日本では未だ馴染みの薄い感の強いハロウィンだが、某遊園地がシーズンテーマとして大々的にCMを流したり、浮かれた異邦人の醜態が新聞などで取り沙汰されたりと、良くも悪くも知名度を上げているようだ。
 TEAM魏でも、ありきたりな秋のビジネススーツにも遊び心をと、デザインにハロウィンのモチーフを取り入れていた。
 堅い印象の強いビジネススーツだが、遊べる箇所はそれなりある。
 ネクタイやハンカチ、カフスやボタンなど、さりげなく余裕を組み込む大人のお洒落を楽しむのに、ハロウィンは打って付けの行事と言えた。
 デザインチーフの張郃など、宣伝と称して半ば仮装状態で出社している。
 かくいうも隠れハロウィンファンであり、特に何をするでなくとも祭の雰囲気を楽しんできた。
 今年は仕事でも取り上げていることもあって、初心者ながらパンプキンパイ作りに挑戦してみた。
 それなり食べられる味にはなっただろうということで、試食がてら職場に持ち込む。
 物堅いTEAMの雰囲気もあって、デスクで物を食べることに抵抗がある人も居そうだ。その為にと、あらかじめお持ち帰りも出来るようにと小さなギフトボックスも用意している。
 そんな細かい気遣いも功を奏してか、の作ったパンプキンパイは大いに好評を博し、お代わりをねだる者も出る程だった。
 だが、それが却って良くなかった。
 絶賛されたことについつい浮かれてしまい、いつもは遠巻きに見ていただけの曹丕にまでパイを勧めてしまったのだ。
 に声掛けられた曹丕は、不機嫌を露にじろりとを睨め付けた。
「何だ、これは」
 白いギフトボックスを見る目も冷たい。
 調子に乗って触れてはならぬものに触れてしまったことに気が付いたが、あまりに遅過ぎた。
「あの……パンプキンパイなんですが……」
 取り繕うように答えるが、曹丕の表情に変化はない。
「要らん」
 簡潔な言葉は、それだけに強烈にを打ちのめした。
 言い訳もフォローもしようがなくなって、は一礼して下がる。
 曹丕は数瞬を睨め付けるように見ていたが、踵を返して常務室へ向かった。
 その後を早足で追う甄姫が、を見て微かに笑う。
 追い打ちを掛けられて落ち込むを、同僚達はそれとなく慰めてくれた。
「常務、お坊っちゃん育ちだから食わず嫌いなのかもよ」
「そうだよね、食べたら美味しいって分かるのにね」
 優しい気遣いに感謝しながら、はよろよろとデスクに戻った。

 帰り際に食事でもと誘ってもらったが、今日は真っ直ぐ帰ることにした。
 の気持ちは周りの者にばれていることが分かっていたから、気遣い自体は有り難くとも、何とはなしに鼻に付いてしまうのだ。
 己の僻みっぽさに辟易しながらとぼとぼ歩いている内、会社に忘れ物をしたことを思い出した。
 どうしようかと迷うが、明日から三連休になる。休み明けにはもう駄目になっているだろうし、ゴミ箱に捨ててあるのを誰かに見られるのも疎ましい。
 悩みはしたが、結局取りに戻ることにした。

 時間を空けて戻ったのもあって、フロアに人気はなかった。
 元から残業を厭う傾向の強いTEAMなのが幸いした。
 みっともないとこを見られないで済む、とは自然小走りになる。
 冷蔵庫に直行して扉を開くと、烏龍茶や頂き物の菓子箱の奥に押し込まれた白い箱が見えた。
 ほっとしたような、無性に寂しいような気持ちになって、そっと箱を摘み出す。
 冷蔵庫の扉を閉めると、押し出された冷気がひんやりとした風になって吹き付けた。
 どうぞと曹丕に声掛けたのは、世話になっている上司だからと言うだけではなかったと思う。異性として好意を抱いていたからには、これをきっかけに何か進展をという下心がなかったとは言い切れず、だからこそ余計にあからさまな拒絶が恥ずかしかった。
 身の程知らずの自分が情けなく、時が戻るのならばあの時間まで戻ってやり直したい。
 肩を落として落ち込んでいたので、背後に立つ人の気配に気が付けなかった。
「何をしている」
 はっとして振り返れば、いつの間にか曹丕がフロアに立って居た。
 驚いた拍子に手が滑り、ギフトボックスを落としてしまう。
 慌てるより先に、曹丕がひしゃげた箱を拾い上げていた。
「あ」
 そのまま背を向けようとする曹丕に、は思わず声を上げた。
「何だ」
 曹丕は足を止めたが、も何と言っていいものか分からない。
「あの……それ、パンプキンパイですけど……」
 意味ないことを言ってしまう。
 だが、曹丕もある意味、以上に意味不明な答えを返してきた。
「私に寄越したものではなかったのか」
 それはそうだが、どうぞと勧めた際に要らぬと拒絶したのは曹丕の方だ。
 どうして今更と困惑するに、曹丕は不意に問い掛ける。
「Trick or Treat?」
「は?」
 素に戻った顔を隠さないに、曹丕は呆れているようだ。
「ハロウィンなのだろう」
 それはそうなのだが、やはり前後の会話に繋がりが見い出せない。
 ハロウィンだからはパンプキンパイを作ってきた訳で、一度はそれを要らないと言った曹丕が、何故今になって『ハロウィンだから』もらうと言い出すのだろう。
 答えは、が考えているよりもずっと簡単なものだった。
「……今日がハロウィンであることを、失念していたのでな」
 ようやくも理解した。
 月末の週末というただでさえ忙しい繁忙日に、小さいながらも改まった感の多々あるギフトボックスを差し出されて、戸惑いや疑惑を覚えてしまったのだろう。
 考えてもその理由が思い当らなかった結果、が何事か勘違いしていると断じた、または、就業中にさぼっていると受け止め、不謹慎だと気を悪くしたのやもしれない。
 でなければ、ひょっとして、中身の確認ではなく意図の確認のつもりで『何だ』と尋ねたものに対し、『パンプキンパイだ』などとずれた返答をすれば、曹丕ならずとも些少は腹立たしくもなろう。
 どれが正解とも言い切れなかったが、この場で曹丕に訊ねても答えてくれそうにない。
 少なくとも『Trick or Treat』の合言葉で『このパイが欲しい』と意思表示してくれたのは確かなのだから、有難く(?)もらっていただくことにした。
 曹丕から譲歩してくれたのだから、一部複合、あるいは全部かも、と考えて流して終わりにしよう。
 黙ったままで思考に耽るに何か感じたのか、曹丕は今日がハロウィンであることを甄姫から聞き及んだことも教えてくれた。
 パイが冷蔵庫に仕舞ってあるのもわざわざ確認して曹丕に教えてくれたそうで、それで帰り際取りに寄ったところにと鉢合わせたのだという。
 そうなると、あの甄姫の笑みも嘲笑ではなく苦笑だったのかもしれないと思えるようになった。
 甄姫は曹丕第一主義だから、あの場で今日がハロウィンであることを指摘して、曹丕に恥を掻かせるのは嫌だったのだろう。
 それに、曹丕は仕事で取り扱っているようなことを『馴染みがないから』『忙しいから』忘れていた、で済ませられる卑小なプライドの持ち主ではない。
 下手な指摘は何かと後の業務に差し支えようから、後回しにしたのだろう。
 すべてがすれ違いと誤解の産物だったと分かって、は改めて自分の僻みっぽさを恥じた。
 赤面して頭を下げる。
「すみません」
「……何を詫びる」
 要するに、が最初に『ハロウィン』の一言を付け加えなかったからこんな騒ぎになったのだ。
 あの時、『ハロウィンなので』どうぞ、と言えていれば、誰にも迷惑掛けることなく話が収まっていた筈だった。
 正直に告白して、だから謝らせて下さいと今一度頭を下げると、曹丕の眉間に皺が寄る。
「お前の理屈で行けば、私がハロウィンを忘れていたことこそが元凶と取れる」
 いやそんな、と冷や汗を流すも、確かにその考え方も絶対ないとは言い切れない。
 曹丕がハロウィンを忘れていなければ、パンプキンパイだと言われた時点であぁ今日はハロウィンか、それでかと思い当っていた筈だった。
 イヤでも、だけどとうんうん悩み始めたに、曹丕は呆れたように小さな溜息を吐いた。
「……もういい。それより、この後時間はあるか」
 誘いは断っていたし、直行で帰宅しようと思っていたくらいだから有り余っている。
「では、これの礼に何か食わせてやろう」
「え」
 白い箱を小刻みに揺らす曹丕に、は動揺してうろたえた。
 そんな大したものではない。手作りの、しかも初めて作った味の保証も出来ない品だ。美味しいと言ってくれた人は多かったが、普段から舌が肥えている曹丕も同じ感想を抱くとは限らない。
 それに、先程床に落としてしまったから、恐らく中身も潰れているに違いなかった。
 そんなものに礼をしてもらっては、却って申し訳がない。
「い、いいですよ、ホントに、そんな大したものじゃないし、私、今日別にお洒落もしてないし」
 泡食って自分でも何を言っているか分からない。
 あたふたするを尻目に、曹丕はすたすたと歩き出した。
 が、が付いて来ないと見るや、顔だけ向けて冷たい視線で促す。
 本当は嫌々なんじゃないだろうかと怯むも、ここまで催促されて逆らう訳にもいかなかった。
 大急ぎで駆け付けてきたに満足したのか、曹丕は何事もなかったかのように再び歩き出す。
 ふと気が付いた。
 常は居高にすたすたと歩く曹丕が、今は、戸惑うに合わせるような、ゆったりとした足取りで歩いている。
 自分に合わせてくれているのだろうか。
 それだけのことに、何故かどきっとした。
――お調子者、浮かれて勘違いして失敗したのはついさっきだって言うのに、学習しないんだから。
 懸命に自分を叱咤するも、緩む口元は抑えられなかった。
 叶わぬ恋でも、一夜きりの話でも、憧れの人との思い出が作れる。
 ないとあるでは大違いで、それはとても幸せなことだと思った。
 エレベータホールの前まで来ると、曹丕が振り返る。
「……言っておくが、ハロウィンのフェアをしている店は行かんぞ」
「え、あ、はい……?」
 唐突な宣言を受けて不思議顔を見せるに、曹丕は簡易に説明を添える。
 曹丕は、南瓜が好きではないそうだ。
 新たな事実に、と曹丕はまたも盛大に揉め出した。
 パイを取り返そうと暴れるを避けて、白いギフトボックスは高々と掲げられゆらゆら揺れる。
「ホントに、好きじゃないんなら無理して食べなくていいんですからっ!」
「好きではないだけだ、食べられなくはない」
 だったら、だからと言い争いながら、到着したエレベーターに乗り込む。
 もしも誰かが見ていたら、あの曹丕が僅かながらに笑っていることに気付き、驚いたことだろう。
 傍から見れば痴話喧嘩とも取られそうな二人の姿は、厚手の扉に挟まれ会話ごと掻き消された。

 終

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