じわり、じわりと汗が滲み出る。
べつだん、今が真夏というわけでもなく、激辛な料理を口にした、という事でもない。
「答えられないのですか、紅慈」
いくぶん呆れたような表情を浮かべている我が師の前で、紅慈は、気ばかりがくるくると空転して思考というものがちっとも働かぬ我が身を呪っていた。
(こ、こんな問題ぐらい…なんだ!屁でもねえ!)
そう力んではいるのだが、出てくるのは素晴らしき名回答などではなく、ただの冷や汗のみであった。
抜き打ちの試験、とばかりに師が出した課題は、さして難問なわけでもないのに、こんなにも狼狽えている自分が情けない。
と、その時。
「私が」
涼やかな声音が、隣で響いた。うげっ、と紅慈は片頬を引き攣らせる。
「私が、代わりに」
そう言って、すらすらと、見事に答えを導き出していく妙齢の美女に、紅慈はぎろりと睨みをくれた。
「おお。いつもながら見事な…紅慈、あなたは蔡紫を見習わねばなりませんよ」
満足げに笑みを見せる師匠に、そうですわねおほほ、などと殊勝に返事をしつつ、紅慈は、机の下でふるふると拳を震わせたのだった。
「おい!蔡紫!」
学舎から出た紅慈は、先に部屋から出て行った蔡紫の姿を追い求め、中庭付近で彼女を捕まえる事に成功した。
「あら、紅慈」
にこり、と微笑みを浮かべ、どうかなさったの、と訊く蔡紫に、どうしたもこうしたも、と紅慈は怒り心頭であった。
「なんでお前が答えるんだよ!あれはあたしに出された問題なんだよ!横取りすんじゃないよ!」
「あら。でも、紅慈、答えられなかったでしょう?」
そう言われ、うっ、と紅慈は詰まった。図星なだけに、反論のしようがない。
「そ、それは……そうだけどよー…」
「とても、困っていたようだったわ、紅慈。こっそり、答えを教えて差し上げようかとも思ったのだけれど、それでは、貴方の為には、ならないでしょう?」
「そ、それでもお前が答えちゃったら、教えたようなもんじゃないか!」
「あ。それは…そうね」
「そうね、じゃない!」
こうして、紅慈がぎゃんぎゃんと蔡紫に食ってかかるのは、珍しい光景ではない。
通りすがる者達は、いつもの事だと言わんばかりに、そそくさと、目を向けようともしないで足早にその場を立ち去っていく。
関わり合ったらろくな事はない、と皆知っているからだ。
紅慈は、蔡紫を目の仇にしている。いつか、ぎゃふんと言わせてやろうと心に誓っている。
嫌いだから、なのではない。負けたくない、コイツだけには、という気持ちなのである。
当の蔡紫は、対抗意識もばりばりに噛みついてくる紅慈を柳に風、とばかりに受け流してはいるが。
「紅慈って、本当に面白い子ね」
うふふ、と艶やかに笑い、蔡紫はちょちょい、と紅慈の頬を指先でつつく。
「分かり易いし、思っている事がすぐに顔に出てしまうし、見ていて飽きないわ」
「ぎゃあ!何すんだ!ひ、人の顔を饅頭みたいに突っつくんじゃないよ!」
「あら、本当。紅慈のほっぺたってもちもちしていてお饅頭みたい」
「ま、まんじゅ…饅頭じゃない!」
あたしどうしてコイツにこんなに遊ばれているんだろうか、と憤慨しつつ、紅慈は、勝負しろ、とがなり立てる。
「今日こそは…今日こそはお前を倒してやる!」
決闘だ、果たし合いだ、と一人で熱くなっている彼女に、蔡紫は困ったように首を傾けた。
「でも…そう言っておいて、紅慈、この間も私に負けたでしょう?懲りない子ね」
「い、言うな!あれはちょっと油断したんだよ、今日こそは本気だ!」
「そう?じゃあ…今日はちょっと変わった趣向で、腕比べをしない?」
「変わった趣向?」
きょとん、となった紅慈に、蔡紫は意味深な笑みを見せて身を寄せる。
「ええ。いつも、腕や頭脳に任せた勝負では飽きてしまうでしょう?…今回は、恋人自慢、でどう?」
「こっ」
(なんだそれは!聞いてないぞオイ!)
聞いていないも何も、蔡紫の一存で決まった対決内容である。今。
が、気が付かぬうちに巻き込まれ、目の前で、うっとりと、頬を上気させ瞳をうるませて、過去に味わった素晴らしき『体験』を披瀝している彼女を、紅慈はあわあわして眺めているしかない。
「ちょ、ちょっと待て!」
一番『イイところ』にさしかかるであろう瞬間、紅慈は慌てきって蔡紫の話を遮った。
「こ、この勝負ナシだ!べ、別のに」
「どうして?」
どうしてもこうしても。
(こ、恋人いない歴21年だからだ!あたしが!)
半分泣きそうになりながら、やっぱこの勝負も負けかなあ、とガックリしつつ、どうしたらこやつをいてこませるのか、いや、こませる日なんて来るのか、来ねえだろうな、と紅慈は思うのだった。
【新城まや様のComment】
蔡紫嬢にお出張りいただき、書かせていただきました。
タイトルは、かの『郎君自慢戦』をもじってみました。
自慢もなにも、紅慈はスタートラインにも立てていない、というヘタレ具合でありますが。
喧嘩していながらも(一方的に紅慈が蔡紫嬢に突っかかっている、という感がありますが)仲がよい、という感じが、少しでも出ていれば幸いでございます。
トヲルさん、蔡紫嬢を貸していただき、まことに、ありがとうございます!