孫策の指示一つで、小さくない街のほぼ全員が参加する祭が執り行われる。
 それも、これまでまったくしたこともない、聞いたこともないような祭が、だ。
 口で言うのは容易いことだが、これがどれだけ凄いことなのかは、自ら一軍を率いる立場にある凌統には骨身に染みて理解出来た。
 本音を晒せば、多少の嫉妬を覚えなくもない。
 凌統が必死に勝ち得る信頼を、孫策は何の気なしに手に入れてしまうのだ。
 人格気質に依るところもあるだろうが、生まれついての資質とあれば文句を付けようがない。
 けれど、努力して得られるものではない才は、人を激しい嫉妬へと駆り立てる。
 もっとも、誰よりも人の心の仕組みを感知しようと心掛けている凌統は、他愛なく嫉妬することさえ出来ずに居る。
 簡単に言えばへそ曲がりなのだ。
 民が祭に興じ、戦で荒む気持ちを少しでも明るく保てるならば、自分如きがああだこうだと喚くのも野暮。
 凌統は自身をそう断じて、しかし祭に興じる気にもなれぬまま、人気のない街外れでぼんやりしている。
 こんな気持ちで祭に参加するのはおこがましいと理屈を付けて、その実、一人浮き上がる自分を認識するのが嫌なのかも知れなかった。
 一人で居たいと望む癖に、一人になりたくないと拗ねている。
 まったくもって厄介だと、我ながら呆れていた。
 その足元に、丸いものが置かれる。
 歪な形に目鼻口とくり抜かれた南瓜からは、内に灯した炎の明かりが零れ落ちていた。
 お化けカボチャの異名の通り、目鼻口から炎を吹き出して居るような、ぞっとしない光景だ。
「何だい、これ」
「南瓜の燭台ですよー」
 そんなことは見れば分かる。
 うんざり顔でを横目に見遣る凌統だったが、は気にした様子もなくにこにこと笑っていた。
「凌統様、ノリが悪いですよ?」
 人の気も知らず、如何にも楽しげに南瓜を見ているに、凌統はふぅっと大袈裟に溜息を吐いた。
「それ置いとくと、子供らが押し寄せてくるんじゃなかったっけ」
「大丈夫ですよ、お菓子はちゃんと用意してありますから」
 ほら、と小ぶりの饅頭の詰まった籠を見せられて、凌統はぐうの音も出ない。
 ハロウィン関連のものから逃れたくてここまで来たというのに、は見逃してはくれないようだ。
 は、凌統が何をどれ程嫌がっても、まず許してくれない。いいからやって下さいの一点張りで、決して引き下がろうとはしなかった。
 だと言って、上官たる凌統に怒鳴ったり命令するなどという本末転倒なことはしないし、凌統が本当に心の底から嫌だと思う時には、こちらが後ろめたくなるほど何も言わない。
 例えば、甘寧と仲直りさせようとは決してしなかった。
 だから、凌統はをむげには出来ない。これからもきっと出来ないだろう。
 けれど、はどうしてここまで凌統に尽くしてくれるのか。
 この女だけは最後まで俺を裏切ることはないだろうと思わせるのは、何故なのだろうか。
 見返りを求めないの姿は母の面影にも重なるが、が凌統の母であろう筈もない。
「凌統様は、何でも難しく考え過ぎです」
 くすりと笑われ、思考を読まれたような心持ちに陥る。
 焦る凌統に気付く様子もなく、は南瓜の燭台を抱えて立ち上がった。
「とりっくおあとりーと、ですよ、凌統様」
 突然投げ掛けられる合言葉に、凌統は目を瞬かせた。
 ほらほら、と急かされても、何と答えていいか分からない。
 困惑している凌統とは裏腹に、は酷くはしゃいでいた。
「ほら、時間切れになっちゃいますよ。とりっくおあとりーと、どうなさいますか、凌統様」
 それでも答えない凌統を見下ろし、はにこりと微笑んだ。
 何故か、悲しそうだと思った。
「……はい、時間切れですよ、凌統様」
 あーぁ、と茶化して笑うに対し、凌統は唇を突き出して不貞腐れる。
「はっぴはろいん、だろ? 分かってるっつの」
「あ、当たりです! ……でも、もう駄目ですよ、時間切れですから」
 ふふ、と悪戯っぽく笑うに、あのなぁ、と肩をすくめて見せる。
 ここで凌統から小気味よく嫌みの一つも言ってやるのが、二人の定例だった。
 常の通りに振舞おうとする凌統の口を、素早く封じる温もりがある。
 柔らかく、熱っぽく、体の奥底から突き上げるような衝動を引き起こした温もりは、あっという間に離れていった。
 が笑っている。
 その頬がわずかに赤く染まっているのは、燭台に灯された明かりのせいだけではないのだろう。
「お菓子をくれない人には、悪戯、なんですよー」
 度肝を抜かれて、いつもの調子が出なかった。
 呆然としてを見詰める凌統を、もじっと見詰めるのみだ。
 その目が何かを欲するようで、けれど『いけない』と必死に自制をしているようで、凌統は何とはなしに、面白くないものを感じる。
 はっきりとした理由は分からないが、こんなことをする女ではなかっただろうと思っていただけに、何だか無性に面白くないように思う。
「あんたはあんまり、考えなさ過ぎだろ」
 の目に怯えが走る。
 ふっと逸らした目は、すぐに戻っていつも通りのに戻る。
「……そうですね。申し訳ありませんでした」
 南瓜を手に、立ち去ろうとするの背に待ったが掛かる。
「忘れもん」
 菓子を詰めた籠が、凌統の横に置き去りにされて居た。
「あ、申し訳あり……」
 取りに戻ろうとしたは、凌統の手に捕らえられた。
 重なった唇の感触に、は驚いて目を見開く。
「……悪戯、だろ?」
 菓子か、悪戯か。
 とりっくおあとりーとの合言葉は、本来そんな意味合いなのだと凌統は聞いている。
 菓子をくれと言われて与えてやるなら、悪戯『も』与えてやるのが本来の筋だろう。
 凌統の珍答に、は思わず吹き出してしまう。
「どんな屁理屈ですか、それ」
 お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、が正しい。
 はそう聞いているし、それでなくては祭の筋が通らない。
「いいんだよ、俺がそうだっつってんだから、あんたもそう思っておけばいいんだっつの」
 平気の平左で嘯く凌統を、は子供をあやすかのように、はいはいと軽くいなす。
 いつもの副官の姿に戻ろうとするに、凌統は唇を軽く噛んだ。
 常の遣り取りを最初に妨害したのはの方だったし、仮装していいのは今宵だけだ。
 なのに、今までずっと本当の自分を偽り何でもない振りを装ってきたと分からしめた上、これからもそんな『仮装』を続けようとするが、無性に許せなくなる。
「とりっくおあとりーと」
 凌統は、合言葉を口にする。
 は目を瞬かせたが、すぐに『はっぴはろいん』と言い返した。
「早く」
「……あの……凌統様、手を……」
 饅頭の入った籠はすぐそこにあるのに、凌統にしっかり捕まえられているせいで取りに行けない。
 困惑するを他所に、凌統はもう一度を急かした。
「早く」
 凌統の言わんとするところをようやく察して、は泣き笑いを浮かべる。
「……できません……」
 一度目は冗談で済ませられても、二度目はもう言い訳できなくなる。
 副官の立場を超えた想いを、はずっと胸に秘めて来た。
 凌統の為になることであれば、何でもしたいと望み、そうしてきた。
 不遜の願いを封じる代わり、誰よりも凌統の傍に居られた。
 ハロウィンに浮かれて悪戯をした報いだと言うのなら、何でもしてみせよう。
 だが、凌統が今に与えようとしている罰は、にとってはあまりに惨過ぎた。
「誰も頼んでないっつの」
 凌統の言葉に、は身を震わせる。
「あんたはもっと、俺の傍に来られるだろ? 何、勝手に線引きして後退してんだっつの」
 返事をしなければ、もっと酷い悪戯をする。
 何をするつもりなのか。
 の頭は混乱しきっていて、気の利いた言葉どころかその口を開くことも出来ずに居る。
「……はい、時間切れ」
 凌統はの手から南瓜を取り上げ、籠の横に据え置いた。
 の手を引き、より暗がりへと突き進む。
「何処へ……何をするおつもりですか」
「大人のはろいん」
 明瞭簡潔に答える凌統に、は小さく悲鳴を上げた。
 不意にぴたりと足が止まり、肩を細かく震わせていた凌統は、突如盛大に吹き出して腹を抱えて笑い出す。
「……凌統様!!」
 は、からかわれたと分かって怒り出した。
 あんまりにも恥ずかしい勘違いに、そしてそう勘違いするよう仕向けた凌統に、腹が立って立って仕方がない。
 ひぃひぃ苦しい息を吐きながら、凌統は目尻の涙を拭いてに向き直る。
「とりっくおあとりーとは、子供の合言葉だろ。そんなのを使う、あんたが悪いんだよ」
 そうかもしれないが、だからと言ってあんまりだ。ずっと想って、叶わないと諦めて、必死に我慢してきた自分を馬鹿にされたような気持ちになる。
「……我慢、出来なくなったんだろ。だから、あんな悪戯かまして寄越したんだろ?」
 言い返せないが、それでもこんなからかい方はあんまりだと思う。
 頬を膨らませるを腕の中に閉じ込めて、凌統はその目の奥を至近距離から覗き込む。
「だったらさ、子供の合言葉なんかじゃなくて、ちゃんと言いなよ」
「大人の合言葉を、ですか? 何て言ったらいいんです。それに、何て答えていいのかなんて、私はまったく分かりませんよ」
 誤魔化して流そうとした言葉に、そんな筈はないと首を振られる。
 必ず、絶対知っている筈だと言い張られた。
 凌統の思わぬ食い付きようにが困惑していると、凌統はやれやれと肩をすくめた。
「愛してる、だろ」
 質問も答えも同じ言葉なのに、と呆れる凌統に、は眉を吊り上げようとして、失敗して、そのまま凌統にしがみ付く。
 すすり泣くの背を撫でて、凌統は苦笑を漏らした。
 母でないなら何なのか、すぐにも分かりそうな話だった。
 それこそ二択の選択肢でしかあり得ないと言うのに。
 確かに自分は難しく考え過ぎていたのかもしれないと、凌統はしみじみ反省する。
「いい加減、泣きやめよ。そんで、一緒に祭見物に行こう、な」
 ふと視界に入った南瓜の燭台が、不器用過ぎる二人の様を嘲笑っているような気がして、凌統は思わず苦笑して返した。

 終

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