呂布が対峙していたのは、まだ若い娘だった。
だが、その強さは今まで対峙してきたどんな男達よりも強く、勇敢だった。
――何だ。
――この女は、何なのだ。
『何者』ではなく『何』……そうと言うしかなかった。
何処か人とは懸け離れた感のある、作り物めいた白い肌と、反して紅い唇。無表情ゆえ、さらに人形めいて見える。冷酷とさえ言える正確な攻めの手は、必ず呂布の死角から繰り出された。
卑怯とは思わなかった。武人として一対一の勝負を仕掛けている以上、体格や力の格差を埋めるためには必然だったからだ。
だが、鍔迫り合いでさえ、互角に持ち込む。
――何なのだ。
同時に後ろに跳び退り、距離を置いて後に呂布は眉を顰めた。
女が、武器を降ろしたのだ。
「投降して下さい」
呂布もまた、武器を降ろした。膾に切り刻んでも良かった。敢えて女に合わせたのは、女の胆力に対する感心からだったかもしれない。いずれにしろ、言葉を交わそうと思ったのは、単なる気紛れに過ぎない。
「すると思うか、この俺が」
女の顔色が曇った。戦っている時は人形のようにしか見えなかったが、やはり何がしかの感情はあるらしい。当たり前のことではあったが、呂布には面白かった。
「……お味方は、皆、投降するか逃げてしまわれました。残りは貴方だけです……投降して下さい」
逃げないとでも思ったのか。でなければ、逃げられないとでも思ったか。
呂布の言葉に、女は困ったように首を傾げた。
「貴方には……できるなら、私達と一緒に戦って欲しい……駄目ですか」
駄目ならば、如何するのだ。
呂布は、出掛かった言葉を喉元で摩り替えた。
「お前が、俺の女になるというなら、お前と共に戦ってやらんこともない」
さて、どうでる。
呂布の口元に、自然と笑みが浮かんだ。
女の顔から、再び表情が消える。
伏せた眼が呂布の視線と絡み合った時、女の紅い唇が僅かに開いた。
「……いいでしょう」
予想していた以上にあっさりとした言葉に、呂布は侮蔑の笑みを浮かべた。
投降した呂布を連れ、女は前線の拠点に戻った。投降したとは思えぬ不遜な態度に、ある者は憤り、ある者は畏怖した。
鬼神と謳われる男を軍に招きいれ、いずれ騒動が起こることを予見した者は少なくない。
呂布自身、何時か己が飽きた時、この女を斬って軍を去ると信じて疑わなかった。
「こちらへ」
女は、拠点の中でも隅の方に位置する幕舎の中に呂布を呼んだ。
早速濡れ事でも始めようと言うのか、と思ったが、それにしては女の態度が素っ気無さ過ぎるし、幕舎の中から人の気配がするのもおかしい。
呂布が、重い布を捲り上げて中に入ると、蝋燭の揺らめく灯りに照らし出された、美しい舞姫がそこに居た。
「奉先様」
喜色を隠さず頬を高潮させて呂布の字を呼ぶのは、絶世の美女と呼び名も高い貂蝉だった。呂布の長年の想い人でもある。
「来て下さったのですね、奉先様」
深い黒の瞳は涙で潤み、蝋燭の赤い光がきらきらと反射していた。
「貂蝉」
ふと傍らを見遣れば、居たはずの女がいない。
縋りつく貂蝉の背に腕を回しながら、呂布は何時の間にか閉ざされた布幕をじっと見詰めた。
夜遅く、人の気配を感じては目を覚ました。
気付かれぬようそっと牀の下に置いた武器に手を伸ばす。が、いち早く取り押さえられ、牀の中央に引き摺り戻された。
闇の中、ずいぶんと体格のいい男に馬乗りにされているのは分かった。
誰だ、と考える間もなく、男の方から名乗りを上げてくれた。
「俺だ。抱きに来たぞ」
率直な言葉に、は眉を寄せた。
「呂布殿。これは何の戯れです」
「戯れなものか。言っただろう、お前が俺の女になるのなら投降してやると。お前の望むとおり、俺は投降した。次は、お前が約定を果たせ」
言うなり、の首に歯を立ててくる。
乱暴な扱いに、はますます眉を顰めた。
「……こういうことは、貂蝉殿となさい。その為に、貴方を投降させたのですから」
上手く逃れようとするのだが、の言葉も身の動きも呂布には通じない。
「お前は、そうは言わなかったろう」
「言うわけがないでしょう、貂蝉殿が貴方を待っているから投降なさいと言って、貴方は投降したのですか?」
兵士の手前、ただ投降しろと勧めたのだ。女の為に投降しろと言っては、呂布の名に傷がつく。そう思ったからこそ、ただ、呂布があんなことを言い出すとは思っていなかったのだ。
貂蝉がの人材募集に応じてくれたのはつい先日のことだった。
儚く華奢な顔と体つきに、本当にこの方が戦場に出られるのだろうかと密かに危惧したものだが、貂蝉のひたすら乱世の終焉を願う熱意と気迫に、は圧倒された。
己の身を顧みない激しさに、はむしろ痛々しさを感じていた。
こんなに美しい人なのに、どうしてこんなに傷つかなくてはいけないんだろう。
のこの時の心境は、母親のそれと似ていたかもしれない。
貂蝉の心を少しでも安らかにしてやりたいと思って、思い人たる呂布を探し、敵に与していると知ってなお諦めきれず、自ら戦場を駆ったのだ。
すべては貂蝉の為だった。
貂蝉があれほど愛して止まない男なら、男もまた、貂蝉を愛して止まないはずだと思っていたから、戯言にも応じてみせた。
その男が、戯言の延長で自分を組み敷いている。
悪い冗談にしか思えなかった。
「俺は、戯れは言わん」
なお悪い。抗おうともがくのだが、戦場と違って分が悪過ぎる。の細腕で退かすには、呂布の体は頑丈に過ぎた。
呂布の手が、の寝着の襟から胸元に滑り込んでくる。
「ま、待って下さい……せめて、せめてこの戦が終わるまでは!」
人形のように取り澄ました顔が、初めて生身の娘のように生き生きとした表情を浮かべた。それが恥辱の表情であっても、呂布には関係ない。
「戦が終わるまで、か。何か訳でもあるというのか」
手は止めたが、退こうとはしない呂布に は怯えた。だが、このままでも埒が明かない。は生唾を飲み込み、呂布の強い眼差しから目を背けた。
「……願掛け、を……」
呂布の目が更にぎらついた。
は、一瞬横目で呂布を見上げ、慌てて目線を逸らす。
戦場にある間は、女であることも命を惜しむこともよそう、と思っていたのに、この男の前では何もかもが無意味に思える。昼、よく自分は平気でこの男と対峙できたと思う。きっと、貂蝉のことで頭がいっぱいだったのだ。
が戦場に立った切っ掛けは、結婚を約束した恋人を戦で失ってからだ。
兵士でもなんでもなかった。ただの商人だった。商いの為に赴いた城下で、戦に巻き込まれて死んだのだ。彼の死骸を、は運良く見ることができた。
腹から内臓をはみ出させ、が贈った指輪を指ごと奪い去られた死骸を見ることが幸運としたら、だが。
は、機を織るのを辞めた。着物を縫うのを辞めた。代わりに、武器を取った。二年、訓練をして、戦に身を投じた。
大将は自分でなくても良かったが、気がついた時には国を守る巫女に祭り上げられていた。
巫女なら、男と触れ合ってはなるまい。
は、一人でそう決めて、天に向け祈りを捧げた。
どうか、私に力を。代わりに、この身を戦に捧げます。
戦は連勝を続け、女ながら男の匂いがしないは、戦の守り神、巫女と祭り上げられていった。
「下らんな」
呂布は、鼻で笑うと、再びの寝着を剥ぎにかかった。
「神などに頼って、何になる。奴らが何をしてくれると言う。頼るなら、俺を頼れ」
巫女であるなら、この鬼神、呂布に身を捧げろ。
傲慢な言い方だったが、呂布が言うと何故か嫌味に為らない。本心からそう思っているのだ、と思えた。ぞっとした。
「やめて、お願いだからやめて下さい、貴方には、貂蝉がいるでしょう」
お願いだから、あの人を傷つけないで。
の言葉に、呂布は益々鼻白んで吐き捨てた。
「貂蝉にお前を重ねるのはやめろ。浸るな。吐き気がする」
はっとしたが呂布を見上げる。呂布はの視線にも表情を変えず、の裾を捲り上げた。指で探ると、熱を含んではいたが未だ濡れておらず、呂布は隠さず舌打ちをした。
の肩を跨いで乗り上げると、己の勃ち上がりかけたものをの口元に押し付ける。
「舐めろ」
無慈悲な命令に、は顔を背けて拒絶するが、呂布は片手での髪を掴み上げて無理やり含ませた。
口腔を圧迫するほどの質量に、の喉から悲鳴が迸る。くぐもった悲鳴は響かず、呂布のものを震わせるに留まった。
呂布は口の端を引き上げて哂う。
「なかなか上手いようだな。お前の前の男は、お前を良く仕込んだと見える」
大切にしていた想いを踏み躙られて、は涙を流した。呂布は手加減せずに腰を突きこみ、の濡れた口の感触を存分に楽しんだ。
しばらくして、ようやく呂布のものが引き抜かれる。の舌から呂布の亀頭に、名残惜しげに銀の糸が引いた。
は、ぐったりと横倒しに倒れる。忙しなく吐かれる息で、肩は揺れ、口の端からだらしなく唾液が零れていた。
呂布の手が、難なくの膝を割る。挿入しようとすると、が抵抗にもならない身動ぎをした。たいしたことでもなかったのだが、呂布がに目を向けると、は膝を閉じようともがいている。面倒になり再び挿入しようと下を向くと、細い声が耳に届いた。
「待って……違う、違うから……」
呂布が手を緩めると、は後ろ向きになって膝を立てた。
「これ……で……」
犬のように這いつくばったに、呂布は意外そうに目を向けたが、は呂布の視線を拒んで目を向けようとしない。
呂布は、の望みどおりにしてやることにした。
白い尻肉を掴むと、柔らかさに指が沈む。秘所を探ると、やや潤ってきているのが分かった。
膣を探り当て、先端を埋め込むと、の背中がびくりと撥ねた。
少しずつ埋め込んでいくと、の背中が継続的にびくびくと撥ねた。声を耐えている風なのは気に入らなかったが、の中は熱く狭い。呂布のものを包み込み、具合が良かったので何も言わずに行為に没頭した。
呂布のものは体躯に似合って大きく、生半な女には入りきらない。もまた、根元に到達する前にごり、とした感触にぶち当たってしまい、それでも呂布は未練がましく挿入を続けた。
「……ん、く……い、た……やめ……」
あまりにしつこく押し付けるので、が先に根を上げた。顔こそ向けてこないが、痛い、痛いと繰り返す。
男を知らないわけではなさそうだったが、久方振りなのだろう、呂布が動くには潤いが足りず、かと言って抜くには惜しかった。
呂布は、突然の体を抱き上げ、後ろから包み込むようにして己の胡坐の上に座らせた。自重で貫かれる強さが増し、は首を激しく振った。
呂布の指と舌が、の体を探る。白い胸乳を入念に解し、先端を摘まみ上げると細い悲鳴が漏れた。片手はそのまま胸乳で遊ばせ、なだらかに腹や腰、腿や尻をまさぐる。
外耳や耳朶に舌を這わせていたが、戯れにうなじ、髪の生え際に口付けると、の声音がひどく潤んだものに変わった。
ここか、と辺りをつけ、丹念に舐めるとの肌に鳥肌が立ち、同時に呂布のものを締め付ける膣が、きつさはそのままにどろどろに溶けていく。
「や、痕、付けないで……!」
の悲鳴じみた声に、呂布はわざと逆らって朱色の痕を刻んでいく。
「見えるから、だめ、お願い」
半泣きの声に、呂布は肩から背中の上部にかけて次々と痕を刻みつけた。
いや、とが泣き崩れ、呂布は逃げるように前のめりになるの体を引き戻した。膝裏を抱え上げると、は体を倒せなくなり、呂布の胸にもたれる形となる。
「……お前の中が、溶けている」
耳元に囁けば、はいやいやと首を振った。
「動くぞ。達きたければ、遠慮なく達くがいい」
が何か言いかけたようだったが、呂布が軽々との体を抱え上げ、また落としたので、は嬌声より他に上げられる声がなくなってしまった。
いや、とは言っているが、果たして本心のものかは判断がつかない。の中は既に潤んで、溢れた雫が呂布のものを伝い、敷布にまで達しようとしていた。
「あ、もう、もう……!」
が首を激しく振ると、涙と汗が辺りに飛び散る。呂布は、の膝を腕にかけ、余った手の平での両の乳房を揉みしだく。手の平で固くしこった乳首が豆のように転がり、呂布はただその感触を楽しんだ。
の嬌声が途切れ、噛み締めた唇の隙間から痛みを堪えるような音が漏れた。
呂布のものをきりきりと締め上げていた膣が、ふっと力を抜く。の背が、完全に呂布にもたれかかるが、の中はすぐに呂布のものを再度締め上げにかかる。
「う、も、やだ、やだぁ……」
泣きじゃくってはいるが、の中は呂布を離そうとしない。
呂布は、の体を前倒しにしようとするが、力が入らないのかそのまま前に崩れ落ちてしまう。
膝を無理やり立たせ、尻を引き摺り上げるようにして挿入を繰り返すと、柔肉に腰骨が当たり、高い音が響いた。
「お前が望んだのだろう。ちゃんと立て」
体中の力を膣に注ぎこんでいるかのように、の足腰はぐずぐずに崩れ落ち、反して中は強靭に、それでいて柔らかく呂布のものを追い立てる。
何度も追い立てられ、そのたびには許しを請うのだが、呂布は一瞥すらせずひたすら己の欲望を昂ぶらせ、鎮めることに集中しているようだった。
「もう、もうだめ、だから、お願い……」
呂布は、のかすれた声をどう受け止めたのか、小さく、よし、と言うなりの体を返した。
あっと声をあげる間もない。
突然、後背位から正常位に変えられ、は間近に己を犯す男の顔を見る。慌てて目を逸らすが、呂布はの顎を掴んで引き戻した。は瞼を固く閉じる。
姿さえ見なければ、夢として忘れられると思った。恋人と体を重ねた夢を見たのだ、と言い訳が出来ると思った。だから背中を向け、屈辱を耐えて尻を上げてみせたというのに、これでは何もならない。
呂布の息が微かに肌に触れる。目を開けられない。
早く終わって、とは歯を噛み締めた。
「俺を見ろ」
完全な命令だった。逆らうことを許さない、鋼鉄の声だった。
「俺を見ろ、俺を呼べ」
閉ざされた瞼に落ちた唇は、とてもこんな声を出すようには思えないほど優しかった。
どうしても、夢では済まされない。現に引き摺り落とされる。
涙で濡れ、黒々とした睫に縁取られたの瞼が、震えながら開いた。
相変わらずの闇の中、目を開けたとして見えるのは薄らぼんやりとした黒い影、せいぜいが目鼻の線程度なのだが、呂布はが目を開けたということだけで満足したようだ。
「呼べ」
急かされて、はおずおずと口を開く。
「りょ……呂布殿……」
「違う」
苛立ちを含んだような声に、は怯える。この男の、苛立っていない声など聞いたことがあっただろうか。なのに、どうしてこんなに胸が締め付けられるのだろう。
常に人を蹂躙するようなこの男の声に、何時の間にか従ってしまう。
「ほ、うせ、ん……?」
「そうだ」
そのまま、呼んでいろ。
意味を飲み込む前に、呂布の腰が滅茶苦茶な挿入を繰り返した。翻弄させられて、は喘ぐ。
「目を閉じるな、ちゃんと呼べ」
何故、どうしてはきっと許されない。は、目元を強張らせて目を薄めだが無理に開くと、唇を震わせて呂布を呼んだ。
「ほ……ほうせ……奉先……奉先……」
呼ぶたびに、膣がきゅっと締まるのが自分でも分かる。
呂布の腰が強弱を変えて打ち付けられ、そのたびに呂布を呼び声で縋る。不思議と悦がこみ上げた。
「あ、あ、奉先……奉先……ん……」
甘えたような、強請るような声が止められない。痛みは消え失せ、もっと奥に貫いて欲しいという欲求だけが残った。
腰が揺れる。足を開き、呂布を受け入れる。腕が伸び、呂布の太い首に絡みついた。
柔肉を擦られるたび、じんと痺れる悦がの中を侵食していく。徐々にいっぱいになり、膨れ上がっていく。
眦から愉悦の涙が零れた。
呂布の額から流れた汗が、その鼻梁を伝って顎に滴っていくのが見える。汗の雫は呂布の角い顎からの裸の胸に落ちて散った。
同時に、の体の奥の方で何かが弾け、押し流されるようには気を失った。
目を覚ましたが、初めに見たのは黒々とした小山のような影だった。
それが呂布の背中だと気付くのにしばらくかかった。
「目が覚めたか」
の視線に気がついた呂布が振り返るが、やはり表情までは読み取れない。
何故、こんなことをと訊いてみたい気もしたが、きっとこの男は答えないだろう。声は言葉にならず、代わりに涙が出た。
「何故泣く」
暗闇の中、呂布にはの顔が見えているのか、無骨な指が涙を拭うのに、涙は後から零れ落ちた。
「……戦場に、戻れなくなってしまう」
巫女のような存在、人あらざるべき存在と自分に言い含め、思い込んできたからこそようやく戦場にいられたのに、ただの女だということを思い知らされてしまった。
惨いことをする人だ。
「お前が望んだことだ」
私が、何時。
「俺と共に戦うのだと言っただろう」
巫女などと言う辛気臭いものと一緒に戦う気はない。俺の傍らにあるというなら、人でなくてはならない。
「……貴方とて、鬼神のくせに」
責めるような棘のある言葉に、呂布は面白そうに口の端を歪めた。
「何が、おかしいのです」
の涙が止まったのを見届けて、呂布は脱ぎ散らかした衣服を纏い始めた。は、悔しいことに腰ががたがたになってしまって、起き上がることすらままならない。認めるのが悔しくて、何事もないように装うのが精一杯だった。
だが、きっと呂布には見抜かれているのだろう。
すっかり身なりを整えると、呂布は首だけを振り返った。
「お前もつまらない女だな」
また気が向けば抱いてやろう、と言い残し、立ち去っていく。
つまらないと言うなら、抱かなければいい。
後姿に向け、罵声を浴びせると、低い笑い声がの耳に届いた。
止まった涙が再び溢れ出し、は声を殺して泣き伏した。
私の力、あの男が持っていってしまった。
どうしてあの恐ろしい戦場に立てばいいのだろう。
あんな男、連れて帰るのではなかった。
殺してやる。
の中に様々な憎悪や憤怒、悲哀や恐怖が渦を巻いて溢れ出しそうだった。
散々泣いて、泣いて、気がついたら早朝を告げる小鳥の声が幕舎の厚い布を通して聞こえて
きた。
目が腫れ上がっていたが、ようやく涙は止まった。枯れ果てたのだと思った。
水差しから一気に水を飲み干し、喉を潤すと、は、ふと気持ちが軽くなっているのを感じた。
巫女でなく、人望厚い君主でもなく、ただの女になるというのがどれだけ気楽なことなのか、改めて思い知らされた。
それらは呂布の陵辱によるものなのだ。呂布は、の中に巣食う重責という幻想を、全て食らい尽くしてしまったのだ。
祓う、などという生易しいものではない。飢えた獣が獲物にむしゃぶりつくように、喰らい尽くしたのだ。
貂蝉と引き合わせたことへの、あの男なりの礼なのかも知れない。
ただ、それを認めるのは悔しくて、は、朱く色付いた痕に爪を立て、あの鬼神を憎まなければと一心に思い込もうとした。
あの男を憎む気持ちで、戦場に立つ。そうすれば、どんなに恐ろしい戦場でも立っていられると思えた。
憎まなければ。私は蹂躙されたのだ。私の意志は踏み躙られ、神聖な誓いは汚されたのだ。
憎まなければ。
は、己の身を抱きかかえ、自分に必死に言い聞かせた。
体にはまだ、あの男の熱が残っていた。
終