花見といったら梅だろうなんて、馬鹿なことを言うので外に繰り出した。
風が強い日だったが、天気は良く、ひょっとしたらいい感じに見られるかも、などとは浮かれていた。
桜の名所までは歩くと少しある。
バスや電車を使っても良かったのだが、連れが連れなのでやめておいた。混みそうだったし、一度電車に乗せた時などは顔が真っ青になっていたから、歩いていった方が良さそうだ。
途中でお茶の500mlのペットボトルを買った。食べ物は、気が向いたらにしようと思う。酒でも良かったのだが、まだ昼間だったし、下手に酔われておかしなことをしだしても面倒だ。
は、一人鼻歌など歌いながら道を行く。
後ろから、の同居人……馬超が、不貞腐れたようにとぼとぼついてくる。
「、馬はないのか」
「ないってば」
馬超は、この世界に飛ばされてから何かにつけ『馬がない』とぼやく。馬がいない生活などしたことがないというが、現代において馬を飼っている家庭など、牧場や競馬関係者を除けば皆無といっていいだろう。
に言わせれば、足があるんだから歩けばいいのだ。
もっとも、暮らしてきた環境が違うのだから、口に出しては酷だろうと思って黙っていた。
早く帰してあげたい。戦続きの生活でも、ここにいるよりはきっといいのだろう。
淋しいと思わないでもなかったが、二人で暮らす生活は、きっとにとっても大切な思い出になるだろう。
普段から、いつ別れても後悔しないようにと心掛けている。
は立ち止まると、馬超に向けて手を伸ばした。
「手、繋ごう」
馬超は少し戸惑ったような顔をしたが、おずおずとの手を取った。
乾いて、ほんのりと熱がこもった手だ。ごつごつしていてマメだらけだったが、男らしい無骨な手で、好きだと思った。
馬超が手に力をこめてくる。
顔を見上げて、急に照れ臭くなって笑った。
馬超も、に応えて笑った。
そのまま二人で手を繋いで歩いた。
平日の昼間にも拘らず、結構な人手があり二人は驚いていた。屋台も出ている。
馬超が興味深そうに見ていたので、何か食べるかと尋ねたが、いらないというのでそのまま奥へと進む。
「食べたいなら、我慢しなくていいんだよ」
振り返っている馬超に、からかい混じりに声をかけると、馬超はむっとしての手を引っ張った。肩がぶつかったが、馬超は気にせずの耳元に唇を寄せた。
「……故郷の店と、似ているなと思っただけだ」
ああ。
思い出していたのか、と思うと、淋しくなってくる。
仕方ないのだ。
馬超が思い出すのも、それをが淋しいと思うのも、当然のことなのだ。
は馬超と繋いだ手に力をこめた。
でも、それを埋めることはきっとできる。
は馬超に笑いかけ、馬超はに笑いかける。
石畳を二人で歩く。今は、二人でいる。
桜並木に着くと、すでに花見の客でいっぱいだった。
色とりどりのシートに腰掛け、ビールを煽ったり、CDコンポを持ち込んで音楽をかけたり、中にはテーブルと椅子を持ち込んで、ワイングラスを傾けているカップルもいる。
「すごいな」
馬超が感嘆したように声を漏らす。
「皆、花を見ていない」
そっちか。
は内心ずっこける思いだったが、実際そうなのでなんとも言えない。
「で、でもさ、綺麗でしょ?」
ね、と下から馬超の顔を覗き込むと、馬超は桜を見上げたまま考え込んでいる。
考えるようなことか、とツッコミ入れたい気持ちでいっぱいになった。
「……まぁ、汚くはない」
負けず嫌いにもほどがある。
馬超のいた所では、花見といえば梅で、桜など見向きもしないという。日本人のにとっては、花見といえば桜で、梅が嫌いなわけではないが、桜を『など』と蔑ろにされるのは面白くないのだ。
「だいたい、桜を見ている奴のほうが少ないではないか」
馬超に痛いところを指摘され、はうっと短く呻いた。
そうなのだ。カメラで写真を撮っている人もいたが、それも桜を見に来たというよりは撮りに来たといった態で、この場で桜を堪能している人はあまり見受けられない。
「で、でも、でも……そうだ、こっち来て!」
何か強力な対抗策を、とは頭をひねり、はっと閃いて駆け出す。
突然のことに訳が分からないまま、馬超はに手を引かれて走り出した。
徐々に人ごみがなくなり、あちらこちらにぽつんと人がいる程度になった。
風が吹きぬける。
建物や木の角度のせいか、ここの辺りはやたらと風が強く、埃っぽい。花見と称して宴会をやりにきた人には辛いかもしれないが、ただ花を見る分には絶景のポイントといえた。
桜の花びらが散る。風に乗り、光を受けてきらきらと舞い上がる。
石畳には疎らに薄桃色の花びらが敷き詰められ、風に揺られて様々な模様を描いた。
「ほら、ね、ね」
馬超の手を離して、は花びらの雨の下に滑り込む。手を差し出せば、桜の花びらが次々と指を掠め、するりするりと落ちていく。
「うーん、なかなか……」
桜の花を掴もうとするが、の指が風を起こしてしまって触ることもできない。
が桜の花びらを追う様を少し離れて見ていた馬超は、手を伸ばし、桜の枝をぱきんと折った。
枝を手にし、に近付く。気配に気がつき、が振り返ると、馬超はの耳元に桜の枝を挿した。
驚いた風なに、馬超は薄く笑う。
「孟起」
風が吹く。
桜が舞う。
青い空を背景に、桃色の波が幾重にも延々と重なる。
二人は、見詰め合った。
「桜、折っちゃ駄目でしょーがっ!」
の手が馬超の頬をうにっと掴む。
遠くから、管理人と思しき腕章をした男が声を掛けてくる。怒ってるっぽい。
「ほら、ほらぁ、もうー!」
慌てて馬超の手を引き逃げ出した。
「ひ、一枝ぐらい良かろう!」
「駄目に決まってるでしょーが!」
一人が一枝折ってたら、ここの桜は丸坊主だ。馬超には理屈が分からないらしいが、今はとにかく逃げなくては。走って逃げるなんて、子供の頃以来かもしれない。
と、馬超がの手を引き走り出した。凄い力で引っ張られる。
「ちょ、孟起?」
少しだけ振り返った馬超の顔が、悪戯っぽく笑っている。何か面白くなったのかもしれない。にとってはまったく面白くない。
走って走って、公衆トイレの後ろ側に飛び込んだ。大きな杉が何本か生えているので、周りからは死角になっている。
追ってくる気配はなかったのだから、ここまでする必要はなかったのだ。息せき切って、肩を弾ませているの口を、馬超が不意に塞いだ。
疲れきって、押し退ける元気もない。
しばらくして、馬超のほうから離れた。
「桜は、もういいか?」
の目を覗き込む、近い馬超の顔に、は顔が赤くなっていくのを感じる。
「もういいかって、来たばっかりだよ」
うん、まぁな、と馬超が口篭る。
「違う花が見たくなった」
これだけ見事な桜よりも見たい花とは何だ。まさか梅と言うわけでもないだろう。
は首を傾げた。
「芙蓉が見たい」
芙蓉、芙蓉というと蓮の花か。あれの時期は何時だったろう。どちらにせよ、ここら辺では見かけない。植物園にでも行けばあるだろうが、咲いているかどうか。
「そんな遠出をせずとも、ここに」
馬超の指が、の股間をするりと撫でた。
不意を突かれて、の唇は引き結ぶことが出来ず、短くも高く艶やかな声を漏らしてしまう。
の声に、馬超の笑みが深くなる。
羞恥に顔を赤くして、は拳を振り上げた。
芙蓉が女性器の隠語だとが知ったのは、馬超に拳固で制裁を加えてからだった。
終