「恩を売りつけるなら、絶好の機会ですよ」
法正の言葉に、は一瞬動きを止めた。
何をしているのだ、と、普通はそう危惧するところだろう。
隙ありとばかりに殺到する兵士が、を狙って剣を振り上げる。
時が、止まったように感じられた。
豪快な風が法正の髪を嬲り、飛んでいく。
同時に、その烈風は兵士の群れを薙ぎ払っていた。
の仕業である。
その手にある方天画戟の一振りで、大の男達が嘘偽りなく吹っ飛ばされるのだ。
豪胆な武芸を、しかしが誇ることはない。
「あ、マジ?」
常にどこか気抜けした顔に笑みを浮かべ、改めて構える。
「じゃ、ちょっくら頑張っちゃうか―」
最初から頑張っていれば、こんな戦、とっとと片付いているだろうにと法正はひとりごちる。
それが証拠に、法正は既に手持無沙汰に陥っていた。
見た目の悠長さが癇に障るのか、敵はに群がっていく。
気にした風でなく蹴散らしていたは、不意に顔を法正に向けた。
「早速今夜、恩返しよろしくー」
敵が殺気立つ。
人を煽ることに関しては自信のある法正だったが、殊、に対してだけは勝てる気がしない。
「……んっ……」
艶めいた声が響く。
声の震えが夜の冷気によるものでないことは、聞くだけで判じられた。
「んあっ……そ、そこ……ん、いいっ……」
羞恥を掻きたてる声に、しかし声の原因たる法正は渋い表情を崩さない。
嬌声を上げさせることに躊躇はないが、その手段が理想と現実とでかけ離れているのが、どうにも不満なのである。
の求める『恩返し』は、ただの按摩だった。
男として、これ以上つまらない『恩返し』があるだろうか。
そんな法正の気持ちも知らぬ気に、はくだらない声を上げ続けている。
この不機嫌の代償を、何に求めていいものか。
「……法正殿?」
つまらぬ考え事をしている内に、手が止まっていたらしい。
不服気な視線を隠さず、が法正を見つめている。
「いえ、……同じ気持ちの良い事であれば、別のやり方の方が得意だと、そんな次第です」
遠回しに訴えてみる。
「溜まってるとか?」
直球で返された。
「……そういう訳では、ないんですがね」
「あたしでいいなら、いいけど?」
嫌悪の情を露わにするも、には響かない。
「あ、でも、寝ちゃうかも」
それとなく拒否するのかと思ったら、違った。
「そしたら、適当に突っ込んでもらって、で、いいかな?」
「良くはないでしょう」
は不満げだ。
「えー……あ、入らないか」
「そういう問題でも、ないですね」
指に力を籠めると、指圧の快さに浸ろうとてか、の無駄口も止まる。
しばらくして、法正は、己がことながらよく分からない衝動に突き動かされて口を開いていた。
「……そんな抱き方、真っ平御免なんですよ」
沈黙が落ちる。
長い長い沈黙だった。
「法正殿」
「はい」
応えたものの、会話は繋がらない。
失敗したか、と、ほろ苦い気持ちに舌先を噛む。
は正面を向いたままだ。
「……乙女? 意外と」
よりにもよってな言葉に、法正は珍しく目を剥いた。
しかも、いつの間にかがこちらを向いている。
見られたくない顔を、見られたくない相手に見られてしまった。
口の端に力を籠めると、何事か感じるところでもあったのか、は慌てて『見なかった振り』を開始する。
許す筈がない。
両の手にあらん限りの力を籠めると、の体がしなる弓の形にのけ反った。
聞くに堪えない罵詈雑言が溢れるのを、法正はさらりと聞き流す。
按摩をして欲しいと頼んだのはの方で、俺ではないと平気なものだ。
力の強弱までは、指定されてない。
そして気が付いた。
ならば、この一時で『やられた分』を返せてない。
「だからその内、お返ししますよ」
先程とは打って変わった、ぐえだのげえだの、畔の蛙の如く色気のない声を上げるは、呻き声の間から法正に問うてきた。
「それは、恩? それとも、怨?」
どちらだろう。
考えている内、また余計な力が入っていた。
終
The orderer :赤駒様