく添うていたいと思ったことは、確かにないかもしれない。
 夜が明ければ見送るのが当然であり、自然であった。
 思い掛けない呂布の言葉に、思い掛けず衝撃を受けている自分にまた、思い掛けず驚いていた。
「……行くぞ」
 呂布は気付きもしないのか、無双方天戟を軽く振り上げ歩みを再開させる。
 小さな風が湧き上がり、蔡紫の髪を微かに揺らした。


  終

【双屋のComment
掲示板の特典『訓練SS』です。
普通の訓練だと死亡フラグが怪しくはためくので、恋愛訓練と言うことで。

最初の予定ですと、蔡紫嬢が呂布をやり込める感じになると思ってたのですが、逆にやりこまれてしまいました(すいません)。

聡いが故に、愚直な男の何気無い言葉に考え込んでしまう、みたいな感じでご容赦いただければ幸いです。

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