クリスマスは主イエスの誕生日を祝う日である。
 そんな建前を、真剣に奉じている人間が日本に何人いるかは知らない。精々がところ、プレゼントを贈り贈られる日、程度の認識ではなかろうか。
 が、そんな贈り物にすら気を回せる者は、ここには恐らく一人も居ないだろう。
 何故なら、日本ですらないからだ。

 本日24日は俗に言うクリスマス・イヴに当たる。
 1800年も前の中原で『イヴだ』と言うことにどれだけの意義があるかは知れないが、とにかく、クリスマスを祝おうと決まったこの魏の城内では、ただ今最後の詰めに大わらわである。
 は、色とりどりの端切れを輪っかに繋げる役を勤めていた。
 紙ではなく布なので、糸で一つずつ繋げなくてはならないのがなかなか大変だ。
 目の前に座り込んだ徐晃は、針で指を突きまくっている。
 鍛え上げた指先の皮は固くなっている為に、痛みはあまり感じないという。ほとんど血が出ないのもあって、気遣いでなく本当のことを言っているようだ。
 それにしても心配ではある。
 気になってちらちら見ていると、時折徐晃は顔を上げ、穏やかに微笑んでくれる。
 どちらが心配しているか分からない。
「あー、飽きた」
 一緒に作業に当たっていた夏侯淵が、ぽいっと輪の鎖を投げ捨てる。
 異常に長いそれは、夏侯淵の周りをとぐろを巻くようにへろりと落ちた。
 飽きたとは言いつつ、夏侯淵がこなした作業量は三人の中でもダントツだ。
 元々器用なのであろう。
「サボっていてはいけませんよ、将軍」
 しゃなりと絹擦れの音を立てながら現れたのは、張郃だ。
 鎖と共に下げる飾りを一手に引き受けていたのだが、その作業の早さは、当の張郃が抱えた箱の中で唸るきらびやかな品々が証している。
 それにしても早い。
 細工の凝りようを鑑みても、少し早過ぎるのではないかと思われる。
 不思議顔のに、張郃はおどけたように目配せを送ってきた。
「いえ、皆さんが、是非にと仰るもので」
「配下の連中にやらせたのかよ」
 ずりぃ、と言わんばかりの夏侯淵にも、張郃が怯む様子はない。
「短時間で、細かい作業を如何に分担し如何に流れるように作業をすれば能率が上がるのか。これもまた、練兵の妙技ですよ」
 良く言う、と吐き捨てる夏侯淵ではあったが、特に絡むつもりはないらしい。先程投げ捨てた鎖を拾い上げ、作業の続きに入る。
 張郃も三人の傍らに腰掛け、宣言するでなく自然に作業に加わった。
「精の出る御様子」
 酒瓶を下げて、張遼が差し入れにやって来た。
「こいつぁ有り難ぇ!」
「かたじけない」
 夏侯淵と徐晃は一様に張遼を歓待し、酒瓶に手を伸ばす。
 遮ったのは、張郃だ。
「いけませんよ、お二人とも。ながらの作業は、事故の元です」
 ねぇ、とに振るもので、は困惑しつつ頷いた。
 扱っているものがものだけに、下手に手を滑らせでもすれば被害は甚大に違いない。
「呑むなってか」
 目の前にぶら下げられた酒瓶を前に、夏侯淵は酷く不満げだ。
「そうではなく」
「一度、作業の手はお止めになるのがよろしいのではないかしら」
 たおやかな声が場に響き、甄姫が夫である曹丕を連れて現れた。
「そんなことを」
 が慌てて立ち上がる。
 曹丕は大きな盆に茶器を載せ、慣れぬ手付きで運んでいたのだった。
 が手を出し盆を受け取ると、幾分ほっとした顔を見せる。
「私がお持ちしますと、申し上げたのですけれど」
「甄には、笛より重いものを持たせるつもりはない」
 困り顔ながらどこか嬉しそうな甄姫に、曹丕はしれっとしてのろける。
 子供が産まれたら確実に笛より重かろうが、その思考は今の曹丕にはないものか。
には、御酒よりこちらの方が良いでしょう?」
「これは、至らず」
 張遼が恥じ入り、夏侯淵が気楽に励ます。
 確かに、豪傑たる二将軍ならともかく、が酒など呑んだら引っ繰り返りかねない。
 アルコール分の度数には幾許かの違いはあろうが、の居た世界とは、やはりどうも勝手が違うらしい。
 ともかく、魏国の後継ぎに女中のような真似をさせてしまったと恐縮しているに、曹丕は特に感じ入った風でもなかった。
「私がやれる仕事など、さしてないのでな」
 甄姫が柔らかく否定の言葉を差し入れるものの、曹丕は無表情なままだ。
 自虐している風でもなく、淡々としている。芯からそう思っているのだろう。
 曹丕にしては、珍しい話だ。
「今、帰ったぜ!」
 らしくない曹丕の様に微妙な空気が漂い始めたところへ、威勢のいい声が響き渡る。
 大きなもみの木を担いだ典韋と許猪が、ふうふう言いながら立っていた。
 木の大きさも尋常ではないが、これ程立派な木を二人掛かりとはいえ担いで来たのでは、如何な怪力の持ち主と言えど些少は疲れるのだろう。
「お疲れさまです」
 に労われ、典韋は鼻を掻く。
「わしか許猪、どっちか一人でも楽勝だったんだがな」
「でも、引き擦ったりしたら台無しになっちゃいますから」
 典韋と許猪の足下には少なからぬ枝葉が散らばっている。揺すられ、運ばれていく内に自然に落ちてしまうのだろう。
 引き摺らずともこれなのだから、もし引き摺って帰って来たらと想像するのも恐ろしい。
 見栄えの良いツリーに仕立てるには、なるべく原型を保たなければならないのだ。
 典韋も、自分の足下に落ちる枝葉の多さに今更ながら気付き、やや気落ちしたらしい。見る見る内に萎れていった。
「大丈夫ですよ。揺らされただけで折れてしまうような弱い枝だったら、どのみち後で切っちゃいますから」
「そうだか?」
 典韋と同じく困ったように床を見下ろしていた許猪が、心配そうにを見る。
 はにっこり笑い、改めて二人の労苦を労った。
 ツリーの本体が届いたことで、辺りは俄然賑やかになる。
 曹丕は無奏を手にすると、器用に枝を整える。
 張遼は、落ちた枝葉を集めて片付け始めた。
 典韋はツリーの足元を固めるべく用意しておいた大きな桶を取りに向かい、楽曲担当の甄姫と共に部屋を後にする。
 許猪は、無言で飛ぶ無奏の刃にも怯えることを知らぬようで、形を整えられていくもみの木をしっかり支えていた。
 夏侯淵は、器用な指先に更に磨きを掛け、徐晃の遅れを埋めていく。
 徐晃も、出来得る限りの速度で、かつ人柄を滲ませる丁寧な作業で鎖の長さを増していった。
 張郃は、出来上がった鎖に飾りを付けたりして、その見栄えを確認している。
「木を置く位置は、決まったのか」
 巨大な桶を担いだ典韋は、如何にも面倒そうな司馬懿を連れて戻ってきた。
「未だなら、早くしろ。私は忙しい」
 滅韻爪から繰り出す糸に目を付けられ、ツリーの上部を固定して欲しいと頼まれていた司馬懿は、それでも一応顔を出してきたのだった。
「忙しいか、司馬懿」
 が、木の陰に隠れていた曹丕が顔を出すと、司馬懿は突如うろたえて、意味を成さない言い訳をごにょごにょ呟く。
 まさか、居るとは思わなかったのだろう。
 クールに徹しきれない司馬懿を見て、は憎めない人だと密かに笑う。
「ここでいいんだな?」
 戻って来た典韋が例の桶を床に置き、許猪が唸り声と共にもみの木を持ち上げる。
 桶の中にもみの木の根がすっぽり入ると、ちょうど夏侯惇と龐徳が、土を仕込んだ袋を担いでやってきた。
「……もう少し、要るか」
 二人で六袋ばかりを担いできたが、さすがにこれだけ大きなもみの木を固定するには至らない。
「そんなら、おいら達が運ぶぞぅ」
 もみの木を支えていた許猪が、何の気なしに手を離す。
 途端、もみの木がぐらりと傾いだ。
「ちょ」
 の顔が青ざめる。
 もみの木は、ちょうどの方に向けて倒れようとしていた。
 許猪もまた青ざめ、倒れ行くもみをなんとか引き止めようと腕を伸ばし、失敗した。
 桶の方を支えていた典韋も、膝を折って座していた為に反応が遅れる。
 許猪の手を弾いたもみの木は、速度を上げてに襲い掛かる。
 ガッ、と、低く痛々しい音がした。
「痛っ」
 憎々しげな声が上がると同時に、許猪の手がようやくもみの木を捕らえる。
 悲鳴は、でなく司馬懿が上げたものだった。
 その指先から放たれた糸が、ほんの刹那の一瞬、もみの木の傾倒を阻止したのである。
 瞬きする間もないような、本当に一瞬の静止ではあったが、今度こそ許猪は逃さなかった。
 そしては、たくましい武人達の肩越しに、それらの動きを見届けていた。
 何度も言うが、刹那の出来事である。
 その刹那の間に、司馬懿は糸を繰り出し、典韋は腕を伸ばすことで木の勢いを殺し司馬懿を助け、許猪は木の幹を捕らえた。
 更に、張遼と龐徳は左右に分かれて得物を構え、夏侯惇はを庇ってその前に回り込んでいる。
 の背後にはいつの間にか張郃が立ち、いつでもを抱いて逃げられるように待ち受けていた。
 その後ろには弓を構える夏侯淵と、斧を突き出そうとする徐晃の姿が在る。
 曹丕のみはまったく動いてはいなかったけれど、司馬懿が複雑そうな視線を送っていることで、事の次第は大体読めた。
 恐らく、司馬懿に糸を繰り出させたのは、彼の主たる曹丕の鋭い一声だったのだろう。
 知らぬ振りをしているのか、それともそれが当然だとでも言うような堂々とした態度は、居るだけで周囲を支配する王の貫録すら伺わせるかのようだった。
 一瞬とは言え強烈な重みを受けた司馬懿の腕は、耐え難い痛みを覚えて悲鳴を上げている。
 曹丕に張り合わんとして泰然自若を装うが、そんな司馬懿の努力を曹丕は鼻にも引っ掛けない。
「医師に掛かると良い」
「……御意」
 目も合わせずに告げる曹丕に、司馬懿は圧倒されたかのように小さく頭を項垂れた。
 は周囲を固めてくれた夏侯惇らに礼を述べると、司馬懿の元に駆け寄る。
「司馬懿殿、大丈夫ですか!?」
「……えぇい、この程度のことで騒ぐな!」
 振り払われてもめげることなく、は痛めただろう司馬懿の指や手首を伺った。
 武具や袖に隠れて見えにくいが、やはり幾分か腫れているような気がする。
「痛いですか」
 泣きそうなに、司馬懿は眉を吊り上げる。
「騒ぐなと言っている。この程度の怪我、私には然したる負傷ではない」
 半ば敗北感に塗れた司馬懿であったが、己を案じて擦り寄って来るに、少しは気が晴れたらしい、常の司馬懿に戻りつつある。
 に釣られた許猪が、司馬懿の怪我の具合を見ようとまたも幹から手を離し掛け、ちょっとした騒ぎになったが、今度こそ典韋がしっかり支えて許猪を叱り飛ばしている。
 叱られても和やかな空気を醸し続ける許猪の様に、場は自然と笑いに包まれていた。
 もまた、笑う。
 しかし、その笑みの意味するところは皆のものとは少しばかり違っていた。
――良かった。
 心からそう思う。
――もみの木が駄目にならなくて、人が怪我する騒ぎにならなくて、本当に良かった。
 何故ならば。
――これで、あの人の期待に応えることが出来る。
 は、自分に聖夜の準備を命じた男の顔を思い描き、同時に沸き上がる温かな想いに、そっと胸を押さえた。

 張り出した露台から様子を伺っていた曹操は、笑い合う達を見て満足げに頷く。
 戦以外でこれ程見事な連携を見られるとは、思いも寄らなかった。
 これであれば、と思う。
「中に、お入りにはならないので」
 いつの間にか背後に詰めていた曹仁の声に、曹操は口髭を撫でる。
「……否、その必要はあるまい」
殿は、お待ちかねと存じますが」
 間髪入れない曹仁に、曹操は苦笑を浮かべた。
「何が言いたい、曹仁」
 曹仁は答えない。
 分かっているだろうと言いたげだ。
 そして、そんな曹仁の思惑は、間違ってはいなかった。
 曹操はいずれこの城を出るつもりで居る。
 城どころでなく、都を、この国を去るつもりで居た。
 己の役割を知り抜き見事に果たす様を、曹操は今眼前で見届けることが出来た。
 その形が、弱き者を守る目途で為されたとあれば、尚喜ばしい。
「されど、殿は」
「皆まで言うな、曹仁」
 曹操は苦笑を深め、曹仁は黙するよりなくなった。
「それに、がそれを望むとは、限らぬ」
 例えが曹操を望んだとして、曹操と共にする荒んだ放浪と、曹操は居らずとも都での満ち足りた生活のどちらを選ぶかは、安易に想像して答えを得られるものでもない。
「ですが」
 珍しく、曹仁が粘る。
 戦ならばともかく、曹操相手の論議は珍しい。
「もし、殿が望む、その時は」
 曹仁の言葉にその本音を垣間見て、曹操は密やかに笑った。
 けれど、それだけだった。
 雄弁な拒絶。
 ふと浮かんだ言葉はあまりにも相応しく、以外の言葉を寄せ付けない。
 曹操の心は強い。
 言葉になど表さずとも滲み出るような、そんな答えだった。
 が哀れだと、曹仁は暗く沈む。
「だが、もし今宵、それを望むのであれば」
 予想だにしなかった曹操の言葉に、曹仁ははっとして顔を上げる。
 続く言葉はなく、独白は謎めいたままに終わった。
 が聞けば理解できたかもしれないが、生憎曹仁はそこまでクリスマスに詳しい訳ではない。
 曹操は空を仰ぐ。
 灰色の雲が立ち込め、一層冷え冷えとしてきた。
 雪が降るやもしれない。
 きっとは喜ぶだろうと、曹操は静かに笑った。

  終

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