南瓜が食べたい。
「と言っても、冬至の日を勘違いしてる訳じゃないよ」
「……冬至には、餃子ではないか」
知らん、とはだらしなく寝そべったままだった。
張遼は、本音を言えばこの娘をどう扱っていいか困惑している。
助けてやったにも関わらず、君主たる曹操が気に入ったのをいいことに、日々をのんべんだらりと過ごしている。
戦に出ぬというのなら、家事に勤しんで当たり前だろう。
けれど、は家事をやることもない。それを仕方ないと疾うに諦めても居る。
は、絵を良く書いた。
墨の濃淡でよくぞこれだけと思うような、美しい絵だった。
紙は未だ高価で貴重な品だが、の絵を見たさに曹操がどんどん送り付けてくる。
興が乗れば寝食を忘れて書き続けるし、興が乗らなければ延々と寝ているか庭木の間をうろうろとしている。
何故、張遼の傍に居るのかよく分からない。
曹操の言によれば、の希望だという。
そのことを張遼は苦く思う。
曹操にその才を認められる前、は差し出すものがないと言って張遼の寝所に忍び入ってきた。世話になっている対価を払いたいと言って、裸体を晒した。
馬鹿なことをと一度は退けたものの、は恥をかかせるなと言って頑として引かなかった。
已む無く抱いた。
は処女だった。
それで自分の下に残っているのかとも思ってはみたが、が張遼に相応の責任を求めたことは、一度としてなかった。
よく分からない娘だった。
そこに来て、南瓜が食べたいという。
張遼の困惑は深まる。
「私の国だと、今頃はハロウィンと言う祭をやってる筈だから」
南瓜は、その祭に欠かせない食品なのだと言う。
聞き慣れない祭の名に、張遼は首を傾げた。
「うん、元々は、私の国の祭でもないから」
ならば、尚更分からない。
の説明を黙して待つと、根負けしたのかが口を開いた。
「……その祭はね、宗教の境なく皆で楽しめる祭なの。だから、私はハロウィンが好き」
メリークリスマスと言う挨拶がある。これも世界で幅広く支持される祭の挨拶だが、宗教色が強いのですべての国でと言う訳にはいかない。
ハロウィンは違う。トリックオアトリートの合言葉を軸に、仮装したり、子供達に菓子を振舞ったりする。皆で楽しむだけの、他愛もない祭なのだ。
そうか、と納得はするものの、だから何だと言う気も拭えない。
知ろうとすればする程、の心が読み取れなくなるようだ。
「文遠は、曹操様と私、どちらが好き?」
唐突な問いに、張遼は言葉を失った。
何を言い出すのだ。
「曹操様でなくては、駄目だよ」
張遼が答える前に、が決め付けた。
「文遠は、曹操様の武なのだから。戦に出る時も、曹操様のことだけ考えていて」
だから、あの話は断ってね。
の言う『あの話』が、恐らくは曹操の薦めによる、を嫁に迎えろという話だろうとすぐに見当が付いた。
あの娘は、お主に惚れているぞ。
勘だと前置きした曹操の言葉は、してみると外れたものらしい。
何故かがっかりしている己に気付き、張遼は複雑な心境に陥る。
「宗教って、歴史上で一番戦争の引き金になる原因らしいよ」
ぽつりとが呟く。
話は終わっていなかったらしい、張遼は慌てての話に耳を傾ける。
「だから、私は宗教は何も信じないし、大事なものも作らないの」
戦は、嫌い。
それは、曹操や張遼に対しての侮辱とも取れる言葉だった。至高の武を目指す者に、戦への嫌悪を訴えられても為し様がない。
けれど、張遼がに対して嫌悪を感じることは、不思議となかった。
酷く傷付き易い、脆い生き物に見えた。
「でも、」
の言葉はそれきりで続かない。
思い詰めたような細い眉が、張遼に何か訴えかけているようでもあった。
「貴女が」
張遼もまた、言葉を捜していた。何か言ってやりたいと思う。
たとえ、それがにとって負担になろうとも、だ。
「貴女が、私を待っていて下さるのなら」
が密かに息を飲むのが分かった。
聞きたくないと俯いたの耳は、しかし張遼の声に釘付けになっていると感じられた。
何故かは分からない。
曹操の声が、張遼の脳裏に響いた。
あの娘は、お主に惚れているぞ。
それが、真実ならば。
張遼には言葉を紡ぐ義務があった。
「……南瓜を、買い求めてこよう」
「……何それ」
我ながら訳の分からない言葉だったから、が吹き出して笑うのも極当然と思えた。
怒りは湧かなかった。代わりに、張り詰めていた気が緩んだ。
「申し訳ない」
詫びて、南瓜を買い求めに向かおうとした張遼の足を、の言葉が引き留めた。
「Happy Holiday,文遠」
「……?」
ふ、との顔が笑みに崩れた。
「好きよ」
告白し、告白したことを悔いるように固く目を閉じたの眉根が引き攣った。
「……私、未練たらしい女だから。だから、戦に行く貴方の負担には、なりたくなかったんだけど」
言っちゃった、とは苦く笑った。
聞かなかったことにしてもいい、と張遼は言い掛けた。
止めた。
「……南瓜を、買って来よう」
戻ったら、貴女は私を出迎えるように。
珍しく命令口調の張遼に、はふと首を傾げた。
「出迎えなかったら、どうするの」
張遼は黙って首を振る。
「……妻たる者、夫の帰りを出迎えて当然至極」
は驚いているようだが、張遼は足早に家を出た。
早く南瓜を買って戻って来たかったのだ。
終