女という生き物は残酷なものだ。
 人並み外れた頭脳を持つ曹操は、詩才にも恵まれている。
 の前でも遺憾なく発揮してくれるのはいいが、その人柄のせいか嫌味のスパイスが効き過ぎている。
 何処に如何話を繋げるつもりか知らないが、冒頭の言葉は女性に対して言っていいものではないだろう。
 気が弱い女性であれば嫌われているのではないかとうろたえるのだろうが、は生憎気が強い方だったので、突拍子もない曹操の言葉にも平気の平左だった。
 曹操も、そんなの気質は重々承知していたから、何も拘ることなく話を続ける。
「バレンタインデーの由来となるのは聖バレンタインの受難、つまりは処刑の日に連なるという。そんな日に愛の告白をしようという女という生き物が、残酷でなくて何になると言うのだ?」
 相変わらず博識だと感心する。
 聖人を祝おうという概念すらほとんどない現代日本で、形骸化したバレンタインの由来をすらすらと口に出せるのは、男性としては珍しい部類に入るだろう。
 決して侮蔑している訳ではないが、日本の男性はゆとりが少ない。
 雑学など何の役に立つと端から捨て置いているか、知っていることを鼻にかけ、自らを貶めてしまうようなインテリもどきばかりの世の男性にはがっかりさせられる。
 その点、ゆとりがあり過ぎるのが難点だが、現実を見据えた野心かつそれに見合う能力を持った曹操の傍で働けるのは、のような女にとっては行幸と言うべきかも知れない。
「お言葉ですが、聖バレンタイン自身、実在が危ぶまれるとかで祝福される聖人の一覧から外されていたかと存じます。浅識を承知で物を申し上げますが、元来の慣わしとして見るならば、男性から女性に手紙を送るのが基本であって、女性から男性にとあたかも定められているかのように扱われているのは日本始めとする一部アジア諸国のみ、と記憶しておりますが如何でしょうか」
 顔色一つ変えずに申し立てれば、曹操の口元がにやりと笑みの形を作る。
「良く知って居るな」
「恐縮です」
 どうせ曹操も知っていたに違いない。
 知っていて、わざとを試しているのだ。
 部下の能力を試すが如くの遣り取りは、のみならず他の部下にも大なり小なり形を変えて行われている、曹操お気に入りの『お遊び』の一つなのだった。
「博識の部下に、ではわしから一つ褒美をやろう。今夜はお前の行きたい場所に連れて行ってやる。予約なりしておくがいい」
「恐縮です。ですが、曹操様。私にも、先約の一つもあるとは思われないのですか」
 の申し出に、曹操はしかし余裕の笑みを浮かべるのみだった。
「お前に、わしより優先すべき先約があるとは思えんな」
 何という傲慢、何という不遜。
 けれど、曹操という人はそれを言って許されるだけの才と魅力に溢れた人だった。
「畏まりました。てっきり、曹操様にこそご先約がおありになるかと思い、要らぬ気を回した無礼をお許し下さい」
「わしにも、お前以上の先約は居らぬ。案じるな」
「先の、可愛らしいお嬢さんはどうなさったんです」
 呆れて問い詰めると、曹操は如何にも愉快げに笑った。
「気になるか? ……あれはもう終わった。飽きたのでな」
 始まったの終わったのを訊いた覚えもないが、いちいちその理由を告げる必要もなかろう。
 曹操は、時々こうした野暮を言う。
 そこだけがの理想の上司から外れてしまうが、完璧を他人に求めるのは酷というものだろう。
 曹操がそうする理由も、は察しが付いていた。
 ヒールの踵を合わせ、一礼する。
 話は終わったという合図だ。
 仕事に戻ろうとするを、曹操が引き止めた。
「お前が止めてくれと言えば止めるのだぞ」
「何をでしょう」
 すっとぼけて返せば、曹操の表情に苦いものが走る。
「……まったく、可愛げのない」
「上司に倣うのが部下の務めと心得ております。文句は、ご自分に仰って下さい」
 曹操がの理想の上司像からわざと外れようとしているのは、この遣り取りのせいだ。
 つまり、恋愛と言うゲームを仕掛けているのである。
 ならば、もそれに殉ずるだけのことだ。
 歯応えのある『プレイヤー』として認められたのであれば、精々日々の研鑽に励もうと思う。
 それが曹操に対しての最大の礼儀だと知っていた。
「降参すれば良いか? 負けを認め、お前の足元に平伏せばよいのか」
 切なげな視線を投げてくる曹操に、はにっこりと微笑んだ。
「まぁ、ご冗談を」
 軽くかわされ、曹操は渋い顔を見せた。
 ある意味奥の手の一つを使っただけに、欠片も効果がないのはやや痛い。
「なかなか手強い」
「恐れ入ります」
 そうして互いに微笑んで、扉を閉ざして一時休戦に入る。
 イーブン、こちらがやや優勢ってとこかな?
 優勢を得た安心感と思い掛けないデートの約束に、つい浮かれてスキップする。足音は厚い絨毯が吸収してくれるからと、気にもしなかった。
 デスクのあるフロアに戻り様、何の気なしに振り返ると、扉の細い隙間から曹操がこちらを見詰めているのが見えた。
 げ。
 思わず固まったに、曹操は声もなくにやりと笑って扉を閉ざす。
 見ていたのだと知らせる為に、わざとそこに居たのに違いない。
 れ、劣勢に修正……。
 詰めの甘さに項垂れる。
 ゲームの勝敗の行方は、未だに分からなかった。

  終

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