「……孫堅様、聞いてます?」
「ん?」
 書簡から顔を上げた孫堅は、やや苦笑いを浮かべてを見詰めていた。
「……聞いてました?」
「ん? ああ、聞いていた。……で、何だったか」
 あからさまに聞いていなかった孫堅に、はじと目を送る。
「聞きたくないなら、やめますよ、もう」
「いや、是非聞きたい。すまん、もう一度頼む」
 そういう時ばかり真剣な顔をするので、は断りきれなくなってしまうのだ。
 が孫堅の庇護を受け、この呉で生活するようになってから随分経つ。
 孫堅に慰めを与えるのがの職務で、こうして他愛もない話を聞かせてやるのもまた職務の一環だった。
 渋々ながら最初から同じ話を繰り返す。
「ですからね、バレンタインデーという日があってですね。ちなみに今日なんですけど。バレンタインデーっていうのが、基本、女の子が好きな男の子に告白できるっていう日でですね」
「女が、何?」
「だから、女の子が、好きな男の子にですね」
「……何な男に?」
「好き! ……ホントに聞いてるんですか」
「すまん、こちらも少々急ぎの案件とかでな。で、告白と言うのは」
「だから、好きって言うんですよ」
「何故」
「好きだから、好きって言うんですって! ……急ぎの案件があるなら、話は後にしましょうよ」
 これでは非効率過ぎる。
 孫堅が相手だからこそも譲歩しているが、こうも話が進まないといい加減に苛付いてくる。
「すまん」
 しかし孫堅は、ここぞとばかりに素直に詫びて寄越す。
 話は聞きたい、しかし案件も急かされている、分かって欲しいと下手に出られてしまうと、もそれ以上がなり立てることが出来なくなってしまうのだ。
「……ですからね」
「ん」
 書簡に目を落とす孫堅の顔を見ていて、ふと気が付いたことがある。
「……わざとやってません?」
「ん?」
 を見遣る目が、ほのかに笑っているような気がする。
「……わざとでしょう」
「俺が、わざと? 何故そう思う」
 目が笑っているではないか。
「……だって、あんまりにも繰り返し過ぎでしょう。同じ話、何度したと思ってるんですか」
「すまんな、何しろ急ぎの案件が」
 またも書簡に視線を戻してしまう孫堅に、は立ち上がりその横に回り込む。
「幾らお前でも、不躾に過ぎるのではないか?」
 書簡は閉じてから見えなくしたものの、言葉とは裏腹に面白そうにを見上げている。
「……違う話をしましょう、お忙しい孫堅様でも、面と向かって聞きたくなる話」
「ん?」
 笑みを浮かべる孫堅に、は自ら唇を重ねた。
「好きです、孫堅様」
 孫堅はあれ程熱心に読み込んでいた書簡を顧みることもなく、ただ笑ってを見詰めていた。
「……成程、興味深い話だ。で、続きは?」
「ありません、そんなもの」
 確信を得たくてしたことだ。続きなどある筈もない。
 孫堅は話を聞いていなかったのではなく、単にに『好きだ』と言わせたかっただけなのだ。
 別に孫堅に対して言っていたつもりではないが、普段からほとんど口にしない単語を聞きつけて、からかってやろうと思い立ったに違いない。
 何という悪趣味な人だと、呆れるばかりだ。
「話の続きはなしか。では、違う方面に続けてみるかな」
 書簡を投げ出し、代わりにを抱え上げた孫堅に、はじと目を送る。
「急ぎの案件は、どうしたんですか」
「そんなもの、あったかな」
 やっぱり。
 溜息を吐くに、孫堅は快活に笑ってみせた。
「お前がそうして俺をじっと見ているのを見ると、我慢が効かなくなる。構ってくれと強請られているようでな」
「じゃあ、もう、見ません」
 不貞腐れるに孫堅は口付けを落とし、吐息の掛かる近さで見詰める。
「可愛げのないことを言うな。それに、今日はバレンタインデーなのだろう?」
 もう一度告白してくれと邪気もなくせがむ孫堅に、は眉を顰めながらも顔を赤らめ、その耳元に唇を寄せた。

  終

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