■術対決
催し物とはいえ、訓練を超えた武術対決には、安全上などの問題から、上官の立ち会いが必須である。
はじめは、多忙な立場の従兄を慮って、馬岱が立会人に立候補したのだが、当の馬超が「俺が行く」の一点張り。
半ば呆れた馬岱が折れた形で、馬超が立会人となったわけである。
訓練場に訪れた馬超は、対戦相手たる天暁の隣に姜維がいるのを見止めて、口をへの字に曲げた。
九泉の一件以来、側仕えとなり想いを寄せられていると知った慧火に対しては、同郷の誼も相まって、何かと気を遣ってやろうという思いが濃い。
自分が行くことで、対戦相手へのプレッシャーをかけてやろうと思っていたのだが。
「姜維……お前、軍師殿の補佐は良いのか」
対する姜維はけろっとしている。
「今は一兵卒とはいえ、天暁はいずれ我が軍の主力となりうる逸材ですし。このような機会もそうありませんから」
天暁、頑張ってくださいね、と頷きかける姜維に、真面目な表情で頷き返す天暁。
完全に出鼻を挫かれた形の馬超は、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「おおっ、そこだ!! 打ち込めっ!! ……くぅっ、惜しい!!」
白熱する試合に、馬超は立ち会いどころか、今にも飛び出していきそうな状態である。
姜維も、傍目には落ち着いて見えるものの、その手は拳を握り、剛い視線を送っている。
引き分けに終わった二人は、汗だくで息を切らせ、姜維と馬超のもとへ帰ってきた。
馬超はさっそく慧火に駄目出しを始める。
「慧火、お前はやはり上半身が重い。足の軽さを殺してしまっているぞ」
「は、はいっ!!」
そんな馬超を横目に見て、姜維はさわやかな笑みで天暁をねぎらった。
「天暁もお疲れさまでした。怖じずによく懐に飛び込めていましたね。馬超殿直伝の槍術にも引けを取りません」
「ありがとうございます」
勝負事にこだわりの強い馬超は、引き分けという結果でも気に入らないものがあるらしい。
「姜維、うちの慧火の成長ぶりには目を見張るものがあろう。今に天暁を追い越すぞ」
「ば、馬超様っ!!」
子供のような意地の張りように、何を言い出すか戦々恐々としていたものだが、ここまで子供っぽい嫌味が出てくるとは。天暁にも失礼だ。
窺うようにチラリと見た姜維は、にこにこしているものの、額に浮かんだ青筋を隠すことはできていない。
――ひえぇっ…!!
馬超の後先を考えない発言には、慧火も常にハラハラさせられる。姜維の、少女のそれのように華やかな色をたたえた唇から吐き出される毒を、
馬超はその身に浴びることになる。
「……ええ。馬超殿の側仕えという激務をこなしながら、さらに武の鍛錬にも励まれる…。慧火殿の努力には頭が下がります」
自分の指導力を讃えられると思っていた馬超は、その棘のある嫌味に言葉をつまらせる。言葉を詰まらせる程度ならまだしも、間に挟まれた慧火は、
すでに息を詰まらせて真っ青な顔をしている。
「姜維、それは、どういう……」
姜維は、憐れむようなほほえみを馬超に向ける。
「どうもなにも。うちの天暁も、日々の研鑽でここまで力をつけたのです。慧火殿も例にもれず。個人の努力というのが、いざという時、
いちばん強く物を言うのだと実感したまでです」
馬超は顔を真赤にして体を震わせている。麒麟児と謳われているものの、身分としては格下の姜維に、自分の指導力を無視された揚句、
手の掛かる上司扱いまでされては、いかな馬超とて寛大ではいられない。
「姜維、貴様な……」
馬超は、腕に抱えていた龍騎尖を掴んだ。
――こういうとき、武器を持ち出した馬超は手に負えない。
側仕えとして働き始め、まず身に染みた一節が頭をよぎる。
――鎮めなきゃ。
「ば、馬超様、私は、馬超様のご指導のおかげでここまで…」
「うるさいっ」
「ひっ…」
キレた馬超の恫喝に、動じずにいられるのは、慧火の知る限り馬岱くらいのものだ。
冷静な天暁から見ても、姜維と馬超のやりとりは、蜀を代表する二将軍とは思えないほど稚拙だ。特に、自軍の将軍として、日々間近に見る姜維は、
普段の落ち着きや謙虚さがどこかに行ってしまったよう。完全に巻き込まれてしまった慧火の怯えようにも哀れなものを感じる。ここは、自分が場を収めなければ。
「……姜維様、言が過ぎるのでは」
姜維に身分を自覚させ、落ち着かせるのが先決。そう踏んだものの、姜維の中に燃えだした炎は、天暁にも留められないほどになってしまっていた。
「天暁は黙っていてください」
握りなおした昂龍顎閃の柄尻で地面を突く。地面にめり込んだ柄尻を見、天暁は冷や汗が米神を伝うのを感じた。
「姜維様……」
今にも泣きそうな慧火と、あまりにあまりな展開に、もはや呆れすら感じている天暁。
そんな二人をよそに、姜維と馬超は、ひとしきり睨み合うと、先ほどまで天暁たちが熱戦を繰り広げていた舞台へ、競うように歩みを進めた。
「あわわわわ…」
それでも馬超を止めようと、震える足を踏み出す慧火の忠誠心には脱帽の思いだ。だが、男の幼稚な意地の張り合いで、慧火が傷つくことはない。
そう思って、天暁は慧火の手を掴んで止めた。
「慧火さん、汗でも流しに行こう」
「で、でもっ……!」
ずんずんと慧火を引っ張り、天暁はその場を後にする。
姜維と馬超の決闘は、兵卒同士のそれとはわけが違う。二人の得物が、長さと重量のある槍であり、さらに意地の張り合いで周りが見えなかったことも相まって、
二人の派手な戦いは、建造物や植樹に甚大な被害を与え、収拾のつかない事態となってしまった。
冷静ながらも怒りを含んだ咳ばらいが、静まり返った部屋に響く。
「お二人とも、そこにお掛けください。……従兄上、肘をつかない」
馬岱の呆れた視線を受け止めきれず、二人は並んで椅子に座りながら、むっすりとしている。あくまで尊大な馬超は、卓に肘をついていたのだが、馬岱の叱咤を受け、
しぶしぶ姿勢を正した。
「まったく、昼日中からくだらない理由で決闘だなどと。仮にも従兄上は西涼の錦と謳われた将軍。姜維殿も、臥龍を継ぐ麒麟児にしては、浅はかな行動だとは思いませんか」
延々と止むことのない馬岱の説教を遠くに聞きながら、物陰から事態を見守る天暁と慧火。水浴びをして戻った際、他の兵卒から騒ぎを聞かされたのだ。
「なんか……大変なことになっちゃってますよ……」
あわわ、と肩をすくめている慧火に対し、天暁は冷静そのもの。
「気にすることないよ。――さ、食堂に行こう。食べ損ねちゃうから」
「だ、大丈夫でしょうか……」
天暁に手を引かれながら、慧火は後ろ髪を引かれる思いだった。
馬岱は、二人の娘の気配が遠ざかったのを感じた。未だぶすくれている姜維と馬超には、天暁と慧火が近くにいたことすら気づいていないようだった。
馬岱は、はぁ、と溜息をこぼす。
「腹心の部下、……意中の女性ならなおさら、熱くなるのは解りますが……。お二人とも、少しは大人になってください。天暁殿にも慧火殿にも逃げられますよ」
それだけ言って、馬岱は部屋を出て行った。
静まった部屋に残されたのは、赤面し、驚いた顔を互いに見合わせている姜維と馬超だけだった。
(本文執筆:せれね様)
――勝敗結果:引き分け