諸葛亮が執務に没頭する時は、大概一人で居ることが多い。
 他者を置くことで、その頭脳の冴えが曇ることを嫌うのである。
 別に諸葛亮が命じた訳ではなかったが、執務中は諸葛亮を一人にするという暗黙の了解が出来ていた。
 にも関わらずである。
 諸葛亮の室の戸を叩く者がある。
「…………」
 しばらくは竹簡に向き合っていた諸葛亮も、間を置きながら続く戸を叩く音に椅子を引いた。
 戸を開けると、驚き顔のが諸葛亮を見ている。
 うろたえながらも盆を差し出し、はっとして引っ込める。
 その慌てように却って和むものを感じ、諸葛亮の口元に微笑みが浮く。
 諸葛亮が怒っていないと分かって力を得たか、は赤面しつつも諸葛亮に向き直った。
「Trick or Treat、です、孔明様」
 首を傾げる諸葛亮に、はハロウィンの説明をし出した。
「……という訳で、お菓子、作ってきました。食べましょう」
 ずいずいと強引に室に入り込んでくるを、諸葛亮は敢えて止めようとはしない。
 おとなしくを通し、その後をゆったりと追う。
 は室内を見回し、手付かずで置かれた茶道具を見て溜息を吐いた。
 その脇に置かれた茶菓子にも、勿論手を付けた様子はない。
 見なかったことにして、は茶を淹れた。
 支度を整え、ふと諸葛亮を見遣ると、諸葛亮は既に椅子に戻り竹簡に没頭している。
「……孔明様、お茶が入りましたよ」
「ええ」
 生返事なのは明白だ。
「孔明様!」
 きつめに言うと、諸葛亮はようやく顔を上げた。
 しかし、竹簡は手に持ったままだ。
 は皿に載せた月餅を諸葛亮と竹簡の間に置き、両者の仲を裂く。
 そこに熱い茶も仲間入りし、諸葛亮も遂に諦めて竹簡を手放した。
 かなり恨みがましい目で月餅と茶を見ているのが、にはおかしくてしょうがない。
 吹き出すのを堪えながら、厳めしい顔を作る。
「食べるものきちんと食べてから仕事をした方が、うんと効率が上がるんですよ。特に甘いものは、頭の働きにいいんです」
「しかし、腹がくちくなると眠くなるのですよ」
「それは、食後の休憩を端折るからいけないんです。量は控えて、食べたものがお腹の中で元気の元に分解されるのを待ってから働けば、効率的にも一番いいんです!」
 効率効率と騒ぐの勢いに負けたか、諸葛亮はそれ以上言い返すこともなく月餅を齧り始めた。
 ほっとするも、卓の横に椅子を引っ張って来てご相伴に預かることにする。
 諸葛亮がちゃんと食べて休憩をとるかどうかを見届ける為、半ば見張りも兼ねているのだ。
 決して、私情を挟んだりはしていない。
 決して。
「ところで」
 茶を啜りながら切り出した諸葛亮に、は何の気なしに応じる。
「……先程の話ですと、菓子を出さねばならぬのはむしろ私の方だと思うのですが」
 ぶは、と奇態な声を上げて茶を吹き悶え苦しむを、諸葛亮は見ない振りをしてくれる。
 の呼吸が落ち着く頃合いを見計らい、の方を向いてにっこり笑った。
 気まずいながらも姿勢を正す。
「……みんな、心配してます。孔明様、ちゃんとご飯召し上がってないみたいだし、休憩も取ってないみたいだって……倒れられてしまうんじゃないかって、みんな心配してます」
 だからこそ、ハロウィンを言い訳に押し掛けたのだ。
「そうでしたか……」
 諸葛亮も、の真剣さに重々しく頷く。
 何とも言い難い空気が立ちこめた。
 が一方的にそう感じているだけかもしれない。諸葛亮の方には、特に打ち沈んだ様子は見られなかった。
「で?」
 不意に諸葛亮が口を開く。
「はい?」
 目を丸くするを見ながら、諸葛亮は淡々と問い掛けた。
「貴女は、皆に言われてここにいらしたのか、それとも私の身を案じて自らここにいらして下さったのか、いったいどちらなのですか?」
 またも吹き出し掛ける。
 諸葛亮は涼しい顔をしている。
 からかわれているのだろうか。
――それなら、それで構わないもの。
 をからかうことで諸葛亮の気晴らしに幾らかでも役立つのであれば、好きなだけからかうといい、と、は腹を決めた。
「そうそう」
 諸葛亮が口を開く。
 は身を固めて諸葛亮の戯言を待つ。
 けれど、諸葛亮が口にしたのは、が想像していたような戯言ではなかった。
「有り難う」
 心の底から滲ませるような、優しい声音だった。
 固く身構えていたは、不意を突かれて射抜かれたように固まる。
 かぁっと赤くなるの顔を、諸葛亮はしみじみ眺めていた。
 からかっているのか、いないのか。
 読めず、探れず、は八つ当たりするかのように月餅を齧るのだった。

 終

The orderer :魅瞑様 ゆりこ様

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