は、一口に言えば喧しい女だ。
 口の悪い女友達は『イタイ子』と言い、付き合いの長い上司からは『あれで嫁にいけるのか』と心配されている。
 本人は、至って気にした様子もない。
 痛い自覚はあるのか、取引先などでは自制しているようだが、宴会や飲み会でのはっちゃけ具合は凄まじいものがある。
 そんなが、龐統を好きになったと言う。
 聞いた者が全員、『何で』と首を傾げ、『龐統が気の毒だ』と声を揃える。
 一部の連中は必ず『せめてでなかったら』と続けるので、はっきり言って龐統に失礼だ。
 けれど、龐統がその噂を気にした様子は、何故かないのだった。

「龐統課長、本命チョコでぃっす!」
 イヤッホーウ、との勢い余りある掛け声付きで差し出されたチョコレートの箱は、ちょっとした座布団並に大きい。
「おや、こりゃあ嬉しいねぇ……こんな大きなチョコレートを配ってたら、お前さんの財布も幾ら入ってたって間に合わないだろうに」
「ヤダー、本命チョコって言ったじゃないですか、本命チョコって! 義理対象の姜維君との差を見てやって下さい、おりゃ!」
 並べられた義理チョコは、涙が出るほど小さい。
 例えるならパソコンのキーボードと比べられたチロルチョコくらい小さい。
 フロアの隅の方で涙目の姜維が、自分の名前を出さないで下さいと至極もっともな感想を呟いていた。
「じゃあ、ご近所の子供達にも分けて上げるとするかねぇ」
「それならちゃんと龐統課長の歯型付けてからにして下さいね! ボクと課長のお約束!」
 そしてまたイヤッホーウと掛け声掛けて駆け出した。
 突撃先は姜維の元で、いきなりロックオンされた姜維はびびって手にした書類を落とす。よくよく考えれば姜維のチョコを持っていたのだから、次に向かうのは姜維であっても何ら不思議ではない。
 フロアに響き渡る大声で『はい、お義理チョコ!』と渡されている様は哀れを誘うが。
 どうでもいいが、何故『義理』に『お』を付けて破壊力増加を促すのか分かりたくない(曰くは単純に面白いから、周囲曰くは姜維をどツボに落とすのを面白がっているから、と、どちらも面白いからというところは合致している)。
 龐統は巨大なチョコを手に、やれやれと肩をすくめた。

 この時期の屋上は、寒さが厳しくて誰も来ない。
 しかし、龐統はその屋上にたたずんでいた。
「龐統課長、お待たせしちゃいましたかー?」
 能天気に現れたは、帰り支度を整えてぶんぶん手を振っている。
「ひょっとして、チョコの御礼にご飯とか? イヤすいません、私和食が大好きです!」
 図々しい申し出を、龐統は軽く流した。
「いやいや、もうそろそろ、いいんじゃないかと思ってね。お前さんがそんなことをしなくたって、あっしは誰にも言わないから、もうお止めなと言いたくってさ」
 の顔から表情が消える。
 笑みを浮かべてはいるものの、その顔を見た者は、が笑っているとは決して思わないだろう。
 作り物のように固まってしまった表情に、龐統は何とも言えない憐みの目を向けた。
「うん、あっしも悪かった。何も、あんな場面で顔を出さなくったって良さそうなもんさ」
「……龐統課長は、何も悪くありませんよ」
 固まっていた表情が、色を取り戻した。
 原色のようないつものの鮮やかさには程遠かったが、先程までの蒼白な顔ではない。
「だって、アレは龐統課長だって災難だった訳じゃないですか。何も知らないで通り掛かっただけなのに、いきなり修羅場に巻き込まれちゃって」

 は去年、別の会社の男と付き合っていた。
 大学時代のサークル仲間で、向こうから申し込まれてのことだったが、破局はすぐに訪れた。
 単純な話、その男は偶々同じ会社に勤めていた同じサークル仲間だった女に当て付けてと付き合ってみせただけだったのだ。
 最初はそうではなかったかもしれないが、と付き合い始めてすぐのバレンタイン、その女から本命チョコをもらったので別れてくれと切り出された。
 優しい嘘すら吐かない言い草は、相手の女の指示であると言う。
――いやぁ、本気で付き合ってくれるつもりがあるなら、ちゃんに正直に話してねって彼女がさぁ。お前に気ぃ使ってんだよ、下手な嘘吐いて傷付けたらいけないとか何とか。
 そんな筈があるものか。
 は男と女、両方の言葉に禍々しい毒を感じて打ちのめされた。
 女はに勝ったと自慢したいが故に男に伝言を命じ、男は女に命じられるままの醜態を晒す。
 馬鹿にしたいだけだと腹が立ち、怒りで拳が震えるということを実感した。
 街中の歩道の端で話しているから、衆人環視の下での晒し者扱いである。誰に見られてもしょうがないし、文句も付けられなかった。
 場所の指定までされていたのだと後日知ることとなったが、女の性格の悪さと男の馬鹿さ加減がより濃厚になったまでの話で、もうどうでも良い。
 とて、能天気を自覚しては居ても傷付かない訳ではない。こんな扱いを受ける道理はない。
 けれど、道化は泣かないのではない、泣かないで見せているのだとさえ気付かない男と付き合ってしまった軽薄を恥じ、は何も言い返せずに固まってしまった。
 その場に偶然通り掛かったのが、龐統だった。
 すすっと二人に近寄ると、何も気付かぬ振りをしてに声を掛けて来た。
――どうしたんだい、こんなとこで。変なセールスにでも引っ掛かったかい。
 龐統の声は普段より余程大きく、明るかった。
――性質の悪い男ってのはさ、馬鹿な分だけ始末が悪い。お前さんはうちの大事な新人なんだ。こんなとこで気も効かない奴にわざわざ付き合って立ち話なんかして、風邪でも引かれたら堪らない。さぁ、帰った帰った。何なら、一杯やってくかね。銀座の方に、いい店があるんだ。
 男を無視し、しかしきっちり貶めて、龐統は巧みにを男から引き離した。
 掴み掛ろうとする男を華麗にかわし、足掛けの小技まで効かせて転倒させると、如何にも偶然難を逃れたように振舞い警察を呼ぼうとする。
 男がパニックして逃げ出すと、龐統もを連れて衆人に紛れた。
 その後も、男から軽い嫌がらせがあったのだが、龐統が敏く察して手を打ち、が何をするまでもなく男との仲を完全に切らせてくれた。
 サークル仲間からの噂によると、あの二人はすぐに別れ、女はともかく男は少々酷いことになったらしい。自業自得だし、実は迷惑を掛けられていた者も多かったらしく、一人として同情しなかった。
 とは言え、も普段が普段なので、誰もが傷付いているとは思わず、自身もげらげら笑い飛ばして酒の肴にしたものだ。
 本当は傷付いたし、男の嫌がらせも泣く程辛かった。
 今更か弱い女の子振るのも癪で、つい強がって普段通りの自分を演じ続けていた。
 元気が良過ぎて図々しい、落ち込んだことなど一度たりとてないようないつものを演じる影で、口汚く罵るメールや悪戯電話にキレて泣き喚く。
 龐統が居てくれなかったら、多少なりとも神経を病んでいたかもしれなかった。

「お前さんのそれはね、勘違いだよ。辛い時に偶々あっしが居たもんだから、勘違いしちまったのさ」
 だからもうそんな勘違いは止めにして、ちゃんとした男を好きになったらいい。
 龐統の言葉を、はにんまりとした笑みで受け止めた。
「ちゃんとしたヒト、好きになってますよ。龐統課長、だーい好き」
「……お前さんね」
 頭を抱える龐統に、は歌うように言葉を綴る。
「どうして? 私、龐統課長のことが好き。通りすがりに厄介な目に遭ってる部下見て、何でもないみたいにスッて割って入れちゃう龐統課長、超かっこいい! それを好きになったら駄目なんて、そんなの駄目に決まってるじゃないですか。私じゃなくったって惚れちゃうし、それで私が惚れちゃったんだもん、仕方ないじゃないですかー」
 見返りを期待していないことだって分かっていた。
 何故なら、はあくまでであって、か弱い可愛らしい女の子ではないのだから。
 口が悪い者が、『あの』と冠付けるである。
 助けた龐統が下心を持ち合わせていた筈がない。
「そりゃあ、私が嫌いだから、好かれたら困るって言うんなら話は別ですけどねっ!」
 でも、と繋げる。
「勘違いだからとか、嫌った方がいいみたいに勧める龐統課長って、変なの! そういう変なとこ、やっぱり大好きですよー!」
 あはは、と笑ってが駆け去り、龐統は一人残された。
 何気なく頬を掻いた指先は、寒さと汗とで冷やされて酷く冷たい。
「……別に、嫌ってくれだなんて頼んだ覚えは、ないけどね……」
 ぽつりと呟いた龐統は、軽く身震いして屋上を後にすることにした。
 階段を降りると、が登って来るところだった。
 おや、と首を傾げる龐統に、は勢い良く手にしたものを突き出して見せる。
「龐統課長、お茶ですよね!」
 ホットウーロン茶のペットボトルと、もう片方は缶コーヒーだった。そちらは、が自分用に買ったのだろう。
「……確かにその通りで有難いけどね、今日はコーヒーの方をいただきたいね」
 が不思議そうに目を瞬かせるのを見ながら、龐統は階段を降る。
「チョコレートには、コーヒーの方が合うってもんだろ?」
 謎の解を得て、の顔に笑みが浮かぶ。
 勢い良く龐統を追い抜き、階段の中程からぴょんと飛び降りるを、龐統は苦笑しながらゆっくり追い掛ける。
「危ないじゃないかね」
「だって、何かもー嬉しくって飛んじゃったんですもん!」
 けらけら笑うに、龐統は来月何を返したら良かろうかと考える。
 妻持ちの諸葛亮辺りにでも相談しようかと、胸の内で算段していた。

  終

ヒロイン/短編INDEXへ→