暇つぶしに麻雀でも。

 それはごくありきたりな誘い文句だった。季節の変わり目、春の細やかな雨が降り続いていた。戦は小休止しており、たまたま居合わせた が誘われたのも特に理由はなかったはずだった。
 麻雀なんてやったことないという を、馬超は教えてやるからと強引に引っ張り出した。
 馬超が を私室に引きずり込むに及び、姜維が駆けつけ、趙雲がさり気なく混じり、面子は綺麗に揃った。
 にも関わらず、馬超は何処か面白くなさそうだ。麻雀は元より四人でするもの、面子が揃って有難くこそあれ、迷惑がられる所以は何処にもない。
  を除く残り二人は、すぐにぴんと来た。
 馬超が を隣に座らせようとすると、姜維が異議を唱える。
「席は、賽を振って決めるものでしょう。最初から間違ったことを 殿に教えないで戴きたい」
 対して、馬超も負けてはいない。自分が教えてやるのだから、隣に座らせなくて如何すると言い募る。
「隣に座った者が教える。それで良かろう?」
 趙雲が有無を言わさぬように断定し、賽を二つ用意した。
  は、ルールがまったく分からないので、何故三人がいさかっているのかが理解できない。俯いて『仲良くやろうよ』と呟くと、声が聞こえたらしい馬超が の手を握った。
「別に、俺達は喧嘩しているわけではない。案じるな」
 馬超にしては優しげに微笑みかけてくれるのだが、残りの二人の視線が剣呑としていて、 はますます身を縮こまらせた。

 結局、 の左隣りが趙雲、右隣りが姜維、向かい側が馬超という席順になった。馬超は面白くなさそうだったが、賽の目の結果であって、文句の付けようもない。
 最初に趙雲が簡単にルールを説明し、それを補佐するように姜維が話しかけてくる。 は、二人の説明を聞きつつも不機嫌そうな馬超に愛想笑いを送るという重労働をこなさねばならなかった。
『つ……疲れる……』
 典型的な日本人気質で、どうしても八方美人にならざるを得ない。
 何とかルールを飲み込めた頃には、 はぐったりとしていた。
「……ではまず、やってみようか」
 最初は無理に牌を扱おうとしなくていいから、と言われても、皆がひょいひょいと牌を並べていくのを見ると簡単そうに思えて、つい真似してやってみた。
 ぐわっしゃ。
 無残な音を立てて、並べた牌が飛び散った。
 あまりに見事なはじけっぷりに、その場の全員が呆気に取られる。
 均衡を破ったのは馬超だった。堪え切れなかったのか、ぷ、と噴き出すと、後は肩をぶるぶると震わせて笑っている。口元を押さえているのがせめてもの温情なのかもしれない。
「笑ったら、 殿に失礼ですよ、馬超殿!」
 姜維が咎めるように注意するが、 に押し留められて黙った。
「……みんな簡単そうにやってるけど、結構難しいね」
 牌をもう一度混ぜ合わせながら が呟くと、趙雲が微笑みかけてくる。
「慣れれば、 にもすぐ出来るようになる。最初は、三つか四つずつ並べて練習するといい」
 混ぜ合わす指と指が触れ、 は慌てて引っ込めた。こんなことが、普通に恥ずかしい。冷たい牌に冷やされた の指には、趙雲の指がとても熱く感じた。
 馬超の手が急に伸びてきて、 の手を掴んだ。
 へ、と顔を上げると、馬超も何故かうろたえたように頬を染め、手を離した。
「……お前の手は、冷たいな」
 言い訳のように呟くと、乱暴に牌をかき回す。
 なんだかよく分からない。
 今度は姜維がむっとしたように馬超を見ているし、趙雲は無表情に牌を並べ始めた。
 仲良くしてくれればいいんだけど。
  は、こっそり溜息をついた。

 ニ三回、試しでやってみて、とりあえず半荘でやってみようということになった。
「半荘って?」
  が尋ねると、姜維がにこにことしながら答える。馬超と仲が悪いのかと思うほどの変わり身の早さに、 は少し戸惑った。
「親と子の話はしましたよね? 親が一巡するとそれで場が一回と数えます。半荘というのは、場を二回やる、ということです」
 親になった者が勝ち続ければ、一巡しないから誰かが点棒がなくなるまで終わらない。ただし、誰かが点棒を全部失くしたらその場で終了。
 姜維の言葉を、 は一生懸命聞き、覚えている。その様に、趙雲は柔らかな笑みを浮かべた。
「では、やるか。親は俺からだな」
 親は、右回りに進むのですよ、と にいちいち姜維が注釈をつけるのを、馬超がむっとして見つめる。
 本当に、如何してこんなに仲が悪いのだろう。
 三人に気を使うあまり、麻雀に集中できない。姜維と趙雲は、初心者の に遠慮しているのかなかなか上がろうとしないが、馬超はやたらめったら厳しく打ち込んでくる。
「ロン。……ドラがあるから、18000点か。まぁまぁだな」
  がてしっと出した『一萬』の牌は、馬超にあっさりと打ち込まれた。これで何度目だろう。
「馬超殿、 殿は初心者なのですから」
 見かねた姜維が、ついに口に出して注意するのだが、馬超はまったく取り合わない。
「麻雀といえど勝負は勝負。手抜きなどできるか。 には、勝負に対する気合が足りん」
 そうだ、と取ってつけたように咳払いなどするので、姜維と趙雲は『何かある』と眉を顰めた。
「一番上がりが良かった者は、一番負けた者に何か一つ、命令をしてもいいことにするか。これな
ら、 も気合が入るだろう」
  の表情が曇る。
「……私、あんまり自信ない……」
 あんまりどころか、まったくない。趙雲か姜維が止めに入ってくれるだろうとこっそり伺った。
「……場は、最初からやり直しだろうな」
「当然そうですよね。条件が違うのですから」
 予想を裏切り二人ともやる気満々で、 はひえぇ、と情けない声を出した。
「大丈夫ですよ、 殿! この姜伯約、決して 殿を悲しませるようなことはいたしませぬ!」
 姜維は胸を強く叩くのだが、ビリは に決定しているようなものだ。負けが混むのは悲しまないとでも言うのだろうか。
 趙雲を見ると、また一際優しく麗々しい笑顔を向けてくる。
「決まりだな」
 馬超の清々しい宣言で、新たなルールが付け加えられた。
 うわぁん。
  は、何であの時馬超の手を振り解かなかったのかと、盆と正月にクリスマスと夏の花火大会を足したくらい盛大に後悔していた。

  にしては、頑張った。
 半荘が終わり、熾烈な戦いがようやく終結した。ということは、 は東場と南場の長大な間に点棒を細々とでもキープし続けたということである。
 やれポンだカンだチーだと鳴かれ、ロンだツモだドラだ国士無双だ緑一色だ四暗刻だ流れ役満だと飛び交った割には、途中で飛ばずに済んだのだ。
 快挙といえる。
  は頑張った。人生で何度輝く機会があるか分からないが、少なくとも今の は輝いていた。
 最下位だったが。
 きっちり空と化した、何とも物悲しい箱を は見下ろした。
 そして、この激戦を制した勝者を見つめる。
  の視線を受け、趙雲は微笑んだ。
 馬超はぐったりと背もたれに身を預け、姜維は燃え尽きた感たっぷりに俯いている。
 勝った趙雲とて、額に汗が浮いていたが、それでも二人に比べれば比類なく爽やかだ。
「えーと」
 恐る恐る切り出すと、趙雲はにっこり笑って指で の唇を封じた。古い映画のワンシーンじみて、 は思わず赤面した。
「……今は、何も考えられない。悪いが、今宵私の室まで来てもらえないか? その時」
 恐らくは『命令』を言うから、と続けようとしたのだろうと思うのだが、言葉は馬超と姜維の怒号でかき消された。
「貴様、夜の室に を連れ込んでどうするつもりだ!」
「趙雲殿、そのようなふしだらな行い、この伯約が見逃すとでもお思いですか!」
 椅子が後方に吹っ飛ぶほどの勢いに、 は唖然としていた。
「ちょ、二人とも、落ち着いて……」
「これが落ち着いていられるか!」
「そうですよ、 殿は、私より趙雲殿を選ぶのですか!」
 姜維の言葉に、 は更に呆然とさせられる。
 選ぶって、え?
 趙雲に向き直ると、苦笑している。
「……気がついてなかったのか? 我々は皆、 を愛している」
 あいしてるって、はい?
  がうろたえる。姜維は自らの失言にようやく気がつき、馬超は趙雲に己の気持ちを先に打ち明けられた情けなさに、声を潜めた。
 趙雲が、ほろ苦く笑う。
「よし、ではこうしよう。 、私達の誰を選ぶか決めてくれ」
 誰を選んだとて、恨みはすまい。
 趙雲の言葉に、馬超も姜維も息を飲み、次いで決心したように大きく頷いた。
 改めて、三人が に向き直る。
 ガタイのいい男三人に囲まれて、 は思わず後退る。
 そうだったのか、と今更ながらに理解する。
  を巡って争っていれば、それは仲も悪くなるだろうし には愛想良くもなるだろう。ついでに、この三人が何故いつも周りにいたのかも理解できた。互いに牽制しあっていたのだ。
 どうして気がつかなかったのだろう、と は我ながら嘆息する思いだ。
 だが、意識していなかった分、今答えろと言われても答えられようはずもない。そも、何故三択にしなければならないのか。 にその他の選択権がないのが明瞭で、そこのところも の癪に障っ
た。
「……何か、他のにしない? 三遍回ってワンって言うとか」
 えへ、と引き攣った笑顔を浮かべるのだが、趙雲は爽やかな笑みを浮かべて『しない』とあっさり言い放った。
 じりじりと後退する に合わせて、三人もじりじりと前に進む。
 告白タイムとは思えない緊張感に満ちた空気に、 の背中に汗が流れた。
「こちらにいらしたのですか」
 からり、と軽い音がして、開け放たれた扉から星彩が入ってきた。
「趙雲殿、黄忠殿がお呼びです。馬超殿、馬岱殿がお探しです。姜維殿、軍師殿がお呼びです……確かにお伝えしました」
 場の空気も解さず、三人に向けて淡々と用件を伝えていく。突然の乱入者に、三人は固まってし
まって動けない。星彩が一礼し、場を辞そうとした時、 の拘束が解けた。
「星彩ちゃん、大好きー!」
 ダッシュで星彩に飛びつくと、その頬に口付け、そのまま室を飛び出していった。
 あまりのことに、星彩も面食らった顔を隠せない。口付けの柔らかな感触の残る頬を押さえ、廊下を全力で駆けて行く を見送る。
「……何か、あったのですか」
 じと目で三人を睨めつける星彩に、三人はばつ悪く視線を逸らした。
「そうだな……最後の最後で、ツモ上がりされた、というところかな」
 何ですかそれは、と星彩は更に視線を厳しくした。
「雨だからといって、遊んでいないで下さい……では、私はこれで」
 今度こそ室を辞した星彩を見送り、三人は顔を合わせた。
「……まぁ、ようやく俺達の本意を知らしめることが出来たしな」
「ええまあ、有意義とは行かぬまでも、無駄にはならなかったのではないでしょうか」
「そういうことにしておくか」

 勝負はまた改めて。
 三人は勝手に約定を交わし、後片付けに入った。
 三者三様に、 が何処へ逃げたか、どうやって追いかけ、追い詰めるかを考えていた。


  終

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