所有権

 呑み比べで決着を付けよう。
 そんな言葉だけが聞こえてきて、凪砂はふとそちらに目をやった。
 拾ってくれた孫策と、その父親だと言う孫堅が対峙している。
 孫策はやたらとムキになっているようだが、孫堅は至って穏やかに微笑んでいる。
 周囲も、君主親子を囲んでとは思えぬほど大いに盛り上がり、且つはしゃぎ、ちょっと見には身分の差すら感じさせない。
「凪砂さん」
 話が途中で終わったことを気にした葵が、凪砂に声掛ける。
 まだ大学生だと言う葵は、呂蒙と言う人に連れられて今は城に住まわされている。
 突然空から川に落ちたところを、偶然水軍の連中が見つけてそれで、ということらしい。
 その辺り、何やらごちゃごちゃと遣り取りがあったらしいが、緘口令でも敷かれているのか凪砂の耳には入ってこない。
 葵は、割合すぐ『タイムスリップ』の現実を受け入れ、どうやって帰るかその道を模索しようと懸命だ。
 歓迎の宴で顔を合わせたばかりの凪砂相手に、タイムスリップした経緯や状況を聞き取り調査中だった。
 凪砂が見た限り、葵が酷いことをされた気配はなく、また本人からもそんな印象は見受けられない。
「えっと、何処まで話しましたっけ」
「川に落ちて、棒で引っ張り寄せられたってところまでよ」
 そうそう、と葵は大きく頷いた。
「……お酒呑んでるのに、凪砂さんの方がちゃんとしてますね」
 こんなの呑んだ内には入らないと凪砂は笑うが、その背後には空にした酒瓶が既に二つ倒されていた。
 アルコール度はともかく、体の何処に入るのだろうかと葵には想像もできない。
「えぇと。とにかく、棒で小突き回されるみたいにされて痛かったですよ。助けてもらってなんですけども。で、濡れた服を脱げって時に呂蒙さんが現れて、何してるって話になって」
 どうやら、貞操の危機を察する前に呂蒙が保護して事なきを得たようだ。
 同じ未遂にしても、本人が気付く気付かないの差は激しく大きい。ただでさえ人間不信に陥り易い年頃だから、凪砂もわざわざ『危なかったね』等とおかしなヒントを与えようとは思わない。
 開けっぴろげな分、考え方も非常にストレートなのがこの呉と言う国のお国柄らしかった。
 そうしてしばらく話し込んで、眠たくなったのを潮に二人は宴の間を抜け出した。

 翌日、孫堅に呼び出された二人は、唐突な宣言を受ける。
「お前達は、俺の物になったからな。以降、そのつもりでいるといい」
 何の話だ。
 内心で突っ込みを入れる凪砂に対して、葵はその言葉の意図を素直に受け取ったのか顔を真っ赤にしている。
 照れているというよりは、怒っている感じだ。
 葵の表情を見た呂蒙は、如何にも困ったと言う表情を浮かべながらそっと二人の傍に近寄ってくる。
「体面上、誰かの『もの』としておかないと余計な騒ぎになりかねんのだ。形だけのこと故、我慢してもらいたい」
 孫策はああいう気質で、だから誰かがくれと言い出せばいいぜと答えてしまいかねない。
 呂蒙もまた、上の立場の人間が望めば逆らいがたいところがある。実際、葵の所有権を取り上げたのは、呂蒙が身分を背景にごり押しした結果であった。
 葵が帰りたがっていることを知っていた呂蒙が周瑜に相談し、ならばということで孫堅が保護することに落ち着いたのだ。
 ようやく納得したような葵が、おずおずと孫堅に態度の非礼を詫びると、孫堅はにやっと笑って答えて寄越した。
「何、俺は本当にそうであっても構わんのだがな」
 葵が女の子らしくない悲鳴を上げて飛び退り、凪砂はまたも『おいおい』と心のツッコミを入れた。
 ふと、凪砂と孫堅の目が合う。
――ぅ、わ。
 色が特別変わっていると言うこともない。
 だが、思わず見入ってしまうような目だった。
「何かあれば、俺の名を出して構わん。呂蒙や周瑜、それに策や権を頼ってもいい。しばらくの間、ここがお前達の国となる。安心して寛ぐといい」
 それで、会見は終わりとなった。
 何やら忙しいと言うことで、凪砂達は解放される。
 葵は、ただ飯食らいと批判されるのはイヤだと早速呂蒙に詰め寄り、呂蒙を慌てさせていた。
 凪砂は、自分はどうしようかと考え、窓の外に視線を投げる。
 去った筈の孫堅の声が蘇り、あの目がまだ自分を見ているような心持ちにさせられた。
 まずは、ここの国に慣れることが先決。
 どんな酒があるのかなと早速考え始めている凪砂は、自分でも不思議な程に落ち着いていた。


  終

【双屋のComment
凪砂嬢と葵嬢の描写が少なくて分かりにくかったかと思いますので。
意味ありげな設定とかしてしまったんで、付け足し。

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