既に日付は変わり、日中ならば大量の旅行客、ビジネスマンでざわめいているこのロビーも、寝静まる宿泊客を気遣うかのようにひっそりとしている。
頬が僅かに上気している二人、泥酔状態ではないが、ほろ酔い程度だろうか、確りとした足取りで、と孫策はフロントへと歩みを進めた。
鍵を受け取る孫策の、数歩後ろでは待つ。

「………」

疲れた、と。
今日一日を回想し、はフロントに背を向け、誰も居ないロビーに向かって苦笑混じりの吐息を吐いた。
風邪で熱を出した孫尚香に代わり、出席した会合。
周りには、この業界の大手の社長ばかり。
会合の間は良かった。
が発言する機会など、ないのだから。
恐らく例年通りに孫尚香が出席していたとて、それは変わらなかった筈。
とは言え、役目は孫策の横にただ座っているだけなのだが、緊張から来る息苦しさは回避しようがない。
その上、数時間に及ぶ息苦しさを終えた後に待つは、懇親会と言う名の呑み会。
孫尚香ならば気の利いた事の一つでも言えように、と、は己の社交性の乏しさに歯噛みしながら、両隣に座る、テレビ画面を通して会った事のある社長達の酌をしていた。
頼みの綱の孫策も、大手の中でも最大手企業の社長、曹操と話すばかりで、傍に居てくれる気配は無い。
仕方がないとは思いつつも、やはり心細い事に違いは無かった。
只、孫策と話す曹操の顔が苦いものであった事と、孫策に視線を遣る度に、隣の曹操と目が合う事が、気になった。

、行くぜ」
「あっ、はい」
「何ぼーっとしてんだよ」

手にしたキーで孫策に肩を突付かれ、思考を此方に戻したの驚いた反応に、孫策が笑う。
コートのポケットに手を突っ込むと、孫策はそのままエレベーターへと向かった。

「?何だ?」
「あ、…いえ」

物言いたげなの視線を感じ、孫策が振り向くも、は目を左右に軽く揺らしただけで首を振った。
そうか、と呟くと、孫策はやって来たエレベーターに乗Jpt"> はしゃがみこみ、押し付けるようにして布地に顔を埋めた。



どんな表情を以って顔を合わせれば良いのだろう。
バスローブを纏い、如何にかバスルームから出られるようになるまでに、相当な時間が掛かった。
頭がふらふらする気がするのは、酔いの所為か、入浴後の体温の上昇の所為か、はたまたその他の何かか。
出来ればこのまま孫策と顔を合わせる事無く帰ってしまいたい、そんな事を泣きそうな顔をしながら思いつつ、はバスルームを出る。
しかしそれも、バスルームに篭る熱気から解放され、心地好い温度を肌で感じた瞬間、全ての感情が吹っ飛んだ。
沈鬱な顔で出てきたの目に入ったは、テーブルの上に何時の間にやら置いてある、ワイン、それに、ワイングラス。

「きょ…局長ぉっ!!!!」
「!?な、何だよ、出てたのか?」

突然発されたの大声に、ベッドに転がっていた孫策が驚き、上体を起こす。
先程までの暗い顔やら赤い顔は何所へやら、はずかずかと孫策に近付くと、びしっ、とテーブルを指差した。

「さっきまで呑んでいたのに、なんでワインなんか、…あ、もしかして、さっきのって…」
「さっきの?あぁ、ルームサービスの事か?」

決死の覚悟を決めた後、孫策を呼ぼうとした時にタイミング悪く来た、従業員。
あれは、ルームサービスだったのか。

「だってよ、落ち着かなかったろ?」

落ち着かなかった、とは、会合後の呑み会の事だろう。
周囲の人間に無理矢理呑まされはしても、楽しんで呑む余裕など、確かになかった。
大手企業社長の集まる会合、なれば、周りは全員社長達。
本来ならば、華を添えると言う理由で、毎年、孫堅か孫策に付いて孫尚香が出ていたのだが、突然に孫尚香が風邪を何所からか貰って来、出られなかった。
故に、今年はが代理で出る事になったのだが…慣れない場、相当気疲れした事だろう。

「呑み直しだ」

言うと、孫策はの肩を掴み、椅子に座らせる。
孫策を止めるか否かを迷っている間ににグラスを持たせると、ワインのコルクを手早く開け、問答無用で注いでしまった。
次いで、自分のグラスにも注ぐ。
孫策がグラスを掲げれば、も倣わぬ訳にもいかず、困った顔で笑いながら、お疲れ様でした、とグラスを合わせた。

「何も気にしなくて良いぜ?」
「え?」

ワインを口にした孫策、椅子に深く腰掛け、グラスを揺らしながら、ははは、と笑う。
孫策の言葉の指す所が判らず、はグラスを手にしたまま、小さく首を傾げた。

、御前、自分が場違いなんじゃないか、って不安そうな顔してたけどよ、と話してたオヤジ達、愉しそうだったろ?それで充分なんだよ」
「………」

の瞳が、丸く見開かれた。
全て見抜いていたのか、と。
あの場に居る間、不安だった。
孫尚香の代わりなど、ただの事務員の自分に務まるかを。
終わった後も、不安だった。
孫尚香の代わりを、きっちり務めきったのか否かを。
懇親会の間、孫策が傍に居てくれた時間はほんの僅かだったが、ちゃんと見ていてくれたのだ。
傍に居ない間も、気に掛けてくれていた。

「…ありがとう…ございます」

一人で心細かった、終わった後も不安だった、けれど、孫策のその言葉だけで、は今漸く息を吐けた。
同時に、じわり、との瞳に涙が浮かんだ。
酒の所為だろうか、心に響く、心が揺さ振られる。
は下を向いて目を開き、涙を乾かした後、顔を上げた。

「で、だ」

自分の言葉がどれ程の心を軽くしたかなど、知らない孫策、ワイングラスを置くと、席を立つ。
クローゼットに掛けておいたコートのポケットを探ると、に向かって何かを投げた。

「!」

の膝辺りに落下するよう計算して投げたのだろう、グラスを持っていた為に片手、序に酔いの回った状態のでも如何にか受け止める事が出来た。
投げられたものを、見てみる。
一辺が人差し指一本分の、立方体をした、リボンで装飾された箱。
何だろうか。
箱の中身も孫策の意図も判らず、は孫策を見上げた。

「そんなに、御褒美だぜ」

何所か照れくさそうに見えるのは、酒のせいで顔が火照っているからだろうか。
笑顔の孫策に、はもう一度首を傾げた後、ワイングラスをそっと置き、その立方体を紐解いた。

「っ?」

ぱか、と開いた瞬間、一瞬だけ目を焼かれた。
と言うのは大袈裟だが、確かに目に眩しい程の輝きが、箱の中から放たれた。
何だろう、は不思議そうな表情を崩す事無く、箱の中を覗き込む。

「へ?……え、は?」

中身の正体を確認した、箱の中と孫策の顔とを、信じられないと言った表情をしながら交互に見遣る。
それを、何所か愉しそうに、何所か不安そうに見詰めている孫策。
の手が、情けなくも震えながら、箱の中身を壊れ物でも扱うような手付きをしながら、取り出した。

「あ、あの、局長?これ、えと、私、余り詳しくないんですが、…ダイヤに見えるんですが…?」
「おう、ダイヤだぜ?」

正真正銘の本物だぜ、と、ワインを呷りながら、孫策は笑う。
無言で付き返される事を回避できたからだろうか、孫策の顔には既に不安の欠片もない。
しかし、孫策の不安が乗移って来たかのように、不安そうな顔をし出したのは今度は
それもそうだろう、孫尚香の代理で会合に出ただけの褒美が、余り高級品に興味のないでも、とんでもない値段が付けられているであろう事が判る程の大きさのダイヤが付いた、ネックレス。
値段など見当も付かない、けれど、貰えない、否、貰って良い筈がない。

「局長、一体何を考えてらっしゃるん、…あ」

本当に何を考えているのだ、そう言いた気な視線をダイヤから孫策に移した瞬間、の手からひょい、と孫策がネックレスを攫った。
ネックレスを手にしたまま孫策はの背後に回ると、素早くの首に付けてしまう。
酔っている人間とは思えぬ程の、手際の良さだった。
も、声一つ上げる暇もなかった。

「へへ、もう付けちまったから、返品不可だな」
「…え?…え、そ、そうなんですか?」

背後の孫策と、胸元で揺れるダイヤを交互に見遣る。
の手は半端に中空を彷徨い、ネックレスに触れられずに居る。
別に触れたからと言って罰が当たると言う訳でもないのに、それでもやはり触れる事を躊躇させる、を困らせる原因と、笑うばかりで何も答えない孫策の間とを、はおろおろと視線を彷徨わせる。

に似合うと思って買ってきたんだぜ?返されても捨てるしかねぇじゃねぇか」
「でも局長、……捨てる!?」
「おう」

俺が持っててもしゃーねぇしな、と孫策はの向かいの椅子へと戻る。
ワインを再び呷ると、頬を朱に染めたまま、笑った。

「ま、あれだ。クリスマスプレゼントが一割」
「…一割?」

渡せなかったからな、と孫策が。
しかし、からも渡していないのだから、やはり貰う訳にはいかないではないか。
…否、渡した事は渡した、か。
手作りのクッキーなどと言う、お粗末な物ではあったが。
とは言えそれも、孫尚香を始め、孫堅と孫権にも渡している。

「で、今日の褒美で三厘」
「り、厘ですか」

厘、と言われ、は一瞬考え込む。
割、分、厘、…三厘では、無いようなものではないか。

「それと、だ」

孫策がボトルを持ち上げる。
自分が注ぎます、とボトルに手を伸ばして来たを制し、未だ中身の大半が残るのグラスに更に継ぎ足すと、己のグラスにもそれなりの量を注ぎ足し、孫策はとすん、と背凭れに背を預けた。
手を伸ばし、グラスを天に掲げると、それを目で追うの顔をじっと見詰め、そして、微笑んだ。

「Buon compleannno」
「…え?」
「誕生日おめでとう、だぜ。
「あ…」

言われ、が部屋を見回す。
しかし、目に付くところには何所にも、時間を、日付を知らせてくれるものは見当たらなかった。

「もう昨日になっちまったけどな。セーフだろ?」

三十日の二十五時ってな、と孫策は左を向いた。
の位置からは見えないが、ベッドサイドの時計を見ているのだろうか。

「ケーキは明日な。あ、今日に間に合わせる為に、一先ずコンビニケーキでも買ってくるか?」

シュークリームでも良いけどな、と孫策が笑う。
その孫策の対面で、は触れられずにいた事も忘れ、胸元のダイヤを指で撫でながら、もう片方の手ではグラスを持ったまま、テーブルに視線を落としていた。
瞳の中の困惑は、未だ拭い切れない。

「局長、…なぜ、こんなに」

自分の心内を表現できる、上手い言葉が見付からず、はそこで言葉を切る。
なぜ、ここまでしてくれるのですか。
には判らない。
ああ、判らないだろう。
にしてみれば、孫策は会社の上司、気の良い上司でしかないのだから。
その上孫策が自分にどんな思いを向けているのか、孫尚香により、凄く鈍いんだから、と評されているは、全く知らないのだから。
これには孫策、苦笑するしかないだろう。
けれど、その苦笑は、裡で留めた。
今年最後の、絶好の機会だ。
酒の力もある、この、上司と部下などと言う、野暮ったい関係を打破するには、今日を除いて他にあるだろうか。
否、チャンスがこれきりかも知れない、など、そう言う問題ではない。
攻める時に攻めろ。
何に対しても好戦的な孫策の瞳が、爛と輝いた。



「俺がしたいから、するだけだぜ」







誕生日だ誕生日だと騒いでいたら、結菜さんが下さいました…相変わらず私のツボを突いて下さる。いつか破裂して死にます。もう…策にーちゃんカッコイイな!こんな上司がいたら、会社も辞めなかったんだけどな!
結菜さんとは無双スーツ夢という遠い世界を愛する同志関係でもあります。いいんです、本人が楽しければ(開き直った)。
いつか、無双スーツ夢の一大拠点になれるように頑張りたいです。人はそれをいらぬ努力と言います。いいんです本人が楽し(略)。

■結菜様のステキサイトはこちら(休止中)→ 

他の賜り物を見る →
夢小説分岐へ →