元気のいい子供達の声が聞こえてくる。
慧火は何気無くそちらを見遣った。
子供等に囲まれて、しゃがんだ姿はしかしはっきり見て取れた。あれは、何処かの遠い国からやってきたとかいうひとだ。
何をしているんだろうと足を向ければ、娘……燈珂と子供等の会話が漏れ聞こえてくる。
懸命に燈珂を見ている子供達の目は、きらきらと輝いている。
「……じゃあね、一緒にやってみようか?」
燈珂が声を掛けると、子供達は途端に渋り始めた。
言い出した燈珂が戸惑う程、手のひらを反したような反応だった。
「行こうぜ」
一番年かさの少年が声掛けたのを合図に、一斉に蜘蛛の子散らすように駆け出してしまった。
残された燈珂が呆然としているところへ、慧火が踏んだ小枝が思いがけず大きな音を立てた。
はっとして振り返る燈珂に、慧火は間の悪さを恨みながら頭を下げる。
「何をなさってたんですか?」
それでも、好奇心に負けて訊ねてみる。
燈珂は、初めて見る年下の娘に注視しながら、物怖じすることなく立ち上がり笑みを浮かべる。
「お芝居教えてみようかと思ったんだけど、嫌われちゃったみたい」
「お芝居?」
目を丸くする慧火に、燈珂はひょっとしてそんなにおかしなことだったかな、と不安に駆られた。
古とも違うこの時代、現代人の燈珂にはそれ程差がないと分かってほっとしたものだが、それでもまるきり同じと言う訳にはいかない。
燈珂にとっては普通でも、慧火達にはとても異質なこととてあるのだ。
「こっちじゃ、珍しいことなの?」
声が掛かり、燈珂と慧火は同時に声のした方を向く。
そこには、燈珂と同じく現代から飛ばされたという艾梵が立っていた。手には、竹簡を抱えている。誰かから借り受けてきたのだろう。
「珍しい……と言いますと?」
この変わった経歴の二人は蜀軍においてもそれなり有名だ。どちらがどちらとは知れずとも、顔と服装でそれと分かる。
「だから、子供にお芝居させること」
「珍しいというか……普通、あまりさせませんね」
慧火は、戦乱を逃れて蜀に辿り着いた出自であり、子供の世話も良く見ていた。知り得る限り、芝居するような子供はあまり知らないし、好かない。
曇った慧火の表情を見て、燈珂が小さく声を上げた。
「……ひょっとして、こっちの方じゃあんまり演劇とかってやらないのかな?」
「演劇?」
慧火の目が丸く見開かれる。
「……演劇、知らない?」
艾梵の問い掛けに、慧火はこっくり頷いた。
「あっれー、演劇の成立っていつだったっけ」
ぶつぶつ言いながら記憶の紐を解くが、さすがにそこまでは細かく思い出せなかった。
一人置いてけぼりを食う慧火は、現代人二人の顔を見比べながら首を傾げている。
奇妙な均衡を破ったのは、落ち着いた声音の女性の登場だった。
「失礼します……艾梵様、燈珂様。丞相がお二方に伺いたいことがあるそうです。お出でいただけませんか」
「あ、天暁さん」
二人声を揃えていると言うことは、諸葛亮配下の兵と言うことだろうか。
慧火も姿勢を正して礼を取ると、天暁は静かに礼を返してきた。
同じ礼でも、慧火のそれとは質が違う。何処がとは言えないが、無駄な動きがないというか、敢えて言うなら綺麗だった。
武に長けた天暁だからこそなる身のこなしは、たかが礼一つでも如実に現れる。
演劇に打ち込んでいた燈珂にしてみても、その動きの無駄のなさは思わずうっとりするような類のものだった。
慧火と燈珂の露骨な視線を受け、天暁の目がやや嫌悪に怯む。
「……参りましょう」
すっと先導に立つ天暁に、慧火は思わず声を上げていた。
「私、馬超軍兵卒、慧火と申します。貴方は」
特に意味はない。
この綺麗な仕草を魅せる人の所属を知っておきたかったに過ぎない。
天暁は、いきなりの名乗りに怯んでいるようにも見えた。
言おうか如何しようか迷ったようだったが、やがて改めて拱手の礼を取ると、朗々と名乗りを上げた。
「姜将軍配下兵卒、天暁と申します。お見知りおき下さい」
――お見知りおき下さい、だって!
かっこいいかも、今度機会があったら使ってみようなどと考えながら、慧火は人懐こい笑みを浮かべた。
その笑みの意図を量りかねて困惑した天暁は、黙礼をして現代人二人を促す。
「私、燈珂っていいます。良かったら、覚えておいて下さいね」
「私は艾梵っていうの。今度また、ここのこと、色々教えて下さいね」
丁寧ではあるが親しみの込められた言葉に、慧火はこくこくと頷いて大きく手を振った。
振り返している二人に、天暁は困ったように眉を顰めた。
「……あまり、見知らぬ者と親しくなさいませんよう」
姜維、引いては諸葛亮からこの二人の警護を任じられている配下の一人として、あまり気安く出歩かれるのも、見知らぬ者と口を聞かれるのも正直困惑させられる。
できれば室に閉じこもっていただき、貴人然としていただいた方が警護はよほど楽だった。
ただ、この二人が懸命にこの土地に慣れようとしているのも分かるから、無理矢理閉じ込めるのは気が引けた。
天暁の苦言をどう受け止めたか、二人は顔を見合わせ口々に謝罪の言葉を述べてくる。
「……いえ」
案じているのはむしろ将軍など身分の高い者達で、だから謝るならそちらに詫びてもらいたい。
けれど、それもまた何と説明したものか困り果て、天暁は口を閉ざした。
言って分かってもらえるか、少し、否大いに自信がない。
どうも、同世代の女性の考えていることが分からない。異国から来たというこの二人に関しては、尚更だった。
剣の素振りをしていた方がよっぽど落ち着く……と考えていた時、伝令兵が血相変えて走っていくのが見えた。後から、よろけるような足取りの星彩が、支えようとする手下の兵士を押し退けて進んでいく。
何事かあったのか。
否、あったのだ。
血相変えた天暁は、背後に控えた二人を振り返る。
「……お部屋までお送りいたします。そちらでしばらく待機願いたく」
有無を言わせぬ強い口調に、燈珂も艾梵もただこくこくと頷くのみだ。
眉間に皺寄せ、天暁は見えざる異変を睨め付けた。
終
【双屋のComment】
蜀編ですよー