竜虎相搏つ、等と言う。
TEAM呉における尚香とは、正にこの『竜虎』と呼ぶに相応しい二人だった。
見た目からして正反対、性格も趣味も、まるで違う。
今、二人は眉間に皺を寄せて対峙している。
一触即発、今にも弾け飛んでしまいそうな緊迫した空気に包まれていた。
「分からない人ね」
声音にも尚香の苛立ちが滲む。
「貴女こそ」
対するの声にも、隠しようのない好戦的な刺々しさがあった。
尚香の目がきらりと光る。
「……いい? もう一度言ってあげるけど」
曰く。
バレンタインのチョコレートは、全身型取りチョコレートに限る。
「何を言ってるの。私の話を聞いてなかったの?」
曰く。
バレンタインのチョコレートは、白鳥型氷の彫像に忍ばせるに限る。
ちなみに、仕事の話では決してない。
あくまで自分用のバレンタインチョコレートの話である。
職場では何かと対立しがちな二人だったが、さっぱりとした男勝りな性格という点では瓜二つ、私生活ではどぎついことも平気で言い合える仲良しこよしなのだった。
「だーかーらー!」
焦れた尚香が、愛用のクッションをばふばふ叩く。
愛用ってどんな愛用なのだろうと首を傾げたくなるような、粗雑な愛用ぶりだ。
「ちょ、やめて、埃が立つ。私、喉弱いんだからマジやめて」
「何が喉弱いよ、この間倉庫に籠もって一日中整理して埃まみれになってたじゃない」
「あれは、だって手伝ってくれないかって言われちゃったんだもん」
ここぞとばかりに、恋する乙女は好きな男のお願い一つでその体質までも変えるのだという独自の持論が展開された。
「女って、好きな相手に合わせて化粧も変えるじゃない。カメレオンの色の変化とおんなじことよー」
カメレオンは感情で体色を変化させるものなので、恋する乙女の体質はそれと同じ理屈なのだと嘯いた。
「へぇー、そーなんだー」
納得する尚香も大概である。
の怪説は多大なる脱線を生んだが、女子の会話のおおよそ73%は環状線である。
どれだけ逸れようとまた元の位置に戻って来るのだ。但し、会話のレールに終点に相応しい終着駅は見当たらない。
「で、チョコレートなんだけどぉ」
この時も何事もなかったように戻ってきた。
「やっぱり、最強は全身型取りチョコじゃない? だって、自分の形したチョコ食べてって送っちゃうんだから、意っ味深よ〜!」
きゃあ、と一人で盛り上がる尚香は、頬を染めて妄想モードに突入だ。
――最初は唇から食べてもらって、あん、でも玄徳様ったら『尚香殿を齧ってしまうのは申し訳ないな……』とか言って、ぺろぺろ舐めちゃったりして! で、その唇がだんだん下の方に行っちゃって、私の、む、胸とかに行っちゃったりなんかして……で、『尚香殿は、甘いな……』とか、もう、玄徳様ったら! でも、恥ずかしいけどちょっと嬉しい、とか、とか、とかー!
頭の中だけのつもりのものが、口から駄々漏れなのはお約束だ。
尚香の流れるような妄想に、が待ったを掛ける。
「でも、全身ってことは顔も取る訳でしょ?」
それは無論だろう。
顔だけなかったら、ある意味観光地の穴あき看板(ここに顔を入れて写真をどうぞ!)だ。
笑うに笑えない。
「下手すると、デスマスクよ、それ」
更に投下される爆弾発言に、尚香の顔がひくりと引き攣る。
「で、で、デスマスクー!? 、あんた言うに事欠いて何てこと言うのよー!」
しかし、が言うのももっともなのだ。
何で型を取るかはさておき、出来上がった表情はその型からはイマイチ想像がしにくい。
美しい笑みを手に入れる為に、幾つのデスマスクを献上するか知れたものではないのだ。
膨大な手間を考えれば、が渋るのも無理はなかった。
「それに、体の型なんてえっらい手間だし、型にしたら物っ凄く大っきくなるわよ?」
「そんなの」
直接体に塗り付ければ、等と恐ろしいことを言い出す尚香に、は淡々と説明を加えた。
曰く。
死ぬぞ。
「人間は皮膚呼吸してんだから、体にチョコレートなんか塗ったくったら息できなくなっちゃうわよ」
「だって、そんなこと言ったら金箔ショーなんてどうするのよ」
古いことを知っている。
「だから、実例があるから言ってるんじゃない」
え。
それって。
「……最近、金箔ショーって聞かないわねー」
怖い話になってまいりました。
さすがの尚香も、ちょっと黙る。
「でも、の氷詰めチョコだって、駄目なんじゃない?」
「どうして? 結婚式とかでよくあるじゃない。氷の白鳥とかさぁ、あん中にチョコ入れとくのよ? インパクトは抜群だし、チョコレートも溶けないで置いておけるし、一石二鳥じゃない!」
は得意げに胸を張る。
実際、氷の中に花を閉じ込めて彫像する氷柱花もある訳だから、花ではなくチョコレートを入れてもらうことも可能だろう。
しかし、尚香は言った。
曰く。
貴女は、アイスに仕込まれたチョコレートの威力を知らない。
首を傾げるに、尚香は軽く咳払いする。
「……昔ね、某アイスクリーム屋のアイスが大好きで。そこって、トッピングをアイスの中に混ぜ込んでくれるのね。私、チョコレートにチョコクッキーと生ストロベリーっていうのが定番だったんだけど、その日は何となくバニラが食べたくて、それでトッピングも変えてみたのね」
チョコクッキーは定番だったから、尚香はチョコレートチャンクをセレクトした。
その結果。
「歯が」
言い難そうに口元を押さえた尚香の顔が翳る。
「……え、まさか」
「……乳歯だったから、まだ良かったんだけどね……」
アイスに仕込まれたチョコレートチャンクは、冷たいアイスクリームに閉じ込められたが故に異様に冷やされ硬度を増し、めげずに噛み砕こうとした尚香の歯に逆襲のカウンターアタックを喰らわせたのだった。
「そ、そんなことって……!」
事実は小説よりも奇なり。
無言で笑う尚香からは、いっそ体のいい笑い話であって欲しかったと、尚香こそが切に願い求めているような気勢を感じる。
やめよう。
は心の中でそっと呟く。
氷の白鳥は惜しいけれど、私にはこれ以上尚香の深い傷を抉ることはできない。
深い傷云々はともかく、の案を現実にするには(尚香の案も同様に)かなりの資金力と時間が掛かるのだが、二人ともそのことに気付いた様子はない。
バレンタインは、明日なのだ。
正確には、後24時間を疾っくに切っている。
更に詳細を言えば、実は0時を回っている。
それを人は、今日という。
「どーしよっか」
「どーしよう。でも、お店で売ってるようなチョコは贈りたくないのよね〜」
「だよね。愛がないよね」
「でしょ。やっぱり、本命チョコは手作りよね!」
「だーよねー!!」
盛り上がりはするものの、滑らかに動くのは口ばかりで、手の方は一向にお留守な二人だった。
けたたましく盛り上がっているもので、階下のリビングに居る孫堅達の元にも音が響いて伝わって来ている。
防音はそれなり効いている建物なのだが、二人の盛り上がりは現代の防音設備のレベルを遥かに凌駕しているらしい。
お祭り好きの孫策でさえ、突如沸き上がる噴火のような爆笑に、時折ぎょっとしては訝しげに上を見上げている。
孫家の構える邸宅は、四階建ての鉄筋作りだ。
小さなビルのような作りになっていて、一階は家族共有のリビングとして、二階は尚香、三階は孫権、四階を孫策が占領し、父親である孫堅は敷地内にある別棟の一軒家に居を定めていた。
直下ということもあり、話の内容こそ聞こえないものの声や振動は微妙に届くという訳だ。
「注意、してきましょうか……」
孫権が恐る恐る申し出るが、孫策に軽く却下される。
「いいって、どうせ、明日の準備で盛り上がってんだろ? 何だかんだ言ってあの二人が作るチョコレート、美味ぇからな。これぐらい、見逃してやろうぜ!」
元より竜虎が待ち構える所へ顔出しなどはばかられる。
孫策に諌められたことで、孫権はほっと胸を撫で下ろした。
が。
「何だ、お前達。知らなかったのか?」
「あん? 何だよ、親父ィー」
それまで静かに読書に勤しんでいた孫堅は、広げていた雑誌をサイドテーブルに押し遣る。
夜も更けたということで、今宵はもう休むことにしたらしい。去り際に、ついでにといった軽い風情でとんでもないことを暴露した。
「お前達が尚香とから貰ったチョコレートはな、あれは、毎年黄蓋が作ってやっているものだ」
「は、あ!?」
仲良くハモる息子二人に、孫堅は口の端をめくり上げて笑う。
「……本当に、知らなかったようだな。あの二人に、繊細な作業が出来ると思っていたのか?」
思い起こせば、あの二人を『竜虎』と呼び習わしたのは孫堅が最初なのだった。
ちなみに周囲は、仕事の出来具合、気性、対立の激しさからそう呼ばれているものと思い込んでいた。
竜は風を薙ぎ払い虎は大地を穿つとも、チョコレート作りのようなきめ細やかな作業を求めるべくもない、ということなのだろう。
それは黄蓋にも言えたことではあるのだが、長の付き合いを経た孫堅からすれば、黄蓋の人となりは世間一般から認識されるそれとはまた異なったものらしい。
ただ、美少女然とした二人が作ったチョコレートと、筋骨たくましい黄蓋が作ったチョコレートでは、埋め難い格差が生じるのもまた事実だった。
今頃、黄蓋はチョコレートの量産に忙しくしている頃だろう、と呟いて去る父の姿を、孫策と孫権は呆然として見送った。
毎年恒例の美味なるチョコレートにはあり付けそうだが、今年のチョコレートは少しばかり苦いものになりそうだ。
上の階からは、未だ賑々しい声が響いている。
終