がっかりした。
別に、チョコレートを贈ったくらいで『お付き合いしましょう!』なんてことになるとは思ってない。
年が少し上だから、ひょっとしたら向こうの『守備範囲』にも入ってないかもしれない。
それでも、やっぱり期待してしまっていた自分が一番情けなくて恥ずかしい。
手作りだと重過ぎるかなとか買うにしてもありきたりじゃイヤ、あんまり見ないタイプで、デザインが私好みで、味は勿論最重要、値段は高くてもそれが嫌味にならない外見で、等々。
必死になってチョコレートを選んでいたのが、渡した後になってから物凄く恥ずかしくなってきた。
何そんな必死になっちゃってんの、と、過去の自分を鼻で笑いたくなる。
落ち込むようなことはない。
彼はちゃんと、『有難うございます』と言って快く受け取ってくれた。
それだけ、ではあったけど。
満面の、でもどこかはにかんだような笑みを、真正面の近距離から見られただけでも眼福だったではないか。
彼は悪くない。
悪いのは、自意識過剰で期待し過ぎた自分が悪い。
本気過ぎて気持ち悪い、と思われなかっただけマシなのだ。
表立ってそう思っていると見せなかっただけで、本当は薄気味悪かったのかもしれないけど。
バイトの世話役ってだけの年上の女から、こんな本気モードのチョコレートをもらったら、普通の男の子だったらどん引きするだろうけど。
彼は、そんな今時の男の子じゃないから、きっと大丈夫。
気持ちに気付いてもらえなかったのは寂しい(でもほっとしている)けど、引かれて陰口叩かれたり嘲笑されるよりはずっとマシ。
そんな風に言い聞かせてないと、どんどん落ち込んでしまいそうだった。
「殿」
仕事が終わっても何となく帰る気になれず、食堂の自販機コーナーで時間を潰している時だった。
彼が……関平が、私の方に走って来る。
手には私が送ったチョコレートの箱を持っていた。
ラッピングが少しばかりずれていたのが見えて、開けたんだなとぼんやり考えた。
「殿、あの」
弾んだ息を感じて、私は何故か赤面した。
浮き立つような、でも足に太い鎖が巻き付いて離れず、中途半端な浮遊感が私を不安定にする。
期待していたし、胸騒ぎもする。
わずかな間が落ち着かない。
「いただけません」
後者がヒットしたことで、私の視界は一気に暗く沈みこんだ。
この期に及んで厚かましくも、前者に違いないとでも思ったのか、と自分を詰りたくなる。
「えっと……?」
外面だけは不思議と平静を保ったまま、私は関平にさりげなく返却理由を督促する。
「高価なものなのですよね。こんな高いもの、拙者はいただけません」
値段のことは星彩に聞いたのだと言う。
重ね重ねの大打撃に、私は本当に目の前が真っ暗になった。
他の女にもらったチョコレートを見せるなど、母親姉妹以外として考えられるのは一つだ。
二人がそんな仲かも知れないことは、疾っくに予想が付いていたけれど、私は敢えて見ない振りをしていた。
でないと、自分があまりに報われない……と、勝手に悲劇のヒロイン気取っていただけ。
いい年をして、みっともないことこの上ない。
それにしても、あぁ、そう取ってしまうのか。
露骨でも手作りの方が、突っ返されない分マシだったろうか。
今更そんなことを考えた。
「……ん、まぁ、気持ちっていうか。そんな、たいしたもんでもなかったつもりなんだけど」
私は関平の持つ箱を、そっと押し返した。
「一度上げたものを返されるのって、あんまり気分いいもんじゃないよ。いいから、今回のところは受け取っておいてくれないかな。お返しとか、期待してた訳じゃないから」
嘘だ。
本当は、多大な期待をしていた。
関平が、こんな高いものを、美味しいものを、ちょっと特別な感じのするものをくれるなんてどうしてだろうと、私を意識してくれることを期待していた。
意識ついでに、私に好意を持ってくれないか、もっとぶっちゃけて言うと、私を女として意識してくれないか、夢中になってくれないかと激しく期待していた。
いやらしい妄想もきっちりしていた。
我ながら、本当に下らない妄想をしていたものだ。
絶対に知られてはいないだろう関平に対して、救いようのない罪悪感すら感じる。
私の妄想の中で、私は貴方に何度も私を組み敷かせてた。
キスどころじゃない、オトナのオンナのいじましい妄想相手に選ばれちゃって、ホントにごめん。
冷や水を浴びせかけられたように冷静になって、私は自分の愚かさを真剣に嘲笑った。
関平は困ったように立ち尽くしていた。
それはそうだろう、関平が悪い訳ではない。
むっつり黙り込んでしまった女上司を冷静に捌けるような場数は、そう踏んではいないだろうから。
だからこそ、惹かれたのだが。
「いえ、でも……」
本当に、泣きそうな顔をしている。
そこまで困らせてしまったことに、いっそこちらが泣きたくなった。
「こ、こんな高いものの三倍する菓子に、その、拙者は心当たりがなく……!」
目が思い切り丸くなった勢いで、目を潤していた水分が涙になって転げ落ちた。
幸い、関平は私の涙には気が付かなかったようだ。
もじもじと恥ずかしそうに俯いて、自分の無知を恥じていた。
口籠る関平から話を聞き出すのは難儀だったが、関平は高過ぎる贈り物にどん引いていた訳ではなかったそうで、一度口を開くとするする答えてくれた。
何でも、中学から私立の男子校に通っていた関係で、この手の、特にバレンタインの情報には酷く疎い関平は、周囲からもたらされる歪んだ情報をそのまま素直に吸収していたらしい。
その最たる例が、『ホワイトデーのお返しはクッキー』であり『お返しは3倍返し』の二つだった。
関平は、これを合わせて『ホワイトデーにはもらったチョコレートのおおよそ3倍の値のクッキーを送り返すもの』として覚えてしまったようだ。
いずれも定番と言えば定番の情報なのだけれど、組み合わせた挙句にそのまま覚えていたとなると、これがなかなか痛々しい。
これまで貰ったチョコレートは、失礼ながらそんなに高くもなく、また手作りをもらった際には馬鹿丁寧に手作りで返していたので特別困ることもなかったそうだ。
従って、『露骨でも手作りの方がマシ』という私の考えは、あながち間違いではなかった訳だ。
私だって、万の単位で購入するクッキーになど早々心当たりはない。そんな値段のクッキーがあるとしたら、かなり巨大な箱詰めになること請け合いだ。
関平があれ程困り果てていた理由は(馬鹿馬鹿しいけれど)分からないでもなかった。
それであんなに困っていたのだ。
返したくもなるだろう。
私は、軽く溜息を吐いていた。
何だか妙に疲れてしまって、関平の前ではあるが止める間もなく無意識に出してしまっていた。
私の溜息に押されるかのように、関平は申し訳なさそうに身を縮込める。
「……さっきも言ったけど、気持ちだから。お返しとか気にしないでいいから、受け取っておいてよ」
私は今度こそ、本当に何の下心もなく言っていた。
疲れ果てると、妙なスケベ心も萎えてしまうものらしい。
「そうは参りません」
ぴしり、と鋭く頑健に拒む関平に、私は苦笑をしてしまう。
やっぱりこの生真面目さが、私にとってはどうにも愛おしい。
関平はきょろきょろと落ち着かなく視線を泳がせると、恥ずかしながらと小声で呟く。
「あのぅ、実は、先程星彩に『お返しはクッキーでなくとも良い』と指摘されたのですが……拙者、これまでずっとお返しはクッキーで通してきたもので、その、納得がいかず……その、星彩が言っているのは本当でしょうか?」
関平が内緒と念押しして教えてくれたことには、星彩は少し変わった女の子で、用意するのは一応チョコレートなのだけれども、その選択が少しばかりユニークなのだそうだ。
例えば今年、何処で見つけて来たのかゴリラ型の立体チョコをお父上(張飛部長だが)に贈ってみたり、関平には仁王立ちするヒグマの立体チョコを寄越してきたりしたそうだ。
星彩的には『とても可愛い』らしいのだが、特注品かと思ってしまいそうなリアルな形で鮭を加えたヒグマをどうしても可愛いとは思えず、男と女の感覚差かと悩んだとか何とか。
なまじ万全のリサーチを掛けてから選ぶのがそんなチョコレートなもので、関平は星彩の『常識』にやや懸念を抱いているらしい。
私のチョコレートも、星彩の事前の市場リサーチにしっかり引っ掛かっており、小さなタウン誌で写真付きで紹介されていたこともあって関平は星彩の言葉を信じるに至った、ということだった。
雑誌などで取り扱われていないようなものを、と意気込んで探し出したのに、星彩に今度そのタウン誌を教えてもらおうかと思ってしまう。
話が少々逸れてしまったが、私は、あくまでもお返しは結構だけれどもと前置きした上で、星彩の意見が正しいこと、今はむしろお菓子にこだわらずお返しする子の方がうんと多いのだということを教えて上げた。
関平はカルチャーショックを受けたようで、ぽかんと口を開けている。
私は、現金にも関平と星彩の仲が邪推していたものと違っていたことに浮かれていた。
何ともお手軽で恥ずかしい。
自分で自分に突っ込みをしていて、うっかり関平の存在を忘れた。
「……で、いいでしょうか」
「え?」
うっかりの間に聞き逃してしまい、慌てる。
「ごめん、あの、もう一回、いい?」
拝むようにして関平を見上げると、関平の顔が赤い。
怒らせてしまったろうか。
関平は言い難そうにごにょごにょと口を動かしていたが、不意に強く引き結び、覚悟を決めたように大きく開いた。
「あの……しょ、食事にお誘いしても、よろしいでしょうか!!」
「え、あ、うん……?」
勢いに乗せられて、思わず頷く。
頷いてから関平の言葉を反芻し、フリーズしてしまった。
関平は、私の『Yes』にほっとしたように微笑み、一礼して背中を向ける。
心なしか、足取りが軽いように見えた。
数メートル行ったところで、関平は何事か思い出したように突然駆け戻ってきた。
何、と声を掛ける間もなく、手にしたチョコレートの包みを真ん前に突き出される。
「大切に、いただきます」
また深々とお辞儀して去って行く関平を、私は結局何も言えぬまま見送った。
あんまりびっくりし過ぎて、考えがまとまらない。
関平の態度や言動の端々を勘繰って、もしかして欠片でも見込みあるのかもと思ってしまったら、駄目だろうか。
期待し過ぎるのも馬鹿だし、何よりぬか喜びで終わった時に決まりが悪くなりそうだ。
私はどうも自分で知っていたより思い込みが激しいようだった。
それこそ、つい今しがた証明された欠点だ。
だから落ち着かないと、落ち着け、落ち着いて、今は関平が私のあげたチョコレートを喜んで受け取ってくれたことだけ、喜んでおこう。
懸命になだめる私を嘲笑うかのように、私の心臓はやたら忙しく、馬鹿みたいにうるさくはしゃいでいた。
終