孫尚香が去ってから後、劉備の衰弱振りは傍から見ていて痛々しいほどだった。
 兵士や民の前では、いつもの柔和な相貌で穏やかに微笑んでみせる。
 だからこそ、ふと見せる翳りの深さが哀しいほど暗く、底知れなかった。

 は劉備付きの女官である。
 男では気の回らない、細々とした身の回りの世話をするのが常だった。
 差し出がましい口は聞いたことがない。それどころか、最低限の受け答え以外はほとんど口を聞いたこともなく、どちらかと言えば陰気な女と囁かれていた。
 仕事だけはきちんとしている。どの女官よりもきめ細かな、細部に渡っての心配りを劉備も、そして尚香も愛した。
 寡黙は罪ではない。ただ小雀のようにかしましいより、使用人の分を弁え、主に尽くす様は美しいと言って、二人はよくを誉めた。
 は黙礼をもって応えたが、口元に微笑を浮かべてみせることもなかった。
 尚香が蜀を去った時、お気に入りのも連れて行くだろうと思われていた。実際、は呉への帰路に同行して欲しいと懇願されていた。尚香は、劉備を良く知るを連れ帰ることで、劉備の忘れ形見としたかったのだろう。
 は、自分は行かない、とだけ尚香に告げ、ただ一言を以って同行を諦めさせた。一度決めたら梃子でも動かぬ性分だと見抜かれていたから、尚香もとうとう諦めた。
 劉備と尚香の別れは、哀しい別れだった。
 策略を装ってはいたが、それは見せかけに過ぎなかった。
 劉備の嫡男である阿斗を攫おうとした、その事実をして尚香は蜀の民と決別した。
 美しく、大らかな気性の尚香は、蜀の民には愛されていたはずだった。今や彼女の美徳はすべてかき消され、無駄遣いの激しい浪費家、女だてらに生意気に武具など振り回し、我侭放題だった呉のじゃじゃ馬と揶揄されるようになった。
 当人同士が納得してのことだったとしても、劉備が尚香の陰口に涙していたのは間違いなかった。
 決して誰にも見せずにはいたけれど、は牀の敷布や陶の枕が時折濡れていたのを知っている。
 このままでは、壊れてしまう。
 身近な者ならば皆、同じような危うさを劉備に感じ取っていたに違いない。

「……香を、変えたのか」
 ここしばらくにしては珍しく、劉備がに声がけた。
 はいつものように、はい、とだけ静かに答えた。
「そうか」
 くゆる煙を、劉備の目はじっと見つめている。
 親の敵を見つめるかのように峻厳な目付きに、もまた珍しく劉備を見据えた。
 目が、やや白けたように見えた。
 劉備の心臓がどきりと跳ねる。
 苛立ちを感じた。
 に対しては、初めての感情だった。
 慌てて視線を外し、白い敷布に目を落とす。
 広い寝台には、尚香の姿は当たり前だが、ない。
 狂おしいような寂寥感に、劉備は目を細めた。
「……、香を、いつものものに変えてもらえぬか……」
 尚香が居た時に、共に薫った緩い甘さを伴った香が、無性に嗅ぎたくなった。
 香が変わったことで、寝室の香にすら尚香との思い出が詰まっているのだと、改めて思い知らされた。
「切らしてございます」
 あっさりと言い捨てると、はご容赦下さいませ、と頭を下げて室を去ろうとする。
 ないとあれば、尚欲しいと欲するのが人の心の不思議さだろう。
「……如何にかならぬか、僅かでも良いのだ」
 縋るような劉備の声に、は歩みを止めて振り返った。
「童のようなことを」
 劉備の頭の中で、何かが爆発した。
 他愛のないことである。
 だからこそ尚、度し難い奔流と化した。
「何とかいたせ」
 劉備が掴みかかろうとするのを、は邪険に振り払った。
「ないものはございませぬ、いい加減に我侭はお控え下さいませ」
 我侭。
 劉備の心に、重く太い楔が突き刺さった。
 たかが香如きすら、思うようにならぬ。
 尚香も。
 私の妻であったと言うのに、己と添い遂げることも許されず、呉に帰してしまった。
 がっくりと項垂れる劉備の口から、尚香、と未だに愛しい妻の名が零れた。
「……そんなに未練にお思いでしたら、お帰しにならなければよろしかったのに」
 ぽつり、と落とされた言葉は、今度こそ劉備から自制心を奪った。
 の手首を掴むと、床に引き摺り倒す。
 間髪入れずに馬乗りになり、の喉に手を掛けた。
 は、静かに劉備を見上げた。
 侮蔑の目だった。
「殺すのですか、犯すのですか。どちらでもよろしゅうございます、けれど、お出来になるのですか」
 黙れ、と猛悪に唸る劉備は、その手に力を篭めた。
 白い喉に指がくっと沈み、の唇から苦しげな吐息が吐かれた。
 赤い舌が膨らみ、震えるのが見え、劉備ははっと我に返った。
 手から、力が抜けた。
 は、反射的に床に伏して激しくむせた。
 床に倒され、捻った拍子に襟や裾が乱れ、隠されていた白い肌がびくびくと蠢いていた。
 劉備は、のろのろと身を起こすと、再びの体に覆い被さった。

 尚香は生娘だった。
 性の恐怖を快楽へと転じさせたのは、劉備である。
 優しく抱いてやった。何も知らずに怯えるのを、緩く抱き締め、撫で摩り、大事に大事に愛おしんできた。
 大切にし過ぎたのだろうか。
 だから、去っていってしまったのだろうか。
 もっと激しく、それこそ虜にしてしまえば、尚香が去ることもなかったのだろうか。
 愛していたからこそ生きていて欲しいと願ったひとが、去り際に哀しげに劉備を見つめていたのは、愛していたなら命を奪って欲しかったと言う痛恨の願いを伝えたかったからではないだろうか。
 もう、何もかもが遅い。
 身の内で荒れ狂うやるせなさは、目の前に置かれた贄で晴らすしかない。
 の体は柔らかだった。尚香の弾き返すようなしなやかさとはまったく違う感触だった。
 尚香が頑なな蕾だとすれば、は花弁を開き香る花だった。
 大振りな胸乳に手を這わせれば、引き結んだ唇からわずかに吐息が漏れ、眉根がきゅっと寄った。
 痛みを耐えるような表情に、暗い愉悦が湧く。
 いつまで耐えられるのか、耐えられるものなら耐えてみるがいい。
 恐る恐る尚香に触れていた指は、それが偽りだったと言うように大胆にの肌を這った。指の後を追いかけるように、舌もまた、の肌の上を踊るように滑った。
 胸乳の先端は固く尖り、劉備は飴玉を転がすように何度も舐めては吸った。
 這いずって逃げようとする腰を掴んでは戻し、掴んでは戻しを繰り返し、執拗に愛撫を繰り返す。
「逃げられぬようにしてやろう」
 劉備の舌が、の下腹部から濡れ始めた秘裂へと這う。
 ここに来て初めて、は短く悲鳴を上げた。
「……そなたでも、そのような声を上げることがあるのか」
 愉しげに笑う劉備に、は困惑したような目を向けた。
「そなたは、男など知らぬと思っていたが、そのようなこともないのだな」
 劉備の指は既に二本、の中に侵入しており、狭さを感じる以外は何の抵抗もなく飲み込まれている。出し入れするたびに指が水音を立て、引き抜く勢いで愛液が床に飛び散った。
 は何も答えない。痛みに耐えるように唇を噛み締め、劉備の為すがままになっていた。
 ふと、劉備がを見上げる。
 その目に暗い光を見出し、は無意識に逃げ出そうと半身を反した。
 劉備の手がの髷を掴み、引き摺る。
 悲鳴を上げ身を反らすの口元に、劉備の猛りが押し当てられた。
「噛んではならぬぞ」
 何事もなく、ただ命じる劉備に、は涙を浮かべた。
 震える舌が、おずおずと劉備のものに這う。
 何時までも緩いままの愛撫に、焦れた劉備はの口の中に己のものを無理やり挿入した。
 頭を押さえつけ、腰を前後に振ると、の唇から唾液が零れた。
 苦しさから抗おうとするのだが、劉備は細腕に似合わぬ力強さでを蹂躙する。
 やがて、短く呻き声を上げた劉備から白濁の液が注ぎ込まれた。
 口の中で跳ね上がるものが勢いで飛び出し、の顔にも残滓を降り注ぐ。
 いや、とが劉備を押し退け、室の外へと逃げようとする。
 劉備は即座に後を追い、を窓枠に追い詰めた。
 窓から逃れようと枠を掴むを、後ろから羽交い絞めにするようにして抱き伏せ、指を秘裂へと滑らせる。
 背後から露になった耳朶を含み、舐め上げるとの力が抜け、劉備の胸の中にすっぽりと納まった。
 の指は、未だに窓枠に取り縋っており、劉備から逃れたいと言うの心の内を示しているかのようだった。
 逃さぬ。
 もう、逃してなどやらぬ。
 劉備はに、そのまま、とだけ告げると、立ったままを貫いた。
 悲鳴が上がる。
 がくがくと揺れる膝は、力を失って床へと落ちようとする。だが、そうすることで劉備の高ぶりは尚深くを貫き、抉られる感触にはわずかながら再び体を浮かせる。
 自ら挿入を強請って腰を揺らめかせているとも取れて、劉備はに思うままを伝えた。
 羞恥からか、それとも恥辱からかは必死に否定をする。
 けれど、腰の揺らめきは激しくなるばかりで、の声は押し留められずに劉備の耳を心地よく打った。
 陰核を擦り上げるようにしながら腰を突き入れると、中に納まっている肉がの中を引っ掻き回す。
「悦いのだろう、
 尻が打ち付けられて甲高い音を立てる。
 息も絶え絶えになってきたは、ただ首を振って否定する。
「そうか」
 突いてくる角度が急激に変わり、は悲鳴を上げた。
「……悦いだろう、?」
 が背後の劉備を振り返る。
 責めるような眼差しは、涙で彩られて悲惨と言うよりは卑猥に過ぎた。
「そなたが正直に申すまで、私もこの責めの手を止めはすまい」
 緩く浅く突いていたかと思えば、深く強く抉られる。
 の吐息は喘ぎと化していた。
 拒絶していたはずの秘裂は、熱く膿んだようになって劉備の猛りのもたらす快楽に震えている。
「あ、あ……」
 わなわなと震える唇が、何か言いたげに開いては閉じる。
 頃合を見て、劉備は一際強くの中に押し入った。
 そして動きを止める。
「あぁっ、いやっ!」
 一切の動きを止めることで、の中がうねって劉備のものを締め付けているのがよく分かる。
 は、自ら動くのは躊躇われ、けれどあと一歩で辿り着く頂点に届かぬもどかしさに体を震わせた。
 劉備が、そっと耳打ちする。

 ぴくん、と震える赤く染まった背中に、劉備は汗で濡れた胸をぴちゃりと押し付けた。
「悦いか」
 躊躇い、震える肌がしばらく沈黙し、やがて小さくはい、と声がした。
「悦いのだな?」
「……悦い……です……」
 劉備は未だに動かない。自然に揺らめく腰は、却って悦の物足りなさを煽るばかりだった。
「……悦い……悦いです、劉備様……お願いいたしますから……!」
 窓枠を掴んでいた指が滑り落ち、体を曲げると劉備の腰に尻を押し付ける形になる。中にある劉備の肉を擦り、双方に緩やかな悦を与えた。
 しかし、劉備は動かない。
「……あ、あぁ……お願い……動いて、突いて下さい!」
 の哀願に、劉備は口の端を歪めて笑った。
 途端に激しく突き込まれる腰使いに、は今まで耐えていたのが嘘のように啼き喚き始めた。
「あ、熱くて……硬い……すごい、奥まで……あああっ!」
 朦朧として口走る猥言を、が意識しているとは思えない。が、劉備の熱を煽るには十分だった。
 突然動きが止まり、劉備の口から呻き声が漏れる。
「いやっ、熱い……!」
 きゅっと締め付ける膣壁に、何もかもを剥ぎ取られそうな感覚に陥る。
 力が緩み、二人ともその場に崩れ落ちる。
 繋がっていた肉もまた、滑る液に塗れて外れ離れた。
 荒く息を継ぐ内に、劉備は徐々に理性を取り戻す。
――わ、私は何ということを……これでは、獣と何ら変わらぬではないか……!
 己の内に潜んでいた残虐と向き合い、劉備は寒さに凍えるように身を震わせた。
 うずくまったまま顔も上げずにいるに、劉備は恐る恐る近付き、……そして気がついた。
 の指が股間に伸びて、白濁した液に塗れさせながらも戯れに蠢いていた。
 紅潮した頬に悦の涙が雫となって零れ、理性の欠片も感じられない混濁した瞳は、底知れぬ深い淵を思わせる。
 朱色の唇を尚赤い舌がちろりと舐め上げ、熱い吐息を零し続けた。
 指が押し込まれている。その薄桃の爪先が姿を隠すたび、中に満ちているのだろう白濁の汚穢を抉り出す。
 目が合った。
 の唇が、劉備の字を象り、誘う。
 生唾が、知らず内に溢れてしまい、思わず飲み込んだ。
 劉備がその膝を割り、勢いを取り戻した猛りを指の上から押し当てる。
 は自ら大きく足を広げ、劉備に多大な期待の篭った眼差しを向けた。

 扉の外にも、の艶めいた啼き声が聞こえる。
「……これで、本当に良かったのでしょうか」
 俯いた趙雲の眼差しは、何処か暗かった。
「ええ、無論。自身が望んだことでもあります」
 白い羽扇をゆるりと仰ぎながら、諸葛亮は無表情に扉を見つめた。
 を仕込んだのは趙雲であり、段取りを設定したのは諸葛亮だった。
「あのまま殿を放っておけば、いずれ心が死んでしまう……蜀の、殿の天下の為には、その心を快楽で埋めるしか手がありませんでした」
 尚香との夫婦関係の中で、唯一劉備が不満であったろう閨の性。それを利用するしか、方法は思いつかなかった。それには贄となる女が必要だった。劉備を愛し、その為なら命は元より貞節も純潔も未来すらも投げ出す覚悟を持つ女が、どうしても必要なのだった。
「……あの薬は、飲んだ者には劇薬と化す。それを承知で、軍師殿、貴方は……!」
 堪えきれずに詰るような趙雲の言葉に、諸葛亮は初めて凄惨な胸の内を表情に垣間見せた。
「しかし、飲めば無上の快楽を与える媚薬となります。効果は、相手にも同様の快楽を伝えるほどの強力さ。香に含んだ萱草の効能など、取るに足りません」
 死が確実だからこそ、悦も確実になるのだ。諸葛亮はそう嘯いた。
「しかし」
「……どちらにせよ、以外に殿をお慰めできる女はもう居りますまい」
 話はこれきりだと言うように、諸葛亮は踵を返し、立ち去った。
 趙雲は眉間に皺を寄せ、諸葛亮を見送った。
 掌の内側に、爪がぎりぎりと食い込み、その肌を裂かんばかりだった。

 もし、この媚薬を持ち込んだのが私ではなくだと知ったら、趙雲殿、貴方はを止めてしまうでしょう。あまりに憐れだと、己の衝動のままに。
 ですが、本当に憐れだと思うのなら、どうかの気が済むようにしてやって欲しいのです。
 あの娘は、薬で命を落とすことがなくとも、劉備が元に戻った暁には身を隠して密かに死ぬのだと私に打ち明けたのですよ。子を宿して、この蜀を騒がせるようなことがあってはならぬと、そうでなくとも身分不相応の己が劉備の大望の妨げになってはならぬと、そこまであの方を想っておられるのですよ。
 ですから、どうか、あの娘を止めずに置いて欲しい。
 その為に、私は如何なる泥水をも被る覚悟を決めたのですから。
 あの娘に請われて、そう決めたのですから。

 真実を秘めたまま殉じる覚悟など、疾うに決めているのだ。
 劉備の大徳故に。


  終

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