ハロウィンという耳慣れない言葉を聞いた時、張飛が問うたのはたった一つだけだった。
「酒は飲めるのか!?」
 飲めません。
 すげなく答えるに、張飛はくるりと背を向けた。
 が、腰帯をがっしり捉えられ、逃げられなくなる。
 たかだか女一人の重みなど、張飛にとっては何と言うこともないが、下手に衆目の関心を集めたいとも思わない。
 余所の国から来たとかいうが、異常にやかましくまた行動力があるということは、既に皆が了解している。
 そんなをぶら下げて歩いた日には、かしましい鴉を頭に止まらせているのと同義だ。
「いいから、協力して下さいよ。張飛様が参加するってだけで、寄付金の額も半端なく変わっちゃうんだから」
 金集めの為に、俺を錦の御旗扱いするつもりかと、張飛の頭に血が登る。
「御免被らぁ! 俺は、絶対ぇやんねぇぞ!」
 怒鳴り付けて直後、の後ろに立つ人影に気が付いてしまう。
 そして後悔した。
「父上」
「……おう」
「協力しては、くれないの」
 星彩の言葉に、張飛の心はぐらぐらと揺れる。
 如何な愛娘相手とはいえ、一度断ったものをころころ宗旨替えする訳にはいかない。
「む」
 けれど、もしも星彩が『お願い』と取り縋ってくれたなら。
 黒々とした瞳で見つめる星彩は、無言を守っている。
 張飛の言葉をこそ待っているのだろう。
 その赤い唇から『お願い』される気配は、微塵もなかった。
「……無理だ!」
「そう、私は参加するわ」
 あっさり言い捨て、星彩はすたすたと立ち去っていった。
 取り付く島もない。
 がっくりと肩を落とす張飛に、は多少の同情を禁じ得なかった。

 ハロウィン当日のことだ。
 星彩は宣言通りにハロウィンに参じていた。
 特に仮装している節はないが、矛と盾に鮮やかな色彩の絹を飾りたて、常とは違う趣だ。
 華やかな色に魅かれてか、星彩の周囲には子供達が集まる。
 近からず遠からず、星彩を取り巻くように付いて回っていた。
 その子供達が、突如悲鳴を上げた。
「……うがーーーーーっ!!」
 奇声を上げて茂みの中から現れたのは、黄色みを帯びた頭に全身黒の化け物、もとい、頭にどでかい南瓜を被って黒い外套を纏った大男だった。
 どうしたものかと眉根を寄せる星彩に、背後から人影が忍び寄る。
「怪奇、南瓜男だよ……あ、振り返らないでね」
 頑張って『倒すふり』をしてね、と声は続け、そのまま走り去る。
 星彩は、えぇと、と悩みながら、複雑な面持ちで矛を構えた。
 南瓜男は自棄になったような雄叫びを上げて、星彩に向かってくる。
 戦いが始まった。

「や、お疲れさまでした」
 へらへら笑いながら差し出された酒瓶をもぎ取って、張飛は一気に中身をあおる。
 素朴な素焼きの瓶には、予想を上回るかなり上等な酒が仕込まれていた。
「いやあ、大成功ですよ。あ、星彩殿にはちゃんと言っておきましたんで」
 張飛が参加しないことは周知の事実だったので、南瓜男の正体が張飛だとは気付くまいというのがの主張だった。
 だが、張飛に言わせてみれば、あれは気付かなかったのではなく、気付いたことで難を被ることを恐れただけだ。
 星彩とて、言わないだけで気付いていたに違いない。
 張飛が祭りに参加しなかったのは、この『南瓜男対うら若き戦乙女』の出し物の為、との言い訳を、星彩が如何な気持ちで聞いていたのか定かではなかった。
 ただ、の言を信じれば、星彩は張飛に感心して『さすがは父上』と誉めそやしていたという。
 微妙な心持ちだ。
 口を聞くのも面倒になって、張飛は遠くに見える灯りの群を眺めた。
「張飛殿もやっぱり参加すれば良かったのに。楽しいですよー」
 は笑いながら張飛の前に回り込み、ひょいと顔を覗き込んだ。
「Trick or Treat?」
「あ?」
 突然投げ掛けられた言葉は、張飛の耳にはまったく馴染まぬ音の羅列だった。
 ぽかんとする張飛の前で、は十を数え、数え終わると同時にニンマリ笑う。
「時間切れ。強制搾取に入ります」
 付いていけない張飛の一瞬の隙を突き、はするりと張飛の懐に入り込んだ。
 開いていた唇と歯に、ぺたりと柔らかいものが押し付けられる。
 何だと確認するよりも早く、『柔らかなもの』は離れていた。
 同時に、はぴょんと後ろに飛び退さる。
「……うーん、甘くは、ないかな」
 まぁいいや、とは軽やかに地を蹴って、祭りの灯りに向けて去っていった。
 本当に、何がなんだか分からない。
 ただ、酒で焼けるせいか、顔がやたらと熱かった。
 張飛が自棄酒とばかりにあおった酒瓶からはしかし、未練がましい滴が数滴、ぱたぱたと落ちるばかりだった。

 終

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