何かを贈るというだけなのに、それはもう一苦労だった。
 船の目的を考慮すれば、あまり大きいもの、かさばるものは遠慮せねばならず、そもそもが何を贈られれば喜ぶのかと言うことも、馬超には測りかねた。
「……いっそ、俺が」
「駄目です」
 瞬殺される勢いで却下され、馬超は不貞腐れて卓に顎を乗せた。
 馬岱は溜息を吐き、代案を口にする。
「……簪とか腕輪などでは駄目なのですか」
 は、いつも指輪を一つ二つ身に着けていた。馬岱は、その形もよく覚えている。の趣味に合いそうな装飾なら、幾つか心当たりがあった。
「駄目だ」
 しかし、何故か馬超は馬岱の案に反対する。
 理由はしかとはわからないのだが、が喜ばないと半ば確信しているようでもあった。
 確かに、は出されたものは素直に喜んで受け取るし、美味しいものにも目がない。だが、馬超が望むような、目を輝かせて打ち震えるほど喜ぶようなものとなると、想像しようもなかった。
 馬岱自身とて、自分が何を贈られたらそこまで感動できるか考えても、ぱっとは思いつかない。
 突然馬超は起き上がり、行く先も言わずに出て行こうとする。
 馬岱が後を追いかけ、行き先を訪ねるといいから室にいろと邪険に扱われ、追い払われた。
 こういう時の馬超には、何を言っても無駄なのだ。
 仕方なく、室で竹簡の束などを片付けていると、程なくして馬超が戻ってきた。
 やたらと機嫌がいい。
 何か嫌な予感を覚え、恐る恐る伺うと、馬超は胸を張り自慢げに話し出した。
に贈るものを決めてきた」
「……はぁ、それはよろしゅうございました……で、一体何を」
 蜀の商人達が、これならばと太鼓判を押して持ち込んだ幾多の品々の中でも、馬超のお眼鏡に適うものは一つもなかったのである。
 予感は的中した。
の侍女だ」
 馬超の笑みは深くなる。
 惚れ惚れとしたくなるような笑みに、しかし馬岱は誤魔化されなかった。
「……は? 殿の……あの、春花と言う女の子を、ですか?」
「うむ、あれなら小さいし、それほどかさばりもすまい?」
 それはあくまで大人の大きさに比してと言うだけで、小さいとは言い難いのではないか。まして、生きているのだから食事もしようし病もしよう。
 呆れ返った顔を隠さない馬岱に、馬超は赤面して眉を吊り上げた。
「何だ、その顔は。諸葛亮殿の許可は取り付けてきたぞ。文句はあるまい!」
 諸葛亮が許可したと聞き及び、馬岱は眉を顰めた。
 常識は弁えている筈の諸葛亮が、馬超のとんでもない申し出をよく承認したものだ。
 馬超は、最初は渋っていたがな、と自慢げに話しているが、諸葛亮が駄目と言ったら駄目に決
まっている。うかうかと乗せられたに違いない。
 だが、諸葛亮が馬超を乗せる理由は何だ。
 馬超に貸しを作る。それだけとは、どうしても思えなかった。
「……まぁ、いいですけどね、従兄上」
 考えても諸葛亮の意図は読めず、現実的な馬岱は片付けられるところから手をつけようと思索から立ち返った。
「春花殿には了解を得てあるのでしょうね。ご家族にも、当然話は通してあると、そう思ってよろしいですね?」
 馬超の顔から笑みが消える。
 あぁ、やはり。
 馬岱は頭を抱えた。
「……わかりました、私が春花殿とその家族に交渉してみましょう。従兄上は、そう、殿にあてて文でも書かれたら如何ですか」
 馬岱の申し出に、馬超は神妙に頷いた。
「すまんな、岱」
 少し恥ずかしそうな馬超に、馬岱は微笑を浮かべ拱手の礼を向けた。
 そんな従兄が好ましいと言えば、きっと照れて恥ずかしがり、暴言を吐いて暴れるに違いないから、馬岱は黙っていた。
 馬岱がそっと視線を向けると、馬超は気難しい顔をしながら筆を取り、何か思い悩んでいる風だった。

「いってまいります、馬超様、馬岱様!」
 船の上から元気いっぱいに手を振り、別れを告げる春花に、馬岱は答えて軽く手を掲げた。
 隣で不機嫌そうにしている馬超に、馬岱は苦笑を浮かべる。
「そんなに腹を立てられるのでしたら、手紙でなくとも、言付けなり頼めば良かったのではないのですか」
 執務そっちのけで手紙の作成に当たっていた馬超は、遂に手紙を書けずに今日を迎えてしまったのである。
 馬超は馬岱を横目で睨みつけ、小さく『出来るか、そんなこと』と呟いた。
 本当に、何時まで経っても無垢なままなのだ。
 馬岱が卓の下から見つけた書き損じの竹簡には、たった一言、今すぐ、とだけ書かれていた。
 今すぐ会いに行きたい。
 恐らくは、そう書こうとしたのだろう。
 文才があるとは言い難い馬超だが、それだけに胸に響く言葉だった。
 船上の春花を見る目に、何処か羨望を感じるのはその為だろうか。
 馬岱は感傷を振り切り、背筋をぴしりと伸ばした。
「さぁ従兄上、執務に戻りましょう!」
「……何だ、岱、突然」
「従兄上こそ何を仰っておられるのですか、ここのところの執務が滞って、山のようになっているのをご存じないとでも? さぁ、今日からしばらくは執務に掛かりきりになっていただきますよ!」
 馬超が盛大に言い返そうとするのを、馬岱は軽くあしらった。

 溜まった執務のあまりの多さに、馬超はそれこそ所構わず喚き散らした。
 諸葛亮がそんな馬超に兵を与えて成都から叩き出したのは、それからわずか数日後の話である。


  終

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