の告白を、張郃が遮ることはなかった。
 それは、真摯かつ軽薄な、彼なりの対人術なのだろう。
「有難うございます」
 にっこりと微笑み、では失礼と去っていく背を、は引き止めることなく見送った。

 バレンタインだから、という理由は単なるきっかけに過ぎない。
 が張郃に想いを寄せていたことは誰も知らないことだったし、知ったところで皆いぶかしむだけだろうと思う。
 それぐらい、魏軍での張郃という存在は浮いていた。
 彼ぐらいマイペースな人間は、現代でもそう多くはなかろう。
 けれど、張郃の場合はただマイペースなのではなく、きちんと人と行動を共に取れるし認められてもいる。
 闇雲に個性の容認を主張し、『私だから』『私だけは』と勝手な主張をごり押しして不快を誘うような真似は決してしない。
 不思議なバランス感覚の持ち主とでも言えばいいのだろうか。ああ見えて、張郃を慕う兵は多い。
 とは言え、が張郃に惹かれた理由は良く分からなかった。
 張郃と初めて会った時、は背筋にぞくっとしたものを感じた。
 悪寒ではない。
 むしろその逆で、は強烈に張郃に抱かれたいと思ってしまった。
 酷薄な笑みを浮かべ、縋りつく自分を見下ろす張郃の表情をまざまざと思い浮かべたのだ。
 弄られたい、責められたいと願った。
 我ながら変態だと思いもしたが、その妄想はの脳裏に強烈に焼き付いてしまった。
 これを恋だと言うのなら、少女向けの恋愛小説など紙切れ一枚より薄っぺらだ。
 思い思われ等という可愛らしい恋ではなく、一方的に搾取されることを望む恋など、あっていいのだろうか。
 禍々しい、暗澹とした妄想は、夢にまで現れてを苛んだものだ。
 こんな感情を人に説明できる筈もなく、知られることをも恐れてしまい、は誰にも打ち明けられぬままでいた。
 それでも、限界と言うものがある。
 目に見えるものではないから、自分が限界と思えば限界なのだ。
 限界を迎えた感情は、ほんの些細なきっかけを得て告白を余儀なくさせた。
 は、小手先の話術を弄することなく、素直に自分の気持ちを告白した。
 我ながら愚鈍な行為だと後から悔やんでみたものの、今となっては取り返しが付かない。
 時間を請うて張郃と向かい合い、初めて会った時から自分はおかしい、軽蔑してくれて構わないが、私は貴方に抱かれたいと思ってしまうのだ、一方的に責め苛まれ、完膚なきまで征服されてみたいと思ってしまうのだ……そんな風に告白して、返ってきた言葉が『有難うございます』のただ一言のみだった。
 どう捉えていいか分からない。
 拒絶、なのだろうとは思うのだが(そしてそれは当たり前だろうとも思うのだが)、それにしても『有難うございます』はない。
 受け入れられないのならば受け入れられないで、『ごめんなさい』『申し訳ありません』が筋だろうとは思う。
 そして、あの笑顔。
 あの笑顔は、いったいどういう意味なのだろう。
 侮蔑だろうか。賤蔑だろうか。
 分かり難い人だと分かってはいたが、という段に来て、またも張郃の人物評に立ち返る。
 繰り返しだ。
 そろそろ嫌気が差してきて、は腰掛けていた牀から降りた。
 もう一度張郃を尋ねようと決めた。

 異世界からの来訪者たるは、城内に限っては自由に出歩くことを許されていた。
 曹操にしては珍しい、寛大な措置と言えた。
 奔放に見えて、曹操ほど法の準拠に厳しい人はいない。
 意味がないと見るや打ち壊すし、意味があれば恭敬して手厚く保護する。はっきりしているのだ。
 そういう意味では、の扱いは如何にも特別であったし、また張郃に対する対応も特別に順ずるものだったろう。
 が張郃の室を訪ねると、張郃は窓辺に腰掛け、煌々と照る月を見上げていた。
 静かな、深々と冷える夜だった。
 突然の来訪を詫びると、張郃は常の微笑を浮かべ、構いませんよと気安くを許す。
 距離を感じる。
 張郃という人は、気安く懐内まで人を招き入れるくせに、最後の最後に当たる領域には決して人を踏み込ませないのだ。
 仕方ないと思いつつ、そこに踏み込み彼の逆鱗に触れることが出来たら、どれ程幸せだろうと埒もない夢想をした。
「こんな夜更けに、何か御用ですか?」
 月の光が張郃の体の線を美しく際立たせる。
 細身でありながら長身の張郃は、そうしていると本当に人間離れしたあやかし然としていた。
 神でも鬼神でもない、しかし人とも思えない超然とした雰囲気が備わっているのだ。
「私は馬鹿だから」
「私は、自らを卑下して他人の同情を買うような物言いは好みませんよ」
 の前口上を、張郃はすっぱり切って捨てた。
 人の話を聞かないことはあっても、人の話に割って入ることは滅多にない。余程嫌いなのだろう。
 小さく詫びたが、返事はなかった。
「……私、の、願いは勝手でしょうし、気持ち悪いって罵られても仕方ないと思ってます……せめて、もう少し言葉を選べば良かったって、後悔、しています。でも」
 どんな言葉を言い繕ったとしても、の気持ちに変化はなかっただろう。
「もう考えるなとか、やめてくれとか……はっきり言ってもらえないと、私、踏ん切りが付けられなくて……だから」
「何故、踏ん切りを付ける必要があるのですか?」
 張郃が笑みを浮かべている。
 は鳥肌立つのを感じていた。
「私がどう思おうと勝手だと仰るように、貴女が私をどう思おうと、私に何を希おうと、それは貴女の勝手でしょう? 違いますか?」
 理屈はそうだ。
 だが、張郃にはの願いに応えるつもりはないのだろう。
 溜まらずが問うと、やはり張郃はこくりと頷きの考えを肯定した。
「だったら」
「ええ、ですから、貴女が諦めたいと仰るのでしたら、どうぞご自由にお諦め下さい」
 そこに自分を巻き込むなと、張郃は暗にを拒絶していた。
 諦めたいならとっとと諦めればいい。
 しかし、わざわざその手伝いをしてやる理由は、張郃にはない。
「でしょう?」
 その通りだ。
 は俯いた。
 到底納得は出来ない。だが、張郃の言葉は筋が通っている。
「……と言っても、貴女もここに来て随分と経つ。男の肌が欲しくなっても、仕方ありませんね」
 張郃は優しく、諭すように話し掛ける。
「別に、恥ずかしいことではありませんよ。人として、自然の欲求なのですから。……言い出し難ければ、私の方から曹操様に申し伝えて差し上げましょう。もしかしたら、曹操様ご自身がお相手下さるかもしれませんし、私とて曹操様の命であればやぶさかではありません」
 命令が下れば抱いてやる。
 人を馬鹿にするにも程があろうが、不思議とは腹を立てることもなかった。
 ある意味、そういう女だと見ているのだと『言ってもらえた』感がある。
「いえ、結構です」
「遠慮せずとも良いのですよ?」
「いえ、本当に、結構です。有難うございました」
 深く頭を下げ、背中を向ける。
 終わった、という落胆と疲労が溢れ出した。
 酷く足が重い。
 けれど、さっぱりしたようにも感じた。
 さっぱりし過ぎて重心がふらつくけれど、今日寝て、しばらくすればきっと治まる。
 何でもない、何でもないと胸の内で繰り返す。
 目の前が暗くて足元が覚束ないけれど、きっと多分大丈夫だと思った。
 背後から伸びてきた手が、を攫った。
「……まったく」
 うんざりした声が、の耳に吹き込まれる。
「……では、どうしろと言うのです。責め苛めと仰ったのは、貴女の方でしょう」
 前に回った手が、の服を留めるボタンを次々と外していく。
「面倒ですから、もう、貴女の戯言にはお付き合いいたしませんよ。よろしいですね」
 ブラに指を引っ掛け、持ち上げてしまう。
 収められていた乳房が勢い良く剥き出しにされた。
 先端に触れられ、背筋が弓形になる。
「なかなか、反応がよろしいですね」
 くすりと笑われ、肌が粟立つ。
 眩暈がする程心地良くて、膝が震えた。
「ど……どうして……」
「どうしてって、こうしたいからしているまでの話です。さぁ、ちゃんとお立ちなさい。まだ始めたばかりでしょう」
 長い指がの胸乳に食い込んでいる。
 沸きあがる感触を堪えながら、また夢でも見ているような錯覚に溺れ掛けた。
「だっ……じゃ、どうして、あんな……」
「あんな? 何が、あんなです? はっきり仰っていただかなければ、分かりませんよ」
 乳首をきゅっと絞られ、痛みとじんとした悦が体の芯を痺れさせる。
 腿の奥にじんわりと濡れる感触があった。
「あ、有難うございますって、笑って……!」
「有難うございます? ……あぁ。何か、おかしかったですか?」
 嬉しかったら、お礼の一つも言うでしょう。
 耳元に囁くと、張郃はそのまま舌を差し入れてきた。
「ひ、あ」
 びくびくと跳ね上がる体は、もう取り返しが付かないところまで追い詰められていた。
「あ、ぁ……や……あ……」
 無意識に腰を擦り付け、強請ってしまう。
 強欲なの様に、張郃はくすくすと笑った。
「気持ち良いですか? 嬉しい?」
 一瞬の間を空けて、はこくんと頷いた。
 間髪居れず張郃の指がの乳首を捻り上げる。
「いっ……!」
「違うでしょう、。嬉しかったら、何と言うのですか?」
 体にほとんど力が入らない状態で、張郃にいいように苛まれながら、は声を振り絞った。
「あっ……有難う、ござい、ます……」
「……良く出来ましたね」
 張郃は笑いながらを抱きかかえ、卓の上へと運ぶ。
 月明かりの下に寝かされて、は張郃の顔を仰ぎ見た。
 酷薄な笑みを浮かべ、を見下ろすその様は、夢に見たあの張郃の顔と寸分違わぬものだった。
「……好き、です……私、貴方が好き……」
 卓に手を付く張郃の腕に縋ると、その手は軽く振り解かれ、しかしすぐさましっかりと握り合わせてくれる。
 ぐっと押し込まれる触感と同時に、激しい痛みがを襲った。
 堪えながら、は必死に言葉を綴る。
「あ、有難、ござい、ます……!」
 張郃は目を丸くし、くすくすと笑い声を立てる。
「貴女は、本当にお馬鹿さんなのですね」
 そうかもしれない。
 普通に、好きだと告白していれば良かったのだ。あんな、自分はおかしいだの変態だの思い悩んで言い訳する必要はなかった。
 恋する気持ちは、通り一遍では済まないのだ。今にして、ようやく分かった。
「……さて、動きますよ。手加減なしで苛めて差し上げますから、精々悦い声を上げて下さいね?」
 張郃の笑いを含む声に応え、は小さく頷き、そっと微笑んだ。

  終

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