■閑話休題
 一人で行こうと画策していた鳴だったが、悪いことはできないものである。
 入口で逡巡しているところを他の四人に見付かり、ばつの悪い思いをさせられていた。
 想い人の元へ出向くことが悪いことかどうか、正直、鳴にも確とした判断は下せないのだが。

 一同が久々に顔を揃えた理由は、緊急に駆られてのものではない。
 実は本日、変わり果てた故郷、戦一色に染められた日々に疲れ果てた兵、民らを慰めようと、祭りが行われている。様々な人々に合わせ、様々な趣向が凝らされることになったのだが、その話し合いが行われている内にどうもおかしな方向へ暴走したようだ。
 その暴走に巻き込まれた将達を見に、五人はこの場に集ったという訳である。
 何となれば、その将達というのが徐庶、郭淮、郭嘉、馬岱と司馬師といった、あの世界でそれぞれが同行した将だからなのだった。
「それにしても……」
 桐里は辺りを見回す。
 入口は閑散としている。
 現代でいうところの文化祭のような形式を取っているので、一部の『出し物』に人気がないのは不自然ではないが、この『出し物』に人気がないのは酷く不自然に思われた。
「変だよなぁ」
 小燕も首を傾げている。
「将軍様が雁首揃えておかしなカッコしてる茶店なんて、兵士の連中には堪らないだろうにさ」
 遠慮のない言葉に、志夜は複雑な心境に陥る。
 小燕曰くの『おかしなカッコ』とやらは、現代人のそれなのである。自身を馬鹿にされているようで、面白くない。
「ああ、それなら」
 鳴が口を挟んだ。
 先行した鳴を引き留める者があったので、その連中のせいだろうと言う。
「引き返せとか何とか、うるさかったから一喝して蹴散らしました」
 その正体にはまったく興味がなかったらしい鳴は、蹴散らしたことに満足して、そのまま放置したそうだ。
 他の四人が何事もなくここまで辿り着けたのは、恐らく鳴が蹴散らした直後だったからだろう。後に続く人影が見受けられないことからして、その連中は再び集結して、またも壁を作っているに違いない。
「いったい、誰がそんなこと」
 呆然とする桐里の後ろで、翠瑛は密かに肩をすくめた。
 十中八九、司馬師配下の者達の仕業であろうと思われたからだ。
 司馬昭の元から異例の異動をしてより、司馬師軍の軍団長に対する異様な信仰心を目の当たりにしてきた。
 あの連中であれば、これぐらいのこと、迷いもなくしてのけるに違いない。
 己が対峙する場合は厄介なだけであるが、他者が対峙させられているのを見るのは非常に恥ずかしい。
 翠瑛は、何だかんだで司馬師軍の一員になり切っていることを、自覚せざるを得なかった。
「……ねぇ、入るなら入りましょう?」
 入口でぼんやり佇んでいるなら、いっそ帰りたい。患者の世話を休んで出て来ているから、無駄な時間は過ごしたくなかった。
 志夜としては、郭嘉が現代人の格好をしているから何だという気持ちがある。
 将が給仕をして、まともに立ち振る舞えるとは思えない。それこそ、熱い茶をぶちまけられたとしても相手が将軍では文句も言えない訳だ。
 人が少ないのはそのせいではないか。崇拝される将の為に配下が策謀するなどという状況には、どうもぴんと来るものがなかった。
 現代人の志夜の感覚であるから、他の者にはその思考こそ理解し難いのだが、それはさておきである。
「私は、もう少し心の準備が整ってから」
 ぐずぐず言い募る鳴の首に小燕の腕が巻き付き、一同揃っての入店と相成った。

 入店してすぐ、鳴は言葉を失った。
 他の面子の戸惑いを吹き飛ばす勢いの異様さに、出迎えた司馬師の表情にもわずかな動揺が浮かぶ。
 けれども、鳴の目に司馬師は映っていない。
 鳴の目に映っているのは、店の奥にひっそり佇む徐庶の姿である。
「………………っ!!」
 声にならずとも、その興奮ぶりは見て取れた。
 それぐらい、表情が浮付いている。
 鳴ほどでないにせよ、翠瑛もまた胸の高ぶりを抑えられずに居た。
 初めて見る司馬師の姿は、普段からは考えられない程に薄着で、地味、と言っていい筈の白と黒のみの装束は、不思議と目を奪われる。
「お、お似合い、です」
 それだけ言うのが精一杯だ。
 司馬師は、軽く首を傾げる。
 やや癖のある髪が、はらりと流れた。
「そうか」
「はい」
 沈黙が落ちる。
 割って入るのが躊躇われる濃密な空気に、徐庶以外眼中にない鳴以外は皆、困惑させられる。
「……何やってるの?」
 ひょいと顔を出したのは、馬岱だった。
 司馬師と揃いの白と黒の装束を身に纏っているが、馬岱の方が何故か着崩して見えるのが不思議だ。
 今度は、桐里の頬が赤く染まる。
「桐里、来てくれたんだ」
 名前付きでそんなことを言われては、桐里ならずとも胸躍らせずにはいられまい。
 意識せずにやっているのなら、とんだ色男といったところだろう。
「さ、入って入って。いやぁ、全然人が来なくって、すっごく退屈してたところなんだよー」
 馬岱の嘆きが示す通り、店内には人の気配がほとんどない。
 席の数はそこそこあるのに、肝心の客の姿はまるでなかった。
「何でだろうね?」
 尋ねられても、答え難い。
 この姿を他の誰にも見せたくないという気持ちは、司馬師配下ならずとも理解できてしまうのだが、桐里のそれと司馬師配下のそれが同じかは定かでなかった。
 店の中へと足を進めると、馬岱は辺りを見回す。
「えっと……あ、席作るからちょっと待って……」
「いえ、結構です!」
 設えられていたのが二人席か四人席ばかりだったのを、馬岱が卓を寄せて五人分の席を作ろうとするのだが、鳴が即座に押し留める。
 目線は、徐庶から逸れぬままだ。
 馬岱も察したのか、鳴には店の隅の二人席を指さし、四人をやや離れた席に案内する。
 仕切り代わりと思しき長机の前の席に着くと、次いで顔を出したのは郭嘉だった。
「やぁ、いらっしゃい」
 ギャルソンの服も、違和感なく着こなしている。
 あまりに違和感がなさ過ぎて、却って異様な違和感に襲われた。
 志夜が眉根を寄せていると、郭嘉が微笑む。
「相変わらずだね」
 どういう意味なのか。
 そうして人を惑わせる、郭嘉の方こそ相変わらずだと思うのだが、口には出さない。
 黙礼を返す志夜に、郭嘉もまた黙し、ただ笑うのみだった。
「何か、飲む? と言っても、茶と酒しかないけれど」
 ご馳走すると言う郭嘉の言葉に、真っ先に飛び付きそうな小燕は、けれど反応を見せなかった。
 何か探すかのように、先程からずっと、きょろきょろ辺りを見回している。
「郭淮殿なら、奥で休んでいるよ」
 開店時間からずっと気張って客待ちしていたのだが、あまりに客が来なさ過ぎて参ってしまったのだという。
 小燕の顔色が変わる。
 請い顔で見遣る小燕に、郭嘉は優しい笑みを返す。
「良ければ、様子を見てきてもらえるかな?」
 郭嘉が奥の控室を指すと同時に、小燕が飛び出していく。
 小燕が起こしたつむじ風に乱れた髪を直しながら、志夜が腰を浮かす。
「具合が悪いのなら、私も付き添いましょうか」
「つまらない気は利かせるものではないよ」
 郭嘉に釘を刺され、むっとしてしまう。
 どうしていつも、自分にばかり手厳しいのか理解ができない。
「……郭嘉様は、志夜さんを特別扱いしているのですね」
 翠瑛が耳打ちしてくる。
「そう、でしょうか」
 それならまぁ、許してやってもいいかもしれない。
 志夜の尖った表情が緩むのを見て、郭嘉は小さく肩をすくめる。
 桐里と馬岱は、期せずして目を合わせ、馬岱の意味ありげな笑みに桐里は何故か狼狽させられた。
「はい、桐里の分」
 置かれた小皿に、切り分けられた菓子が載せられている。
 それが誰のものより大きいことを知って、桐里はますます複雑な気持ちに駆られるのだった。

 鳴は、傍らに立つ徐庶の姿を、盗み見ながら凝視するという器用な真似をしでかしていた。
 特に意図してやっている訳ではないのだが、何故かそうしてしまうのだ。
「……注文は、何を?」
 ぶっきらぼうにも聞こえる声に、鳴は委縮する。
 わざとそうしているのではない、慣れないことをする時はいつもこうだと分かっていても、萎れる気持ちを止める術はなかった。
「すみません、あの、お茶を」
 俯く鳴に、徐庶は沈黙している。
 ややもして、踵を返して生まれる微風が、鳴の髪を揺らした。
 嫌われているのだろうか。
 今まで味わったことのない後ろ向きな思考が、鳴の心を脅かす。
 嫌われていたら、どうしよう。
 無性に泣きたくなった。
 嫌われていようがいまいが、気にしたこともなかったのに、それこそホウ統に対してでさえそうだったのに、徐庶に対してだけは何故こんな風になってしまうのか理解できない。
 痛む胸を押さえていると、再び微風が頬に当たる。
「お待ちどう、さま」
 鳴の目がわずかに見開かれる。
 茶を携えて戻ってきた徐庶は、何故か鳴の前に座っていた。
 ぎこちない仕草で注ぐ茶は、二つの茶碗に収まっていく。
「その……暇なんだ。だから、少し、付き合ってくれないか」
 否はない。
 激しく縦に首を振る鳴に、徐庶は曖昧な笑みを浮かべる。
 不器用を絵に描いたような、二人の茶会が始まった。

「……あれ、菓子の差し入れに行ったらまずいよね?」
 馬岱が小声で訊ねてくる。
 まぁ間違いなくまずいので、桐里は迷わず頷いた。
「じゃあ、仕方ない、こっちで食べちゃおうか」
 断りもなく桐里の横に座るので、思わず飛び上がりそうになる。
「司馬師殿も、おいでよ。どうせお客も来ないんだし、休憩にしちゃおうよ」
 頷いた司馬師が、椅子を片手に翠瑛の隣に来る。
「店というより、ただの茶会だね」
 郭嘉が高々と掲げる白い磁器から、芳しい香を放つ茶が器に注がれる。
 見事な手並みに、皆が見惚れた。
 志夜は、敢えて見ない振りをして、茶杯を配ることに専念する。
 郭嘉に見惚れるなど、矜持が許さない。
 ただ、郭嘉の淹れた茶は、本当に芳しく、目を引く美しい色をしていた。
 一口啜れば、熱くもなく温くもなく、丁度いい。
 この茶を淹れたことだけは褒めても良いと、こっそり胸の内に囁いた。
「郭嘉殿、私にも」
 奥から、未だ本調子とは言い難い様子の郭淮が、小燕に支えられて顔を出す。
 軽々とはいかずとも、無理をしている風には決して見えない。
 郭淮は自然に小燕を頼り、小燕は自然に郭淮を支えているように見えた。
 翠瑛は、そんな小燕をうらやましく感じていた。
 あんな風に司馬師を支えているという実感は、翠瑛にはない。
 新顔だというのに、司馬師の覚えもめでたい翠瑛に向けられるやっかみは少なくない。
 それに胸を張って言い返せる根拠は、未だ持てずにいた。
 気が滅入ることも多かったが、今はとにかく仕事を覚え、完璧にこなすより他ない。
 それは、翠瑛の今までと何ら変わらぬことでもある。
 出来ぬことではないと、翠瑛は密かに拳を握った。
 と、司馬師が不意に微笑む。
「何か?」
 気になって問い掛けると、司馬師は微笑みを絶やさぬまま、静かに茶杯を置く。
「お前とこうして話をするようになるとは、あの時は思わなんだな」
 まったくだ。
「……はい」
 万感の思いが胸に溢れ、翠瑛はただその一言のみを返すに留まった。
「郭嘉殿の茶は、本当に旨い! 体が、生き返るようだ!」
 言いながら、郭淮は自分が飲む前にまず小燕へと茶杯を回す。
 小さな気遣いかもしれないが、普通の将にはあり得ない気遣いだ。
「有難うございます」
 素直に受け取り、頭を下げる。
 無下に断りの文句を並べることを、小燕はもうしなくなっていた。
 代わりに、郭淮が茶杯を手に取るのを待つ。
 そうして、共に茶を口にする。
「……旨い!」
「はい、旨いッス」
 郭淮の言葉に、すぐに応じられる為にだ。
 共に立ち、共に在る。
 この上ない喜びを知ることが出来たと、小燕は何者かに感謝していた。

 小さな茶会は、それなり長い時間続いた。
 来店を阻止していた者共は、もう一度鳴の奇襲を受け、有難迷惑な謝辞を浴びせられることになるのだが、それは後の話である。

■赤駒さんの投稿を拝見して、これで何か話書きたいなぁと思い、作成しました。
なかなかまとまらなかったのですが、投稿した現在も上手くまとまった感じがしませんorz
何はともあれ、投稿して下さった赤駒さんに感謝を込めてm(_ _)m