周泰に出会って、は早速『営業』を始めた。
「見て下さい、周泰さん!」
 くるりと回ると、ふわりとスカートが広がる。
 ずり落ちそうになるとんがり帽子を押さえつけて、は周泰を見上げた。
 無言ながらから目を離さないのは、周泰が興味を持った証拠だろう。
 勝手に決め付け、は話を続ける。
「これね、ハロウィン用の仮装なんです。ハロウィンて、私の国にあったお祭で……」
 きっかけは何ということもない。
 ハロウィンの話をしたところ、まず孫策が食いついた。
 やりたいと騒ぐも、普段から政務をさぼりがちな孫策にキレた孫権が駄目出しして、やるやらないでちょっとした騒ぎに発展した。
 呆れた孫堅が折衷案を出し、仮装に協力してくれる者だけで祭を行うこと、と取り決められた次第である。
 つまり、仮装をしなければハロウィンに参加してはならないという規則に作ったのだ。
 言い出しっぺのは必然的に孫策に協力しなければならないことになったが、可笑しかったのは、そうしろと命令したのが孫権だったことだ。
 何だかんだ言って、孫権は孫策に甘いのだろう。
 そんな訳で、は協力者を求めてあちこち歩き回っている。
 お祭好きと定評のある孫呉にあっても、『仮装必須』の条件はなかなか厳しい。
 鎧装束はいつもと変わらないから駄目、となると、一から用意しなければならなくなる。
 そんな手間を押してでも参加したい、という程には理解されている様子はない。
 だからも、まずは宣伝から始める必然性を感じた。更に、実際その目で見てもらった方が早そうだという理由で、仮装して出歩いている次第である。
 三角帽子を作るのは少し手間取ったが、羽織った外套は黒い布に紐を付けただけだし、スカートは元々穿いていたものだ。
 えせというのもおこがましい魔女コスではあるが、凝ったものでなくて良い、という意味では、最適とも言える。
 宣伝塔たるは、まず変わった格好と言うことで人目を引ければそれでいい。
 普段はとほとんど接点のなかった周泰も、今のの格好は物珍しいらしく、じーっと穴が開くかと思う勢いで見つめている。
「…………」
 段々照れ臭くなってきて、は意味もなく左右を見回す。
「と、とにかく、そういうことですんで。出来たら、当日仮装して協力してくれると嬉しいかなって」
 お願いします、と頭を下げると、周泰は軽く頷く。
 了承の証だろう。
 また一人協力者を確保出来たようだと、はほっと胸を撫で下ろした。
 そして、その日から周泰の姿が見えなくなった。

「え」
 ハロウィン当日、その話を孫権から聞いたは、愕然としていた。
「そう、案じるな。あの男のことだ、いずれ戻ろう」
 本人から参加したい旨を聞き届けていたとのことで、わざわざ孫権が報告に来てくれていた。
 お礼を言うに、孫権は祭の準備に奔走したを労いつつ去る。
 その頭には虎の耳が、腰には尻尾が揺れている。
 どうやら孫策から説得を受けての参加らしい。
 と同じく、宣伝兼説得役として回った孫策がいの一番に勧誘しに行ったのが、何と反対派筆頭の孫権だったらしいと聞き及び、は孫策という人間がよく分からなくなりつつある。
 分からないと言えば、そんな孫策にうかうか説得されてしまう孫権も分からない。
 仮にも反対派筆頭だろう。
 さておき、周泰失踪の報はを動揺させるには十分だった。
 しかし、周泰失踪の話を聞いてうろたえているのはどうやら一人きりらしく、他の面々は皆、祭に興じて案じる気配もない。
 みんな、冷たい。
 祭は楽しむものであり、皆でその楽しみを分かち合うものだ。
 はこっそり祭を抜けて駆け出した。

 周泰の行き先に心当たりはない。
 それに、は城から外に出たこともない。
 出方も知らないのだが、じっとしては居られなかった。
 庭を抜け、更に奥へと進む。
 突き当たると、高い壁がそびえていた。
 この向こうが外らしい。
 景色はすっかり森の中で、ここが城の内部とも思われない。
 迷子の気分に陥る。
 木々の緑が折り重なり、光すら遮っていた。
 振り返れば、来た道さえ暗く沈んでいる。
 夕闇が近付いてきたのだろう。
 心細さに身震いした。
 と、どこからともなく何かの音が聞こえてくる。
 さく、さくと、下草を踏み締めて誰かが歩いてくる音だ。
 が音のする方に目を向けると、暗闇の奥から誰かが……何かが歩いてくる。
 目を凝らして見つめる。
 黒い影から浮き上がるように影が染み出てくる。
 長く尖った耳がまず見えた。
 硬そうな毛が全身を覆っている。
 どんよりとした目に、わずかに射し込む光が鈍く映えた。
 恐怖で喉がひきつる。
 狼だ。
 動物園で見たものより、更に巨大、かつ体躯がいい。
 それが、檻も柵もないところでに向かって歩いてくる。
 逃げようにも足がすくんで動かない。
 どうしていいか、頭がまったく働いてくれなかった。
 ただ怖くて、涙が浮いてくる。
 狼の頭が揺れた。
 の存在に気付いたか。
 もうこれ以上は、本当に危ない。
 けれど足が動かない。
 怖い。
「周泰さん……!」
 思わず叫ぶと、狼の足が止まる。
「…………?」
 耳を疑う。
 を呼んだのは、紛れもなく周泰の声だった。
 狼がのけぞる。
 その下から、周泰が顔を出した。
「へ」
 素っ頓狂な声を上げるに、周泰は軽く首を傾げる。
 何をしている、と言いたげだ。
「……え、周泰さん?」
 こくりと頷く。
 間違いなく周泰だ。
 は、腰を抜かして尻餅を着いた。

 周泰は、仮装用に狼を狩りに行っていたそうだ。
 身の丈に合う大きさの狼となるとなかなか居らず、それで帰りが遅くなったという。
「……それ、今からなめすつもりですか」
 周泰は、脇に抱えた狼を無言で見つめる。
「……耳と、尾を……」
「駄目ですっ!」
 文字通り『そのまま』使おうとしている周泰の意図に気付き、の駄目出しが繰り出される。
 そも、生臭いことこの上ない。
 を恨みがましく見上げる周泰を、しかしは許さなかった。
「駄目って言ったら、駄目っ! 周泰さんの仮装は、私が何か考えて上げますから」
 周泰に抱え上げられたまま、行き先を指で指示するは酷く目立った。
 二人は皆の視線に気が付かない。
「へぇ」
 孫策が面白そうに二人を見ている。
「この分なら、次の祭はすぐだな!」
「はぁ……兄上、次の祭、とは?」
 決まってんじゃねぇか、と呆れたように即答が入る。
「あの二人の結婚式だ」
 嘯く孫策に、孫権は気が早過ぎると頭を抱えた。
 けれど、そうはならぬでしょうと否定する気にもまた、なれなかったのだった。

 終

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