は、引き抜かれてこの軍に加わった、紛うことなき新参者である。
 配下として配属されたはいいが、馴染めずに、馴染む気もなしに、一人で行動することが多かった。
 不満がある訳ではない。
 単純に、の気質の問題である。
 数多の軍を渡り歩き、ただ己の腕をのみ頼りに生きてきたにとって、脆いばかりの人の絆は足枷に過ぎなかったのだ。
 今日も今日とて、はうららかな日和の中、午睡を楽しんでいる。
 時折、を悪しざまに罵る声が聞こえるのだが、気にすることもない。
 遠巻きにして陰口を叩くばかりで、近付いてはこないから気にする必要はなかった。
 所詮、有象無象の小物の群れだ。
 の顔に影が落ち、それが思い込みに過ぎなかったことを知らしめられる。
「何を、なさっているのですか」
 清廉な人柄をうかがわせるような涼やかな声は、目を開けずともその人が誰かを教えてくれる。
 分かっていながら目を開けたのは、非礼と取られる面倒を避ける為でしかない。
「昼飯後の休息ですよ、荀彧殿」
 最初に理由を明かしたのは、会話が長くならないようにと願ってのことだった。
 しかし、叶わない。
「休息、ですか?」
 興味津々といった風情で傍らに座り込まれてしまう。こうなれば、とても手短には済ませられそうになかった。
 渋々起き上がると、男のように胡坐を掻く。
「……ええ、休息ですよ。飯を食った後は、こうして一眠りした方が体の調子がいい」
 お試しになりますか、との一言は、あくまで社交辞令のつもりだった。
 真面目一辺倒の荀彧が、この手の冗談に乗るとも思えない。
 だが。
「そうですね」
 荀彧は乗ってきた。それどころでない。
「それは、是非」
 社交辞令ではない、真顔で、目まで輝かせながらの隣に移り、無警戒に横たわる。
 さすがのも、度肝を抜かれた。
「成程、心地よいものですね」
「……はぁ」
 綺麗な顔をしている。
 目を閉じると、睫毛の長さが際立った。
 まじまじと見詰めている無礼さに気付き、慌てて顔を逸らす。
 いいところの出だと聞いたが、ここまで警戒心がないと薄ら寒い。
 ここに留まるのも長くはないかと、はぼんやり考えながら、立ち去ることも出来ずにこの状況を持て余していた。

 数日後、やはり昼下がりだった。
 人の気配を察し、はやむなく目を開ける。
 思った通り、気配は荀彧のものだった。
「これは、荀彧殿」
 へら、と笑って見せるも、荀彧が応じる様子はない。
殿、既に午後の執務の時間です」
 ついに堪りかねて説教に来たか。
 鷹揚に見せておきながら、わずか数日で化けの皮が剥がれたかと、内心嘲笑う。
「あぁ、この休憩が済んだら、取り掛かりますよ」
「いえ、今すぐ取り掛かっていただきたい」
 苛立ちが、の胸の奥を焼く。
 早くも出奔の機が訪れたかと、傍らの得物をそっと引き寄せた。
 荀彧に気付いた様子はない。
 の前に膝を揃えて座り、目線を合わせる。
 無防備過ぎて、却って不気味だ。
「実は、あれから少々調べてみたのです」
 何をだ。
 探られそうな痛い腹を思い巡らせてみたものの、あまりに多く判然としない。
 好きに生きてきた。
 従う者を見出さずに振るう武は、蛮勇のそれと変わらなかっただろう。
 従いたいと思える者が、主と仰ぐ者がなかったのだから、仕方がなかったのだ。
――何を、言い訳を。
 未だかつてない程に焦っていることに、はわずかながら驚かされていた。
 荀彧の言葉は続く。
「……食事後に休息するのは確かに良いことですが、長過ぎると逆に調子を崩すことがままあるようなのです」
「は!?」
 風がそよぐ。
 頓狂なの声に驚いてか、荀彧も口を噤んでいた。
 沈黙が、の頬を赤く染め上げる。
「……何か?」
「い、いや……」
 何でもない、と小声で呟くより他なかった。
 荀彧は軽く頷き、揚々と話を続ける。
「これは、文献からの知識でして、実際には兵を動員して統計を取るつもりですが、私が周囲に聞きかじった限り、やはり長時間の休息は体調のみならず気概にも影響を及ぼす傾向にあるようなのです。ですから、殿もあまり長い時間休息されぬ方が良かろうかと。とはいえ、個人差もあるかと思います。ですから、試しに今日は休息を短めに切り上げていただき……」
「あぁ、あぁ、もう分かった、分かったよ!」
 荀彧の言葉を無理やり遮り、は立ち上がる。
 何ともやりきれない。
 その気のない荀彧の手のひらで、一人勝手に転がっていたという事実が、を恥辱に塗れさせていた。
 立ち上がり、どこへともなく立ち去ろうとするの後を、荀彧は当然のように追ってくる。
「それで、兵を動員するに辺り、何人動員すれば的確な数字が判明するかを考えまして……」
 どうやら、自身の試算をに語って聞かせるつもりらしい。
 勘弁して欲しかった。
 けれども、荀彧の口を閉ざす手立てを、は思い付けずにいる。
 まずい、と焦っていた。
 は既に、荀彧に逆らう気になれなくなっている。
 初めて味わう感覚を、いっそ荀彧に語り返してやろうかと自棄になっているのが、何故だか愉快で笑いたくなってきた。

 終

The orderer :六様

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