バレンタインデーの話をした時、諸葛亮の反応はあまり芳しいものではなかった。
「非生産に過ぎますね」
 あっさりとした感想は、簡素でありながらはっきりと否定の意を表している。
 無論、を否定しているのではないと分かっているからむっとはしないが、呆れたような心持ちにはさせられる。
「そんなもんですかね」
 生産・非生産で分けるとするなら、諸葛亮が仕官する劉備こそが非生産だろう。
 情などというものは、時に人の正常な判断能力を狂わせる危険なものだ。
「過ぎる、と申し上げたまでで、すべての非生産を否定するつもりはありませんよ」
 聡過ぎる諸葛亮は、の微細な表情からその思惑までを容易く見抜く。
 不快に思う者も居るようだが、は気楽に話が早くて良いと考えている。
「過ぎると仰いましたが、常日頃の感謝感激感動の気持ちを表す行事は、あっても毒にはならんと思いますけれども」
「孝、忠に報いる行事であれば、私も些かの否定も致しますまい。ですが、男女の情を基として行われる行事とあっては、甚だ不本意では有りますが否定せざるを得ないかと」
 夫婦であればまだしも、契りを結ぶ前の男女を悪戯に唆すような真似は好ましくない。
 血脈または君臣の道にそぐわぬ者同士、特に婚前の男女にやたらと証立てをさせれば、却って情が千々に乱れ引いては天の乱れと化す。
 要するに、結婚してちゃんと夫婦になる前に、迂闊な真似してすったもんだの原因を作ったりするのはよろしくないと言うことらしい。
「貴女の天ではいざ知らず、こちらの天下では女から男に求婚することもさして珍しいことではありません。ですから、そのような行事を改めて拵える必要はないのですよ」
「へぇ。私はてっきり、親とか仲人の引き合わせで結婚するもんだと思ってましたよ」
「勿論そのような婚姻もありますが、身分の高きはいざ知らず、庶人の間は様々です」
 擲果という風習がある。
 これなどは、女性が男性にするのが主で、意中の相手に梅や木瓜の果実を投げて思いを伝えるものだという。
 が考えていたより、この時代の女性はずっと自由なのだ。
 もっとも、仲立ちがなければ相手の存在を知ることもままならない場合も多いだろう。
 男女共学など望むべくもなく、働く場所も異なれば住んでいる場所も離れているのが常だ。現代のように、休日に電車に乗って盛り場に遊びに行くこともないのだから、出会い自体が希少と言えた。
 だったら余計にと考えなくもないが、出会いが希少だからこそ恋愛には決死の覚悟で向かい合うに違いない。
 成程、諸葛亮が言うように、下手な原因を作っては刃傷沙汰に及ぶ危険もないではない。
「まぁ、そんなら、奥様に話の種ということで何か差し上げてみたら如何ですか。お忙しくて、なかなかお会いになれないのでしょ」
「……それは良いかもしれませんね」
 話の切り上げ時かと腰を浮かせたに、諸葛亮はちろりと視線を向ける。
「貴女も、何か欲しいものはありませんか」
「……生憎、思い浮かびません。それに、この手の贈り物は、相手が欲しがっていそうなものを一生懸命考えると言うところにこそ価値があるのだと、私は思いますけども」
 やや伏目になる諸葛亮に、少し言い過ぎたかと頭を掻く。
「迷われたら、花でも贈られたら如何ですか。大抵の女性は、贈られて嫌な気はしないと聞き及びますから」
 他人事のように話すのは、諸葛亮が妻への贈り物に難儀していると思ったからだった。
 諸葛亮は気怠げに白扇を仰ぐと、再び視線をに戻す。
「……貴女のお好きな花は?」
「私は貴方の妻じゃないですから」
 先程、夫婦であればまだしもと、自ら言ったばかりではないか。
 諸葛亮とは、単なる愛人関係に過ぎない。
 ただの気まぐれ、性衝動の発散だった。
 その方が、気が楽だ。形にされると却って困る。
「貴女という方は、ずいぶん私に意地悪をされる」
 溜息を吐く諸葛亮に、はぱっと頬を染めた。
「……意地悪、ですか、私が」
「意地悪ですよ、それはもう、大変に」
 告白すらさせていただけないとは辛い、辛いと零す諸葛亮に、は顔をみるみる赤くした。
 困らせているという事実が、自分が思いの外子供で、思い切り諸葛亮に甘え掛かっているのだと知らしめていた。
 それは、自制もなく惚れ込んでいるという証でもあった。クールを気取っていたつもりだったのに、とんだ裸の王様だ。
 しかし、そうと自覚して、一つ分かったことがある。
 それでも自分は諸葛亮が好きなのだ。
 恥を晒して露呈して、それでも傍に居たいと願うひとは、諸葛亮が初めてだった。
 では、とは腰を上げた。
 諸葛亮が首を傾げる。
「梅か木瓜でも、探してきますよ」
 耳まで届かなかったのか、え、と聞き返す声を背中に聞きながら、はそのまま廊下へと向かう。
 バレンタインの告白は、基本、女からするものだから。
 ぼそりと言い残して去って行くの後姿を、諸葛亮はしばしの間凝視していた。
 謎掛けにもならないの呟きを、けれどすぐに理解できなかった自分がおかしくて、諸葛亮は執務室で一人きり、込み上げる感情を堪えもせず声を上げて笑った。

  終

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