夜半のことだった。
 と言っても現代で言うところの九時か十時頃のことだ。
 しかし、この世界の人間……殊に、夜間の警備を任されているような人間にとっては、そんな時間に用もなくうろついている者というだけで立派な不審者だ。
 まして、そんな不審者が曹操の寝所に忍び込もうとしたとあっては、その場で斬り殺されていたとしても、何もおかしなことではない。
 不審者が斬り殺されもせず、無傷のままで夏侯淵の前に連れて来られたのは、奇跡的に偶然が重なったに過ぎない。
 一つ、不審者があまりに鈍く抵抗らしい抵抗をしなかったこと。
 一つ、夜とは言え月明かりが照らし視界はそれなり良好だったこと。
 一つ、警備に就いていた兵の一人が、偶々侵入者の顔に見覚えがあったこと。
 どれ一つ欠けても、恐らくが生きて夏侯淵に見えられたことはなかった筈だ。
 欠けてくれても良かったんだが、と夏侯淵は人知れず溜息を吐いた。
 曹操がこの風変わりな娘を連れ込んだのは、ほんの少し前の話だった。
 見目の変わった愛玩動物を可愛がる調子で可愛がっていたが、夏侯淵にしてみればただ苦々しいだけだった。
 何と言えば、この娘があまりに礼儀を知らない、知ろうともしない非常に無礼な娘だったからだ。
 無防備なのはまだしも、相手が誰であれ己を傷つけられはしないと思い込んでいる節がある。
 夏侯淵が夏侯惇を『惇兄』と呼んでいるのを聞きつけるや否や、許しも得ずに真似をして、夏侯惇を『惇兄』呼ばわりする。
 張遼の前で張遼の口真似をしてみせたり、許褚に向かって太り過ぎだ痩せろ等と暴言を吐いたり、挙げていけば限がない。
 夏侯淵が尊敬し、敬っている相手に対し、さも自分が対等であるかのような態度を取るのだ。
 馴れ馴れしいのと親愛の情の意味を履き違えているらしいを、夏侯淵はどうしても好きになれずに居た。
 ところが、の方はまるで気付いた節がない。
 当人としては軽く扱っているつもりはないようだが、夏侯淵に対しても『淵兄』等と気安く呼び掛け、まるで舎弟を気取っているようなところもある。
 可愛いどころか鼻に付いて仕方がない。
 今宵までは、曹操の手前何も言わずに見逃してきた。
 そういう考えなしのところも含め、曹操がを気に入っているらしい事実があったからだ。例え自分がどれ程気に入らなかろうと、臣下として守るべき線は守らなくてはならない。
 もしも問題があるのなら、曹操自らが罰している筈だからだ。
 必ずそうしてくれるという信頼があり、必ずそうするだろうと思わせる威厳が曹操にはある。
 だからこそ、夏侯淵は曹操に義理立て、を咎めずに見逃してきた。
 しかし、さすがに今宵のこの場合、見逃すことは出来かねた。
「お前らは、もういいぞ。すまなかったな」
「い、いえ、とんでもありません、将軍。ですが……」
 兵士の目が不満げにに向く。
 夜中に君主の寝所に忍び込もうとするなど、厳罰を以って望むべき行為だ。
 朝になるまで牢屋に入れて、見識高い文官勢に正当な処分を与えさせるのが筋だろう。
 兵士達の言いたいところは夏侯淵にも良く分かる。
 ここで夏侯淵がを引き取ることは、即ち夏侯淵が泥を被る羽目になるということだ。
 相手が誰であれ、法は絶対のものだ。守られなければならない。
 その法を守護するべき将軍職にある夏侯淵が、自ら禁忌を犯すような真似をして、ただで済むとは思えなかった。
「いいんだ。ありがとな、ご苦労さんだった」
 罰則は甘んじて受けよう。
 兵士達には悪いが、なるべく類が及ばぬように手を尽くす所存だ。
 夏侯淵は曹操を信じている。
 ならば、曹操が可愛がっているも信じてやろうと思うことにしたのだ。
 兵士達が立ち去った後、もようやく反省したのかもじもじとしている。
 夏侯淵は努めて平静を保ち、できるだけ優しい声を作ってに語り掛けた。
「どうした?」
「……え」
 苛っとしたが、夏侯淵は引き続き声を作るよう努めた。
「こんな夜中に殿の寝所に忍び込もうってんだ。何か、訳があったんだろ? な?」
 突然。
 がぷっと吹き出した。
「こんな夜中って、そんな……」
 燭台の灯りが点された室内は、それでも暗い。
 には、夏侯淵の顔色がさっと変わったのが目に入らなかったのだろう。
 それまで反省して見せていたのが嘘のような、否、元より反省などとしおらしいことをしていたつもりもなかったのかもしれない、ただ兵士達の怒りに気圧されて黙っていたのだと思わせるような、そんな笑みをは浮かべた。
「私にとっては、未だ全然宵の口だよ? それにね、今日はバレンタインだから、どうしても曹操様にハッピーバレンタインって言ってあげたかったんだ」
 はにこにこと笑いながら、夏侯淵の隣に回りこんで机にもたれる。
「ばれ……何?」
 強張った夏侯淵に気付かず、は無邪気に笑った。
「あー、知らないんだ。あのね、今日は好きな人とか尊敬している人に、感謝の言葉や贈り物を上げる日なの。だから、どうしても曹操様に会いたかったんだけど……。日付変わっちゃうな……淵兄、何とかならない?」
 すっかり気を緩めたは、夏侯淵に曹操に会わせてくれとせがむ。
「それよ」
 ぼそりと呟いた夏侯淵に、は口を尖らせて振り返る。
「……昼の間じゃ、駄目だったのか。昼、お前、殿と会ってた筈だろ。そん時じゃ、駄目だったのか」
 ぷっ。
 は再び盛大に吹き出した。
「そんなん、つまんないじゃない!」
 夜忍び込んで、寝ているところを驚かしてやるのが愉しいのだと、は笑いながら説明した。
 夏侯淵は、気が遠くなる感覚を覚えていた。
 考え方の、何もかもが根本から違い過ぎる。
 そんなくだらない理由の為に、夏侯淵は命を落とす覚悟をし、兵士達はとばっちりを受ける覚悟をして黙って引き下がってくれたのだ。
 何度も忠告はしてきた。
 お前の国と此処では何かと違うことも多い。早く馴染むことだ、それにはまず風習や制度、やってはいけないことをとにかく早く覚えることだと何度となく繰り返してきた。
 うん、分かったと明るく笑うに、すぐにそれが口だけだったと知らしめられた。
 だが、ここまで愚かだとは予想も付かなかった。
「ねぇ、淵兄。早く、曹操様んとこ行こうよ」
 最早連れて行ってもらえるものだと思い込んだようなの口振りに、遂に夏侯淵の堪忍袋の緒が切れた。
「ちょっ……」
 夏侯淵の肩を揺すぶるの手を、夏侯淵は力を篭めて握り込んだ。
 床に突き飛ばすと、か弱い女の体は勢い良くすっ飛ぶ。
 仮眠にも使う長椅子の前に倒れこんだのを幸いに、夏侯淵はの体を長椅子の上に引き摺り上げた。
「ちょっと、やだ」
 現実を受け止められないのか、目を丸くしたの抵抗は鈍い。
 それでも夏侯淵には鬱陶しく感じられ、の頬を軽く引っ叩いた。
 武の心得など皆無といっていいは、打たれた頬の衝撃に放心した。
 夏侯淵の手は、淡々との服を剥いでいく。
 狩りで得た獲物を捌く手付きに似ていた。
 ほぼ全裸に晒すと、夏侯淵はの秘裂に指を伸ばす。
 わずかな快楽すら与えられていないからか、未だ乾いて濡れる気配がない。
「やっ、やだ、やだぁ……」
 夏侯淵の指が秘裂を撫で、花芯を刺激する。
「夜中にうろつきまわるってことはな」
 の体が急激に強張った。
 潤い始めた芯に、指が突き立てられたのだ。
「こういう目に遭ったって、文句が言えねぇってことよ」
 の目から涙が溢れた。
 締め付ける強さに、ひょっとしてという疑惑が湧いてきた。
 あの曹操に限って、まさかとは思うのだが、それでもこの反応はそうとしか思えない。
 そう言えば、夜にが寝所に招かれたり、曹操がの寝所を訪れたという話を聞いたことがない。
 何か思惑あってのことかと、夏侯淵は揺らいだ。
 押し付けられるような気配が緩んだせいなのか、は不意に、視線も険しく夏侯淵を睨め付ける。
「こんなことして、曹操様に言いつけてやるから!」
 馬鹿な女だと思う。
 ここで深く反省し、泣いて請えば夏侯淵も引き下がったかもしれないのに、敢えて人の気をささくれ立たせる手立てを選べる無神経さに、夏侯淵は笑いさえ込み上げてきた。
「言えよ。構わねぇぜ」
 今度こそ覚悟を決め、夏侯淵はまだ勃ち上がり掛けの得物をの中に押し込める。
「……ぐぅっ……」
 の喉が獣のような唸り声を上げた。
 みちみちと弾け飛ぶような音が、肉を通して夏侯淵に伝わってくる。
 やはり、は処女だったようだ。
「痛、痛い、痛いよぅ」
 泣きじゃくるを、夏侯淵が労わることはない。
 締め付けられ、刺激されて固くなった得物を、容赦なくの中に擦り付けた。
 処女膜の欠片も残さず打ち砕くような動きに、の喉は悲鳴を留めない。
「痛い、やめて淵兄、やめてよぉ」
「痛いのは今だけだ。その内、欲しくて堪らなくならぁな。せいぜい、堪能しておくことだぜ」
 ぐんぐんと突き上げる夏侯淵に、はただ掠れた声を上げる程度になっていた。
 痛みがいつまでも消えないのか、涙が強情に残っている。
「そら、まずは一発、ってな」
 夏侯淵はの中から得物を抜き取ると、腹の上に射精した。
「やだぁっ!」
 甲高い悲鳴が上がり、は衝撃を受けて泣き出す。
「き、気持ち悪い、やだ、やだぁ」
「気持ち悪いたぁ何だ、気持ち悪いたぁ。さ、今度は尻からだ。お前が何をしてきたのか、今日はとっくり体に教え込んでやるぜ?」
 半ば自棄になっていた。
 明日には処刑されるかもしれないという焦燥が、夏侯淵を自暴自棄へと追い込んでいた。
 せめて楽しんで死ぬかと思っても、処女のではろくな相手にはならない。
 つくづくついていないと苦笑いしつつ、夏侯淵はの尻を引き上げた。

 を室に送り届けた後、夏侯淵は室に引き篭もっていた。自主的に謹慎したのだ。
 曹操から直接の呼び出しが掛かったのは、まだ朝早い時間だった。
「報告書には目を通した」
 夏侯淵は、事のあらましを竹簡に書き記して曹操に送っていた。
 時間から見て、曹操は即座に報告に目を通し、すぐさま夏侯淵を召し出したに違いない。
「俺の処分の方は、如何様にも。ですが、兵達には咎めが行かないよう、何とかお願いできませんか」
 既に覚悟は決まっていた。
「……真、如何様にもと言うのだな」
「はい」
 即答する夏侯淵に、曹操は深く頷いた。
「では、淵よ。お前に命ずる。……今後このようなことがあれば、同じ罰をに与えよ。良いな」
「はぁ?」
 思い掛けない命に、夏侯淵は眉を寄せた。
 曹操は笑っている。
「見ている分には面白いが、ちと度が過ぎる時もあるのでな。お前が与えずとも良い、兵士共の慰みに与えても良し」
「……よろしいので?」
 夏侯淵が我慢してきたのは、曹操の威光あってのものだ。
 曹操がを可愛がっているのは、に心惹かれてのことではなかったのか。
 当然の疑問を、曹操は一笑に付した。
「淵よ。飼っている獣と愛する女を同じに扱う程、儂も非道ではない」
 あの『獣』は、口で躾けようとしても躾けられぬ。他の獣と同じように痛みを以って躾ければ、最大の味たる奔放な仕草が消えてなくなる。
「すまんが、淵よ。おぬしが躾けて遣ってくれ。儂が躾けては、却ってはしゃがないとも限らぬからな」
 抱きたいとも思わないと、曹操ははっきり口にした。
 どころか、人としてすら見ていないと、臣下たる夏侯淵に言い切ったのだ。
「よろしいので」
「いいと言っている」
「……俺への、処罰は……」
 曹操は口元に綺麗な弧を浮かべた。
「獣と大事な臣下を秤に掛けようとは、思わんぞ」
 それで、すべてが治まった。
 夏侯淵は曹操の許を辞し、わずかとは言え謹慎していた間の遅れを取り戻すべく、執務室へと向かった。
 に向ける憐憫は欠片程も浮かばず、それだけが少しばかり申し訳なかった。
 懲りてくれればいい。
 念じるように、願った。

  終

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