夏侯淵は黙々と細工に勤しんでいる。
 恐らく、作っているのは弓だ。
 小振りな型だが、良くしなりそうな美しい木目の木を使っている。
 夏侯淵が使うものには、すべて夏侯淵の手が入っていると言っても過言ではない。
 武器にしろ防具にしろ、何かしら夏侯淵の意匠や着想が盛り込まれている。弓に至っては、余程大きなものでない限り、武器匠に頼らず自分で作ってしまう程だ。
 手慰みにやっているだけと一人言を漏らしていたこともあったが、限りなく職務に近い趣味といったところなのかもしれない。
 は、そうした時は当然放っておかれる。
 仕事と言って差し支えない趣味の時間であるから仕方がないのだが、やはり心地のいいことではない。
 何しろ、夏侯淵の集中力は中途半端に凄まじく、が同じ室に留まることは許してくれるが、手元を覗き込んだり話し掛けたりはほぼ厳禁といった有様だった(唯一許されるのは、他将からの呼び出しを取り次ぐ時くらいだ)。
 ならば室を出て、何か違うことでもすればよさそうなものなのだが、生憎が一人でできることなど何もない。
 何故なら、はこの世界に誤って存在する、『異邦人』に他ならなかったからだ。現代人として生きて来たは、この世界においては生まれたての小鹿よりもひ弱な存在であり、事実、もし一人にされでもしたら、偽りなく生きていけないと断言できる。
 城の中に在ってさえ、人さらいに遭わない保証がないという世界だった。
 まして、の存在は面白可笑しく伝わっており、ある意味さらうにも売り飛ばすにも打ってつけな、珍獣扱いをされている。
 夏侯淵の傍に置かれているのは、曹操の粋な計らいと言うべきだ。
 小間使いにもならないではあるが、狙われる率は普通の娘の比ではなく、だからこそ腕の立つ武将が護衛に立つ必要がある。
 だが、自身に政務並びに軍事的な価値がない以上、むやみに将を充てるのは無駄そのものと言っていい。
 結果的に、細かいことは気にしない、けれど気の回る夏侯淵が適任と目されて、をペット代わりに引きまわすことで決着が付いた。
 自分のことを良く分かっているには、何ら異論のない決定である。
 当の夏侯淵も、を憎からず思っていてくれるらしく、時間が空いた時には武芸の手解きまでしてくれる。迷惑掛けているかもと心配になることもあるが、夏侯淵は表裏がある男ではなかったから、も安心して夏侯淵に懐いていた。
 ただ、やはりその分こういう時間は気が重くなる。
 趣味の時間を割いてまではに付き合おうとしない夏侯淵の在り方は、逆から見ればが負担を掛けていない証でもあったが、話し掛けることも許されないのは、我儘と分かっていても少し寂しい。
 今日は、殊更にそう感じてしまう。
 時の流れが変わっても、進んだ文化を持つこの世界にあって、日付は正確に今日という日の存在を明かしてくれる。
 今日は、の誕生日だった。
 友達の数は、多くはないが少なくないの誕生日に、誰からもそれを祝われないというのは初めての体験だ。
 だからこそ少しばかり寂しいと、けれど言ってもいないものを察しろという傲慢さを、は心の中で持て余す。
 せめて夏侯淵と言葉を交わせさえすれば、こんな風に思い詰めることもなかったかもしれない。
 いっそ他の将から取り次ぎを求める呼び掛け出も来ないかと、いじましいことさえ考えてしまう。
 そうすれば、この落ち付かない静寂から別れを告げることが出来る筈だ。
 と、夏侯淵が立ち上がる。
 膝の上に落ちた木屑や埃を払うのを見て、は室の隅に置いてある箒を手に夏侯淵の元へ急ぐ。
 掃こうとして身を屈めた瞬間、の手から箒が消えた。
「ほれ」
 代わりに握らされたのは、今の今まで夏侯淵が取り組んでいた弓だった。
「……これ……」
「お前ぇの弓だ。前に使ってたやつ、ちっとばかり大きくて手に余るって、言ってただろ?」
 上手くいかない泣き言の言い訳を、夏侯淵はしっかり覚えていた。
 覚えてくれていた。
 胸に、沁み入るような熱が広がり、喉を塞ぐ。
「あ、ありがとう、ございます」
「いいってことよ……誕生日、なんだろ?」
 礼を言うのが精一杯のに、夏侯淵は隙なく追撃を加えて来た。
 驚きを表情に露にするも、夏侯淵は笑っていなす。
「お前の、何つったっけか、けーたい、か? 朝方、ぶつぶつ言ってたからよ。そんで、何の気なしに見てみたら、誕生日ってなってたからな。まぁ、相手の名前がねぇってことは、たぶんお前のだろうと思ってな」
 祝うんだろ、誕生日は、と軽く言い放つ。
 その一言一言が、にどれだけの衝撃を与えるか知りもせずに、だ。
「……好きになっちゃいますよ」
 何とか夏侯淵に言ってやりたくて、そんなことを言ってしまう。
 こんなことを言ったからといって、一矢報いることになど絶対にならないと自身も分かっていたのだが、口から出たのはよりにもよってなこの言葉だった。
 そして、やはり夏侯淵の方が上手なのだ。
「おぅ、惚れろ惚れろ」
 軽く煽ってけらけら笑う夏侯淵の表情に、の言葉を本気にした様子は欠片もない。
 無性に悔しくて、切なくて、いつか絶対後悔させてやるからと、意味もなく決心していた。

  終

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