「尻でしてみたい」
戯言をでこぴんで一蹴すると、は身を起こした。
膣が擦れて僅かに痛みを覚えた。早くシャワーを浴びて、体の汗や滑る股間を洗い流してしまいたい。
浴室に向かおうとするを、背中から抱き締めると、軽々と持ち上げてベッドに引き摺り戻す。
「なぁ」
おねだりする子供のような顔に、だがはむっとした顔をした。
「大喬ちゃんに犯らせてもらいなさいよ」
孫策は、素っ頓狂な顔をして、の顔をまじまじと見つめた。
「馬鹿、お前、大喬にんなこと言えるわけがねぇだろ」
の胸が、ずきんと痛む。
痛みを堪えて、おくびにも出さず孫策を押し退ける。
「セフレ相手ならいいって言うのか、このボンボンは」
押し退けた手を掴み、孫策はますます素っ頓狂な顔をする。
「をセフレだなんて思ったこと、俺は一度もねぇよ」
それに、ボンボンでもねぇ、と嘯く孫策に、は思い切り舌打ちをしてみせる。
孫策が嫌いな仕草だと知っていて、わざとそうする。
孫策と体の関係を持ったのは、入社してすぐ、新入社員の歓迎会の時だった。
慣れない酒に酔い潰れたを、たまたま居合わせた孫策が介抱し、流れと言うか勢いで関係を結んだ。
初めての男だったが、は雰囲気には流されない女だった。
思いがけない処女喪失も、孫策がちゃんとコンドームを使ったことだけ確認すると、まぁいっか、で終わらせることにした。
孫策には十近く年下の婚約者がいると既に聞いていたし、調子に乗って悪酔いした自分がいけない。
それで話が済むかと思っていたのだが、孫策はそれで済ませなかった。
食事に誘ってきたり、ドライブに連れ出そうとしたりしてきた。
が断り続けると、むきになったのか自分の下に配属させてしまった(偶然かもしれないが)。
今度は上司命令をちらつかせ、半ば無理やり引っ張り出された。ホテルのレストランで食事した後、軽くアルコールが入っていたとは言えとても酔うほどではない量で、誘うでもない、薄暗い路地裏でただきつく抱き締められて困惑した。
何度かそういうことが続いた後で、から孫策を誘った。
あやふやな関係が落ち着かなく、鬱陶しいと思ったのだ。
愛人なら愛人で構わないし、セフレだというならそれでいいだろう。
孫策が大喬に惚れ込んでいるのは事実だったし、愛されているなどと勘違いした女になるのは御免だった。
体だけの関係、互いの性欲処理を事務的にしているだけ、そういう関係の方がいっそすっきりしていて収まりがいい。
けれど、孫策は飽かず誤解させる言葉を吐き続ける。
好きだ、とか愛している、などという直接的な言葉を言ったことはなかったが、ずっとこうしていたい、とか今すぐ抱きたい、とか、そういう言葉は平気でぽんぽん口にするのだ。
自分じゃなかったら、絶対に誤解している。
は、そんな孫策を危なっかしいと思う。
今のうちなら別れられると踏みながら、誘われるとずるずると続けてしまうのは、その危うさに惹かれているからだろうか。
しかし、大喬もそろそろの存在に気が付いているかもしれない。
無用の修羅場を回避する為にも、そろそろ潮時だと思われた。
異動願いは先日、孫策が出張で一週間留守にしている間に出した。処理速度から言って、孫策が帰ってくる前には人事部に届けられている頃だろう。
問題なければすぐに発動するはずだ。そういうフットワークの軽さみたいなものが、この会社の特徴だ。
成績は上げなくてはいけないが、それも義務と考えれば当然の話だろう。転属希望先であるTEAM蜀の劉備とは、イベントを通じて何度か遣り取りがあったから、人柄も良く分かっている。人手が足りないという話も聞いていたから、減給を前提にしたの希望は、まず確実に通るはずだ。
転職してしまえばいいようなものだが、そこまでしなくてはいけないのかという気持ちもわずかにある。
尽くしているわけではないのだ。
元々、上司命令という強引なやり口で始まった関係なのだから、上司でさえなくなってしまえば何とかなる気がした。
シャワーを浴びていると、孫策が入ってきた。
鍵はいつも掛けてなかったし、時間短縮で一緒に入ることもあったから別に変わったことでもない。
ただ、シャワーを浴びたら帰る、といういつもの暗黙の了解を破って、孫策がを抱き寄せたのは意外だった。
「……何してんの」
胸にある双球に手が這い、首筋に緩く歯を立てられる。
「尻でしたい」
しつこく戯言を言うので、は手にしたシャワーヘッドを孫策の顔に向けた。
ふざけて、はしゃいで笑うものだと思い込んでいたのが、急に真剣な面持ちで飛び掛られて、は身を竦ませた。怯えたと言ってもいい。
バスタブの縁に手を掛けさせられ、四つん這いにさせられたところに孫策の指が尻の谷間を滑り、窪んだそこを這いずった。
ぞっとした。
「ちょっ……や、やだ!」
暴れようにも孫策が圧し掛かっていて、振り返ることもろくに出来ない。
後孔を撫で摩っていた指は、ゆっくりと中に侵入してくる。
固く閉じていたものが、徐々に抉じ開けられていく。
痛みよりも不快感に苛まれて、は唇を噛んだ。
宥めるように首筋や耳朶に舌が這うが、神経が後孔に集中していて、普段なら弱いそれらも感覚が鈍くなってしまっていた。
「」
ぽつりと呟かれる名前が、誰に呼ばれるより熱が篭って切ない。
泣きたくなるのは、痛みと屈辱からだ。
そう思い込んで、声を耐える。
指が増やされて、中で蠢く指の感触に耐える。
痛い。苦しい。嫌だ。
「……んっ!……」
わずかに漏れた声が、自分でもそれと分かるほど艶めいている。
指が引き抜かれた。
代わりに侵入してくるだろう質量に、は身構えた。
だが、衝撃は何時までたっても訪れはしなかった。
孫策が背中からを抱き締めてくる。
あの薄暗い路地裏で抱き締めてきた時のように、ただ無言で、押し込めるように強く抱き締めてくる。
「の全部、俺のもんにしてぇ」
誰にも渡したくないと駄々を捏ねる。
どんな関係なんだ。
上司と部下ならこんなことはしない。でも、体を繋ぐだけのセフレではないと言う。のすべてを手に入れたい、その全てとは体のこと? それとも心まで、全部と言うことだろうか。
「別れて下さい」
言葉は、思っていたより容易く零れた。
「嫌だ」
否定も、考えていたより単純で短かった。
「……お前の転属願い、俺が握り潰したから」
驚きで体が強張った。
孫策は、あらかじめの動きを読んでいたとでも言うのだろうか。手を回しておかねば、到底対応できないことだったはずだ。
「辞めさせないし、……絶対、俺のそばから離さねぇぞ。お前が、嫌だって言っても俺は諦めないからな」
だから。
それはどんな関係なんだ。
いつかは誰かと結婚して、子供を生んで育て、平凡な家庭の中で色々な喜怒哀楽を体感して。それが普通で、自分がそうなることを微塵も疑っていなかった。
普通でなくなっていく。
普通でない、それなら、これは変だ。受け入れられない。
の目から涙が零れた。
孫策は、の体を反し、正面から抱き寄せた。
「お前は、俺のもんだから」
馬鹿みたいな宣言に、思わず頷いてしまう。自分も馬鹿だな、とは自嘲した。
終