九泉行き

「聞いたか? 将軍方が九泉へ赴くことになった話」
「ああ、黒い大地の話か。劉禅様が呑まれたという…」
 窓から入ってきた噂話に、燈珂は耳を引かれた。
 何事かと、窓の外を覗いてみれば、近くで話しこんでいる兵士が数人。噂話は女の専売特許というのがどこの世界でもお決まりのようだが、今度のことは事が事だけに誰もが口にせずにはいられないらしい。兵士たちは皆一様に、険しい顔つきで話し込んでいた。
 話の内容は、どうやら最近、そこかしこで取り上げられている、黒い大地についてだ。あまり他人と接触していない燈珂の耳にも入ってくるほど、その噂は蔓延していた。

『黒く染まった大地が生きた人を呑み込み、死者の国へと引きずり込む』

 燈珂が聞いたのは概ねそのような内容だった。人によっては、黒く染まった大地の向こうに宝が眠っているだとか、智者が永の安らぎを与えてくれるだとか、さまざま尾ひれや背びれををくっつけていたが、噂は噂であって確かな証拠は何もない。
 だがしかし。
 兵士たちの話には、それよりもまだ先があった。盗み聞きのような真似は趣味でなかったれども、覚えのある名前が出たので反応してしまう。
「何方が赴くというのだ? 場所は死者の国だぞ」
「だが、黙っているわけにもいくまい。劉禅様が戻らなければ、この蜀はどうなるのだ」
 兵士たちが眉間の皺を深くするのをよそに、燈珂は蜀に来てからの記憶を必死に手繰り寄せていた。
(りゅうぜん…劉禅? たしか、蜀の太子…だったわよね…?)
 一度だけ名前を聞いたことがある。太子、蜀の次期後継者で、つまりは劉備の息子のことだ。
(じゃあ、劉備さんの息子が、黒い大地に呑まれたってこと…?)
 話題の欠片を繋ぎあわせていた燈珂は、突然に身を翻した。
「あの!」
 窓から身を乗り出した燈珂の声に、話に夢中だった兵士たちはぎょっとする。
「その話、詳しく聞かせてください!」
 開け放たれた窓枠に取りすがって、落っこちんばかりに身を乗り出し、それでもあまりに必死な燈珂の様子に、兵士たちは、九泉の噂話から、劉禅が呑まれた事実、そして九泉に赴く武将たちが対となる女を捜しているというところまで、最初から話す羽目になった。 



 それから少しして、燈珂は九泉行きを希望することを、諸葛亮に伝えるべく、部屋を出た。自室で待機という命令が出ていたため、取り次いでもらうのにも一悶着あったのだが、何とか拝謁が叶い、直に希望を伝える。
「…遊びに行くのでは、ないのですよ」
  白い羽扇を揺らめかせ、静かな声で諸葛亮は言う。言外に、『貴女では危険だ』と言われているのが理解できた。燈珂は劉備の客人として、城に滞在させても らっている。その燈珂を危険な目にあわせるのは、劉備の面子に関わる問題にもなってくるのだろう。ただでさえ、この国は後継者の行方不明で人心が揺らいで いる。
「わかっています」
 一国の重鎮相手に、無礼だとはわかっていたが、燈珂は構わず真っ直ぐに諸葛亮を見た。簡単に翻る決意ではないと、わかってもらいたかった。燈珂は、燈珂なりに十分考えた上で決めたことだ。
 死者の国へ行くなど、怖くないといえば嘘になる。何が起こるかわからない危険な場所へ行くのに、戦闘経験のない自分ではまるで役に立たないのも、わかっている。
 それでも、燈珂は劉備に、助けてくれた時の恩を返したかった。―――だから、決めたのだ。
 国も時代も、世界すら異なるこの地に落ちて、何も持たなかった燈珂を保護してくれた優しい人に。
 息子の失踪に心を痛めているであろう、あの優しい劉備の為になるのなら。

「私は、九泉へ行きます」
  
 諸葛亮は、ほんの少しだけ、目を細めた。
「…属性を調べてからですね」
 それが了承の言であると理解するのに、一瞬間が空いたが、燈珂はすぐに頭を下げた。
「ありがとうございます!」


 こうして、燈珂の九泉行きが決まった。


  終 

【紫風様ののComment
ウチのEDITが九泉に行くのを決めた場面は、こんな感じかなと作ってみました。
助けてくれた上にタダ飯までもらって、燈珂は劉備にとても感謝してると思います。

拙い作品ですが、お読みいただきまして、ありがとうございました。

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