最初は、よく目が合うなと気付いた。
 伏し目がちではありながら、いつも横目で見られていたのだ。
 嫌われているのかとも思ったが、彼の人柄からしてそういうことはしないように思われる。
 もしも本当に嫌っていたとしたら、恐らくは視界に入れないように努めるだろう。
 そんな風に思えた。
 ではどういうことなのだろう。
 はそんな風に感じ、そして思考の視点を変えてみることにした。
 視線が合うということは、自分も彼を見ているということだ。
 何故、彼を見るのだろう。
 しばらくは分からなかった。
 考えて考えて考えている間、やはり何度か目が合うことがあり、それを繰り返している内、ある日突然気が付いた。
 自分は彼が好きなのだ。
 だから、目で追ってしまうのだ。
 で、あれば、である。
 思考はそこで止まった。
 側の結論は出たものの、それをそのまま彼の方の結論とするのには、いささか厚顔に過ぎる。
 同じであればという思いと、違っていた場合に味わうであろう悲嘆の苦さに、は不安定な日々を過ごしていた。

 書庫に入った時、先客の影を認め、の胸は瞬時にざわめく。
 当の徐庶は、そんなに気付くと困惑したように眉を顰め、軽く一礼のみして奥へ行ってしまった。
 取り残されたの胸の鼓動は、期待とも不安とも付かない速さで脈打つ。
 眩暈を覚えて逃げ帰りたくなるが、それでは徐庶の不審を招くだろう。
 どんな形であれ、徐庶に厭われるような真似をするのは嫌だった。
 ならば、予定通りに仕事をするより他ない。
 気まずい空気を避ける為、比較的手前の書棚から目当ての書簡を探し求めることにする。
 書簡の一つは、一番上の棚にあるようだった。
 手近に置かれた梯子を掛け、昇る。
「えっと」
 棚を一覧していると、ふと、違和感を覚えた。
 何の気なしに振り返ると、いつの間にか梯子の下に徐庶が立っていた。
 やたらと驚いた顔を見せるも、すぐに逸らされてしまい、の方からはその表情が窺えなくなる。
「……梯子、使いますか?」
 初めて見る表情というだけで逸る思いを恥じながら、は努めて冷静を装い声掛ける。
「いや……」
 尻すぼみに消えていく声は、徐庶のいつもの癖のようなものだ。
 気にすまいとは思っても、ついつい不安を募らせる。
 気を取り直し、では何の用事かと問おうと体ごと振り返る。
 その勢いで、梯子に置かれた徐庶の指にの服の裾が触れた。
 ぱっと、徐庶はまるで熱いものにでも触れたかのように、大袈裟な仕草で飛び退る。
 跳び過ぎて背後の書棚にぶつかってしまい、が肩を竦める程度には耳障りな音を立てた。
「大丈夫ですか」
 急ぎ梯子から降りようとするを、徐庶は手の平で制する。
「いや、大丈夫だ。……気にせず続けてくれ。俺はもう、用は済んだから」
 とはいえ、はいそうですかと作業が続けられる訳もなく、は梯子を降り始める。
 しかし、徐庶は知らぬ素振りで、そのままに背を向けた。
 やはり嫌われているのかと胸が痛くなる。
 だが、それでは梯子の下に徐庶が居た理由が分からない。
 どういうことなのだと、の目は恨みがましく徐庶の背を追った。
 徐庶が出口の柱に手を掛けた時、その顔の線がちらりと見えた。
 唇が、わずかに動いている。
 に聞かせるような声量ではなかったから、ひとり言の類だったのだろう。
 呟いた声は本当に小さかったのだが、不思議との耳には届いていた。
――罰が当たった。
 確かに、徐庶はそう言った。
 どういう意味か量り兼ね、悩みに悩んではみたものの、該当しそうな答えは見付からない。
 は結局、本来の目的たる書簡探しに戻るしかなかった。

 ひょっとして、あれは自分に触れようとしていたのではないかと思い当たったのは、実に三日という時間が過ぎてからだった。
 もしそうだとするならば、そうだとしたら嬉しいのだが、もう少し明確に行動して欲しかったと思う。
 そうしたら、はその場で徐庶に応えてみせられたろうにと思うのだ。
 自分から動く勇気はないくせに、とも思う。
 そして、あの場で明確に行動する徐庶というものを想像することが出来ず、は更に思い悩むことになった。

 終

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