※バレンタインデーの成立が三国志の時代以降だと知らないで書いてしまったものです。時代考証にはそぐいませんが、そういうものとしてご了承下さい。



 は劉備を探し出すのが得意だ。
 蜀の誇る大徳は、君主という尊い身であるにも関わらず、隙あらば何処かへ雲隠れしてしまう悪い癖を持っていた。
 昔はこうしてよく出歩いていたものだと、本人は至って平然としたものだが、いきなり雲隠れされる側としては気が気ではない。
 そこで、が劉備専用の探索方としての任に就くことになったのだ。
 ただでさえ忙しい職務の他にそんな仕事まで任されて、しかしは苛立つこともなく謹んで新しい任を拝命した。
 一口に拝命と言っても、これがなかなかに厄介な仕事なのである。
 どんなに処理すべき書簡が溜まっていても、練兵の最中であろうとも、劉備が居ないとなればが借り出される。
 予定外に、しかも突然別件の仕事が入るのだから、回数が重なればどうしても腹立たしくなるのが理だ。
 実際、も眉を寄せたり唇を噛んだりと、内心少しばかり腹立たしそうな表情を見せることもある。
 口では何も言わないが、君主以上に温厚なとて、いつか堪忍袋の緒を切るに違いないと専らの評判なのだった。

「劉備様」
 この日も、城を抜け出して野っ原に寝転んでいる劉備を、が目敏く見つけ出していた。
「あぁ、見つかってしまった」
 悪びれない劉備は、を手招いて隣に腰掛けさせる。
 は苦笑いしながら、失礼してと腰を下ろした。
「丞相殿が、お怒りですよ。途中で抜け出されるとは、何と言うことかと」
「それは困ったな。帰るのが嫌になる」
 にこにこと笑う顔を崩しもせずに言うもので、ちっとも困っているようには見えない。
 その顔がまた、憎めない、無邪気な顔なのだ。
 諸葛亮が怒るのは、執務をサボることよりも、むしろこうして人を丸め込む術に長けているところに対してではないかとさえ思える。
 冬だというのに、小春日和の温かな日だった。
 風は冷たかったが、劉備のように草叢に寝転んでいればそう寒くもない。
 草のざわめきが、穏やかな波を思わせて落ち着いた。
「……劉備様は、どうして私に居場所を明かして下さるのです」
 劉備を探し出すのが得意だと言われるだったが、本当は違う。
 他ならぬ劉備自身が、にのみ手掛かりを残していくのだ。
 例えば前日、『南の野原で寝転んでいたら気持ち良さそうだ』と一人言を言ってみせたり、『山葡萄が食べたい』等と強請ったりするのである。
 はただ、その言葉を頼りに劉備を捜しているに過ぎない。
 寝転がるのに適当な地形を探せば良し、以前共に山葡萄を摘んだ山中に踏み入れば良し。
 当てさえあれば、探し出すのはそう難しいことではない。
 人には何となく言えずに居たのだが、はそのことをずっと不思議に感じていた。
 けれど劉備は、の問いに目で笑うだけだった。
 あまりきつく叱らないからだろうか、となりに想像する。
 他の武将や文官が探し出せば、お小言や愚痴の一つも零すに違いない。
 は、ただ劉備を迎えに来るだけだ。誰某が怒っている、困っている、お戻り下さいと言うぐらいで、叱りもしないし愚痴も零さない。
 劉備も、抜け出すことに多少の後ろめたさを感じているのかもしれない。
 矢も盾も溜まらず抜け出してしまうものの、部下が迎えに来れば先程挙げたように口うるさいし、義弟が迎えに来ればもっと遊ぼうとなどと甘い誘惑を掛けてくるしで、それでちょうどいい塩梅のに迎えに越させるように仕向けるのかと考える。
 沈思に耽っている間に、適当に時間が過ぎていた。
 もう良いだろうと頃合を見て立ち上がる。
 常ならば、それで諦めたように腰を上げる劉備が、今日に限っては動こうとしなかった。
 おや、といぶかしく振り返ると、劉備はまたおいでおいでとを手招く。
 初めてのことに戸惑い、仕方なく腰を下ろしたに、劉備は懐から金の腕輪を取り出した。
「そなたに」
 見るからに高価な品に、は仰け反ってしまった。
 心よりも、まず臣下としての倫理が反応した。
 何の手柄もなしにこんな物は受け取れない。
 後ろに下がろうとするを、劉備の腕が引き止めた。
「今日がどんな日か、そなたは知っているか?」
 知らない。
 立春は過ぎたが雨水には未だ早い。
 が首を傾げると、劉備は得意げに微笑んだ。
「異国の風習で、大切な人に贈り物を贈る日だと言う。だから、そなたにこれを贈りたいのだ」
 嫌でなければ受け取って欲しいと言われ、に断る術はなかった。
 期待しなければいい。
 大切な部下なのだと、いつも世話になる礼だと取ろう。
 喚くような鼓動を恥らいながら黙して押し頂くと、劉備は何か期待したようにを見詰めている。
「……何か、訊いてはくれないのか。どうして私がそれを選んだとか、……何故そなたにそれを贈るのか、とか」
 訊きたい。
 だが、それを聞けば何かが決定的に変わってしまうような気がした。
 今考えたことをもし劉備から肯定されれば、は二度と立ち直れなくなるような気さえしていた。
 自分でそうだと決め付けておきながら立ち直れなくなるなんて、我ながら馬鹿なことを考えている。
 腕輪を見詰めたまま口を閉ざすに、劉備は悪戯っぽく微笑んだ。
「では、私が言おう」
 驚き顔を上げたが遮るより早く、劉備は高らかに宣言した。
「私がそなたを愛しているからだ。そなたを、他の誰にも渡したくはない。これはそなたが私のものだという、目印のようなものなのだ」
「な」
 何と言うことを言い出すのだと、は目を白黒とさせた。
 悪ふざけにも程がある。
 嬉しいと思う気持ちを必死に仕舞い込もうと黙りこくれば、顔が真っ赤になってしまう。
 そんなに、劉備は笑う。
「……そういう日なのだ、今日は」
 本気なのか冗談なのか、には判断が付かない。
 劉備はの手を取ると、その手首に腕輪を嵌めてしまった。
 金の環は、まるであつらえたようにぴったりとに馴染む。
「お前に、私を追わせたかった」
 そう言って立ち上がり、背を向ける劉備を、はしばらく呆然として見送る。
 はっと我に返って慌てて追い掛けながら、それが先程の問いの返事であるとようやく気が付いた。
「これからも、私を追ってくれるか?」
 追いついたに、劉備が笑って問い掛ける。
 またも足を止めてしまったの耳に、劉備の笑い声が爽らかに響き渡っていった。

  終

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