が南瓜を彫る手を止めて、目を向けてくる。
 ふい、と逸らす。
 司馬懿の態度は到底褒められたものではなかったが、いつものことであるせいか、に気にした様子はない。
 が作業に戻るのを見計らい、また視線を向ける。
 作業の手が止まる。
 目が、こちらを見る。
 間髪入れずに逸らす。
 もう、何度となく繰り返している流れだった。
 の作業はほとんど進まずにいる。
 が、自身はこの流れを面白がってしまっているようで、そんなことにも気が付いていない。
 却って、司馬懿の方が苛付いていた。
「やる気がないのであれば、止めたらどうだ」
「やる気はあるよ。あるけど、お祭りの準備なんだし、楽しんでやるの」
 が今手掛けているのは、最後の南瓜だった。
 これが仕上がってしまうと、祭りの準備はすべて終わりとなる。
「そー思うと、なかなか名残惜しくてねー。ついつい、手も止まりがちになるんだよね」
 司馬懿は、ふん、と軽く鼻息を吐き出し、口の中で何やらぶつぶつ呟いている。
「何?」
 大体がところ、『馬鹿め』『凡愚め』等々、文句の言葉を呟いているのだろうと想像が付くというものだろう。
 付くが、敢えて追求してしまうのがの悪い癖と言われていた。
 案の定、司馬懿が適当に誤魔化そうとするのを、はしつこく食い付いて許さない。
「わざわざ、私の室にそんなものを持ち込むなと言って居るのだ!」
「え、だって司馬懿、この祭りの責任者じゃん」
 の指摘にまたも司馬懿は顔を歪ませる。
 曹操に話を振ったのも、祭りの実行を実現化させたのもだった。
 それだけならまだしも、その祭りの責任者とやらに司馬懿を指名したのもまた、なのだった。
 司馬懿が知らぬとでも思っているのか、曹操の威光を嵩に着て、のうのうと押し掛けてくる。
 通常の執務をこなしながら、から一方的に聞かされる祭りの進展度合い等にも相槌を打たねばならず、司馬懿としてはただ面倒の一言に尽きた。
 そんな司馬懿の気持ちを知ってか知らずか、はあくまでのほほんと南瓜の彫り物に精を出している。
「司馬懿、アレ覚えた? アレ、あの、合い言葉」
「そんなものを覚える必要はない」
 吐き捨てるように答える司馬懿に、の手が止まる。
「え、どうするの」
「どうもせん」
 司馬懿は、押し付けられた責任者の立場を逆手に取って、責任者らしく祭りの外から『見守って』いようと決めている。
 であれば、訳の分からぬ合い言葉など、覚える必要はないと断じていた。
「え、駄目じゃん。司馬懿、メインなのに」
 司馬懿が黙る。
 は気にもせず、司馬懿の返答を待った。
 沈黙が落ちる。
「……私が、何だと?」
「メイン。もらえない子が出るとまずいからさ、最低一個はきちんとお菓子をもらえるような、そういう場所設置しとかなきゃって思ってさ。だから、そこに司馬懿に入ってもらうから」
 司馬懿の目がくわっと吊り上がる。
「勝手に決めるな!」
「勝手じゃないよ、この間ちゃんと報告したじゃん? 司馬懿には、メインの場所に居てもらいたいんだけどって。うんって言ってたじゃん」
 怯みもせず淡々と言い換えされて、司馬懿は口を噤む。
 納得していないのは、噤みながらも突き出した唇の形で知れようものだ。
「……司馬懿、ひょっとして、さぁ」
 ぎろ、と目だけ剥いて答える司馬懿に、は珍しくも肩をすくめる。
「イヤ、ひょっとしてなんだけど……英語、てかカタカナ語、言い難い、とか? それがバレるのイヤで、聞き返したりもしなかった、とか?」
 司馬懿は複雑そうに目を細めた。
 本心を当てられた時に露出する、ある意味素直な顔だ。
 は南瓜を掘る手を完全に止め、頬杖を突いて司馬懿を見詰める。
 あまりに繁々と見詰めているもので、司馬懿が耐えられなくなった。
「……何だ!」
「イヤ、どうしたら言う練習してくれるかなぁと思って」
 何であろうが、上手くなる為に、また慣れる為には繰り返し練習あるのみだ。
 しかし、司馬懿の気質から言えば、遥か格下と認定したから学ばねば練習もままならない状況など耐え難い。
 例え相手が曹操であっても、司馬懿は恐らく同じように思うだろう。
 純粋に、嫌々ながらも従うかそうでないかの差なのだが、は司馬懿に強制をしてまでとは望んでいなかった。
「だって、お祭りなんだよ。しかも、ホントにただ楽しみましょうって、そういうお祭り」
 元々の宗教的意味合いは、現代ではかなり薄まっている。
 としてもそういった宗教云々は一切なしで、楽しむだけの祭りを望んでいた。
 曹操がの願いを許したのも、結局はその点が大きい。苦痛を強いることなく、ただ興ずるだけの祭りであるからこそ、曹操の心を動かしたのだ。
 下手な無駄遣いを許す男ではない。
 曹操という男の性質を、そこまで見抜いて持ち掛けたのであれば大したタマであろうが、司馬懿にしてみればどうしてもそんな風には見えない。
 の真意はどこにあるのか。
 考えてもこれというものが思い付かなかった。
 だからこそ、むげに追い払えずにいる。
 そこにある知識をむざむざ放出するのは、司馬懿の矜持に関わるからだ。少なくとも司馬懿自身はそう考えている。
 ただ、素直に教えを請えないのが、司馬懿の司馬懿たる所以でもあった。
「どうしたら覚えてくれるかなぁ」
 は真剣に悩んでいるようだ。
 司馬懿の目が揺れる。
 無礼な程に馴れ馴れしい口の聞き方に辟易したこともあるが、ただでは決して覚えまいと見切られ、事実その通りなことに動揺していた。
「体で払えば、いいのかなぁ」
 吹き出し掛けた。
 油断していたから、動揺は重なりもたらす余波は更に大きい。
 は南瓜から離れ、司馬懿の傍に歩み寄る。
 司馬懿には、不思議とゆっくりと、音もなく近付いて来るように感じられた。
 その耳に、激しい鼓動の音が響き渡っていたからかも知れない。
 の顔が司馬懿の眼前まで近付いて、止まる。
 触れそうで触れない距離に、司馬懿の動揺は深まる。
 長い時間が、ただ過ぎていった。
「……まぁ、ないよね」
 がふっと体を離した際に、冷たい風が沸き上がる。
 その風で頭を冷やした司馬懿は、外れ掛けた表情の仮面を急ぎ付け直した。
「……当たり前だ、お前の体如きで、この私が動くと思ってか」
「あ、そういうことじゃなくて」
 ふふん、と鼻で笑う司馬懿の言葉を、はあっさり否定する。
 司馬懿の眉根に皺が浮かんだ。
「……あのさぁ、司馬懿さぁ……」
 が何事か言い掛け、押し黙る。
「何だ」
 促しても、言葉を濁してなかなか切り出さない。
「何だ!」
 腹に据えかねて怒鳴ると、渋々ながら口を開く。
「……女からって、あんま好きじゃないでしょ?」
 意味が分からない。
 むっつり黙り込む司馬懿に、は何か言いたげだ。
 けれど、の口から言葉が紡がれることはなかった。
 どうにも擦れ違う。
 苛立たしかった。
 は南瓜のところに戻ると、小刀を手に作業を再開させる。
 しかし、その表情は沈んでおり、楽しそうには見えなかった。
「……何と言う」
 の手が止まる。
「何と言えばいい。……私がこうしてわざわざ言ってやるのだから、当然お前も言うのだろうな」
 嫌みたっぷりの司馬懿に、は目を丸くしてじっと見詰めている。
「ほんとに、言ってくれるの?」
「しつこい」
 の表情が明るく輝く。
 司馬懿は目を逸らした。
「うん、司馬懿がちゃんと言ってくれるんだったら、私もちゃんと告白するからね!」
 呆れる。
 言ったも同然の『告白』だった。
 あまりに単純過ぎて、思い至らなかったのが恥ずかしい。
 つまり、が司馬懿の周りをうろつくのも、何かと擦り寄って来るのも、そっくりそのままそういうことだということだ。
「Trick or Treat……とりっく、おあ、とりーと。ね」
 覚られたとも気付かず懸命に繰り返しているのが、また一段と腹立たしい。
「言わん」
 吐き捨てると、は一瞬固まり、次いで勢い良く司馬懿にしがみ付いてきた。
 あうあうと呻きながら、司馬懿の袖を引っ掴んでいる。
 司馬懿は、そのの手を引っぺがし、ついでに引っ繰り返した。
 いきなり押し倒されて驚いているらしいに、司馬懿は自分の本領を取り戻す。
 にやりと笑ってぎりぎりまで顔を近付けた。
「女からの告白など、そんなはしたない真似は私が許さぬと理解していたのではないのか」
 の顔が赤くなる。
 自ら露見させたことを、ここに来て理解したのかも知れない。
 だが、もう遅い。
「合い言葉を覚えさせるか、私からの告白を受けるか、二つに一つだ。お前が決めるといい。私は、どちらでも構わんぞ」
 そんな、と目に涙を浮かべるを、司馬懿は小気味良さげに嘲笑う。
 には、司馬懿がこの日に集うという悪霊に取り憑かれたようにも見えていた。
 焦るあまり、司馬懿が『私からの告白』と言ったことを聞き流してしまっている。

 終

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