仕事始めに神社へ参拝する、というのは、どんな会社においても他愛なく見られる風物詩のようなものだ。
 迷信とは縁遠いこのTEAM魏でも、それは何故か変わらない。
 案外、初詣と言う名目で煩わしい新年の挨拶から逃れたいという君主曹操の意図が働いてのことかもしれない。
 詳しい諸事情については如何ともしがたいが、取引先から工場に至るまで新年の挨拶で潰れてしまうような仕事始めである。とて、一日中頭をヘコヘコ下げて歩き回るよりは、神社なりに出向いて縁起を担いでおいた方が気分がいいと言うものだ。
 そんな次第で、TEAM内で(これはむしろ本望な)新年の挨拶を済ませると、連れ立つように神社へ向かう。
 別に声を掛け合った訳でも示し合せた訳でもないのだが、行く先は皆同じ神社と何となく決まっていた。
 その神社が霊験あらたかと有名で、また商売繁盛に験があると謳っているせいかもしれない。
 も勿論その神社へ向かうつもりだった。
 一行とはぐれたのは、偶々が手袋を忘れたからに他ならない。
 素手で出歩くには幾分か肌寒かった。なくても構わないとも思ったが、冬の冷え込みは日を暮れてからが凄まじく、冷え症の気があるは幾ら用心してもし足りないくらいだ。
 手袋を手にエレベーターを降りると、先に神社へ向かっただろう面子の姿は既になく、がらんとしたホールが広がっていた。
 急いで追い掛けようと足を速めたの目に、ちらりと横切る人影が映る。
――あれ?
 見間違いでなければ、今ビルの影に消えたのは常務の曹丕だと思われた。
 そして、曹丕の向かう方向はどう考えても神社へ向かう道ではない。
 何か所用があって、それを済ませてからの参拝かとも考えられたが、それにしてもどうなのだろう。
 が曹丕の後を追ったのは、単なる気まぐれに過ぎなかった。

 曹丕らしき人影を追って来たではあったが、それらしき影を再度見掛けることはなかった。
 勢い、そのまま奥へ奥へと進んでしまい、ビル影独特の冷え冷えとした空気に、思わず身震いしてしまう。
 やはり見間違いだったかなと、凍えるような寒さも手伝って今来た道を戻りたい心境に駆られる。
 重い足が、じり、と石畳を引き摺り、立った音に誰かが振り返る気配があった。
 恐る恐るが足を進めると、果たしてそこに曹丕の姿を見出した。
 道の脇を彩る常緑樹の木影が死角を作り出しており、下手をすれば曹丕に気付くことなくスルーしていたところだった。
 ぽっかり空いた小さなスペースに佇む曹丕は、訝しがるでなくの顔をじっと見ている。
「……あの、常務……」
 視線が生み出す圧力に根負けして、は会話の糸口を探す。
 しかし曹丕は、に一瞥くれて背を向けた。
「すぐ代わる」
――代わる?
 何をだ、とが曹丕の後ろ姿を眺めている間に、曹丕は『所用』を済ませたらしい。一歩下がって、の為と思しきスペースを空けてくれた。
 それでようやく、曹丕が何に向かっていたのかが分かった。
 曹丕の立っていた所には、小さな祠が鎮座ましましていた。
 幟の一つも立てられてないが、これはお稲荷さんの祠だろう。小さいながらも手入れはされているらしく、薄汚れている風でもなかった。
「……えっと」
 曹丕は黙ってを見ている。
 がここに来たのは、参拝以外の何物でもないと信じて疑ってないようだ。
 仕方なく、は小銭を取り出しこれまた小さな賽銭箱に放り込む。
 二礼二拍一礼で良かったものか、自信はないなりに誠意は込めて頭を下げる。
 願い事は咄嗟に思い付かず、だから今までここに稲荷神社があるのを知らなかった非礼を詫び、今後は時々油揚げを持ってこようと心に決めた。
 が最後に深々と頭を下げると、後ろに立っていた曹丕がやや不思議そうに目を凝らしているように思えた。
 本当に微かな違いだから追及も出来ず、は小首を傾げて疑問を示す。
 曹丕が流すのならばそれでいいと思ったが、曹丕はの疑問に意外や素直に応じてくれた。
「そう、やるものなのか」
「……はい?」
 一瞬、曹丕の言わんとするところが理解できなかったが、はふとあることを思い出した。
 曹丕は、お稲荷さんを拝んでいる時、手こそ合わせていたものの頭を下げてはいなかった。拍手の音がしていれば、それでも気付いた筈であるから、恐らく拍手もしていなかったに違いない。
「……え、ご存知ないんですか、二礼二拍一礼」
 にれい、と分かったような分からないような怪しげな発音を繰り返したところから、疑問は確信に転じた。
「……神社、行かれないんですか」
「それも神社だろう」
 つい、と指差す無作法は、どう考えても信仰心の欠片も伺えない。
 指差すのはさすがにナシだと、は無言で曹丕の手を押さえた。
 勢いでのことで何気に平気を装うが、やられた曹丕の方は幾分か驚いているようだ。ヒラにされるような仕打ちではないから、まぁ自然な反応と言える。
「人差指で指差すようなのは、さすがにマズイですよ」
 一応釘を差す。
「……案外、迷信深いと見える」
 嫌味なのか、即座に切り返してくる曹丕には曖昧に笑ってお茶を濁した。
 何であれ、参拝しておいてそんな態度はない。迷信というならわざわざ詣でなければいいだけで、詣でておいて悪口雑言では道理が合わない。
 迷信深いなどと、それ以前の問題だ。
「……て言うか、皆とは一緒に行かなかったんですか? 参拝した後、新年会兼ねて食事する予定だったと記憶してますが」
 これもまた例年の行事で、ホテルの一室を借り受けて立食パーティーをしている。
 が置いて行かれたのもそのせいで、後で合流する場所がきちんと設定されていたが故の処遇である。曹丕の後を追ったのも、後で必ず皆と合流出来る確信があったからだった。
「人混みの多い場所は、好かん」
 曹丕はあっさり言い捨てた。
 確かに、件の神社は人が押し寄せることでも有名な神社だ。仕事始めのサラリーマンが押し寄せる為、三が日のみならず一月初頭は大抵混んでいる。
 どうやら君主他一同、縁起担ぎと縁遠いという噂は本当らしい。
 曹丕がこの稲荷神社を詣でていたのも、単に『初詣の為に社外に出る』という名目をクリアする為の行為に過ぎなかったようだ。
 初詣には違いない、ここも間違いなく神社である。
 けれど、にはその曹丕の心構えがどうにも納得し難かった。
 どうして伝えたものか。
 曹丕はただ、黙ってを見ている。
「一応」
 は指先を揃え、曹丕を祠の前へ誘った。
「……一応、作法だけは守っておきませんか。郷に入っては郷に従え、じゃないですけど」
 曹丕がクリアするべきは『神社に出向く』ではなく『初詣を済ませる』ことの筈だ。
 形だけでも守るべきを守って、それでも納得することにした。
 無理矢理ではあるが。
――あー、私、やっぱ結構迷信深いのかも。
 の覚えている限りでは、お稲荷さんはなかなか神通力の強い神様の筈だった。
 正直、そんなお稲荷さんをあまりにないがしろにする曹丕に、罰が当たったりはしないかと心配になってしまったのだ。
 隠してはいたが、にとって、曹丕は密かに心ときめく異性なのである。
 そんな人に、無体な罰が当たるのはどうにもやるせない。
 嫌味を言うなり逆らうなりするかと思われた曹丕は、ぎこちないながらも二礼二拍一礼を済ませ、を振り返った。
 次の指示を待っているようだ。
「……それで、終わりです。後は、後で油揚げ買って、お供えしておきますから」
「油揚げ?」
 何だそれはと突っ込んでくる曹丕に、そんなことも知らないのかとは苦笑いを禁じ得ない。
 どんな神を祀っているのかも興味がないらしい。
 もっとも、大抵の人はそうなのかもしれない、と思い直した。当のとて、神社に詣でるなど初詣の時くらいなものだ。
「お稲荷さんを祀ってるから、油揚げですよ。ほら、油揚げ煮たのでご飯包んだのを、稲荷寿司って言うでしょう?」
「ならば、稲荷寿司でなくていいのか」
 どうだろう。
 も、そこまで詳しくはない。
 ただ、お稲荷さんは狐であって、狐の好物は油揚げとされているので、油揚げであれば良さそうに思える。
 お稲荷さんとは言え、動物に醤油という塩分含んだ食べ物を食わせていいものかと悩み始めたは、不意に腕を引っ張られた。
「とりあえず、油揚げか」
 の手を取った曹丕は、の返答も待たずにすたすたと歩き始める。
「え」
 後で私が買ってきますけど、という一言を、はうっかり呑み込んだ。
 聞き入れられる空気でもなし、何より、自身が言うのを躊躇っていた。言ってしまえば、曹丕はこの手を離してしまうかもしれない。
 歩きながらも曹丕は指を手繰り、いわゆる『恋人繋ぎ』に指を絡めた。
 しっかり繋がれた手からは、曹丕の体温がじんわり伝わって来る。
 嬉しさと恥ずかしさが綯い交ぜになり、は寒さを忘れて頬を紅潮させた。
 これは、お稲荷さんがくれた早速の御利益なのか。それとも、油揚げ欲しさに、神通力を働かせたものなのか。
 分からなかったが、それでも、この一瞬を手離したくなかった。

 終

ヒロイン/短編INDEXへ→