「こんなもの、どうするんだ」
 騎乗していても槍を離すことの出来ない趙雲は、両手を塞がれる危うい姿で屋敷に戻ってきた。
 馬に乗らないにその苦労が伝わるものかどうか甚だ心許ないが、おざなりに過ぎる労りの言葉から察するに、おおよそ伝わっては居るまい。
 何やらせっせと書き散らしては、立てた笹に結んでいる。
 貰ったとかいう端切れを巻き付けてみたり、趙雲にはが何をしたいのかさっぱり分からない。
 と言っても、のすることで意図が容易く知れるものなど、早々ない。
 二人は、何かの『間違い』で偶々一緒に居るだけで、本来は住むところも居る世界も、時をも共有していない間柄だ。
 そのことをがどう考えているか、趙雲が聞いたことはない。
 ただ、訊くのは少し怖いような気がしていた。
 ただの知人以上の関係では、未だない。
 もどかしいような、居心地のいいような、ぬるま湯のような関係を続けているのだった。
 しばらく作業に没頭していただったが、やがて満足したのか、それらを置き去りにとっとと立ち去ろうとする。
「おい」
 欲しいと言うから練兵の合間を縫って山に入り、邪魔で仕方ないところを堪えて笹の葉も落とさず取ってきたのだ。
 もう少し感謝のしようがあるというものだろう。
「いいの、あそこに飾っておくの」
 飾ると聞いて、趙雲の眉はますますいぶかしげにひそめられる。
 内庭の片隅、塀の影に隠れているような場所だ。
 飾るようなところでは、決してない。
「だから、いいの、人に見られたくないし」
 の言葉に趙雲が更に追求すると、如何にも渋々口を開く。
 曰く、の暮らしていたところでは、七月七日の重日には、笹を飾り付けたものに願い事を記した短冊を吊すのだそうだ。
 それを聞いた趙雲は、足を止めて元来た道を引き返し始める。
「ちょっ、ちょっ、趙雲!?」
 気付いたも慌てて趙雲の後を追う。
「ちょっと、何!?」
「ならば、私もに倣うまでだ」
 道理だ。
 それ故に止める理由もなく、は唇を噛む。
「……いいけど……いいけど、私の願い事見たら、駄目だからね!」
 叫ぶも、趙雲は答えない。
 聞こえないのか、聞こうとしないのか。
 判然としないが、趙雲の足の早さが尋常でないことだけは確かだ。
 が半ば小走りになっているのに対し、趙雲はあくまで歩いているだけだと言うのに、二人の距離はみるみる離れていく。
 仕方なく走り出したの視界に、趙雲が笹に下げられた短冊を手に取っているのが見えた。
――どれを、見てる?
 ぎくりとして、冷や汗が流れる。
 あれは、あれだけは見られたくない。
 駆け込んで、体当たりするようにしがみつく。
 鍛え上げた体躯を揺らすこともなく、却っての方に痛みを与えただけだったが、は構うことなく趙雲が手にした短冊に手を伸ばす。
「何をする、引き千切る気か」
 ひょいとかわされ、の指は笹の葉を叩いただけに終わる。
「み、見ないでって言ったでしょ!」
「そうだったか?」
 知らぬ気だが、本当はどうだか知れたものではない。
 諦め切れず、ぴょんぴょん跳ねて短冊を取り返そうとするに、趙雲は柔らかく笑う。
「どんなことを書いたらいいのか、見本を見せてもらっていただけだ」
「見本見なきゃ思い付かないような願い事なら、書かなきゃいいのよ」
 趙雲が短冊から目を離したのを見届けて、もようやく跳ねるのを止めた。
 常と変わらぬ様から言って、見られたのは違う短冊だったのだろう。
 擬態させるが如く下らぬ雑多な願いを記した短冊に取り交ぜた、本当の『願い事』を趙雲には見られたくなかった。
 趙雲にだけは。
 不貞腐れているように装って、むっと唇を尖らせているのを横目に、趙雲は巻いてあった布の端切れに筆を走らせる。
 ちらっと覗き見たの眼が、丸く見開かれた。
――の願いが叶えられるように。
 流れるような筆使いで記すと、趙雲はを振り返ってくすりと笑う。
「どうした。願い事を盗み見るのは、いけないのではなかったのか」
 ぷいと顔を反らして立ち去ろうとする。
 そんなの後を追い、趙雲はゆっくりと歩く。
 無言で歩く二人だったが、しばらくして趙雲が口を開いた。

「何よ」
「あの願い事ならば、直接私に言った方が早い」
 顔を真っ赤にして殴り掛かってきたを、趙雲は難なく受け止め、抱き寄せる。
「ずっと一緒に居よう。もしもお前が帰りたいと言っても、決して帰さない」
 願い事のままに。
「……後が長い上に、そんなこと書いてないよ」
 抱き寄せられて、黙ってされるがままになっているは、不服げに呟いた。
「だが、帰さんぞ」
 気にも止めずに念を押す趙雲に、は、その胸に顔を埋めて小さく頷いた。

  終

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