呉の城の中を、呂蒙と凌統が連れ立って歩いている。
「聞いてるんですか、呂蒙殿」
「聞いてはいる、だがいい加減に聞き飽きたぞ」
 大概にせんかと呂蒙は深い溜息を吐いた。
殿が戻られてもうずいぶん経つ。お前もそろそろ気持ちを切り替えたらどうだ」
「冗談じゃありませんよ!」
 呂蒙が諌めても、凌統はとんでもないと言わんばかりに取り合おうともしない。
 が孫策に連れられて蜀の船に乗り込んでからこのかた、凌統はずっと同じ文句を垂れ流し続けているのだ。
「こっちは、全力疾走までしてあの女を助けてやったんですよ。それを挨拶もなしで帰っちまうってのは、どうしたっていただけない話じゃありませんか。ねぇ、そうでしょうが」
「お前の気持ちもわからぬではないがな……一刻も早く蜀の船に追いつかねばならなかったのも事実であったし、まさか甘寧たちに蜀まで送らせるという訳にもいかんだろう」
「あったり前でしょう、あの馬鹿にそんなことさせたら、すぐに戦になっちまうに決まってるじゃありませんか」
 話がずれても、結局凌統が愚痴るのは変わらないのだ。
 ほとほと手を焼いて、呂蒙は頭痛を覚えて頭をかいた。
「凌統、ここに居たのか」
 涼やかな声が凌統を呼び、二人は声のした方に顔を向ける。
 周瑜が竹簡を手に、こちらに歩み寄ってきた。
「ちょうどお前のところに寄ろうと思っていたのだ。これを」
 と、手にした竹簡を凌統に差し出す。
 何かの指示書だろうかと首を傾げる凌統だったが、軍務にしてはあまりに気安い遣り取りだった。
「これは?」
……殿から、お前に宛てての信だ。悪いが、細工がないか確認させてもらったぞ」
 信―手紙と聞き、凌統はぽかっと口を開けた。
 今まさに愚痴を零していた対象からとは、何と言う間合いの良さなのか。
 私信を調べられたという不愉快感はあったが、取り急ぎその場で竹簡を広げた。
 細めの手で書かれた文字に目を走らせる。
「私に向けても同じような信が届いている。何であれば、こちらも見せるが」
 周瑜の申し出は、先に私信を盗み見たことへの詫びも含まれていただろう。
 だが、同盟とは言え、蜀はいつかは敵対せねばならぬ国だという周瑜の見識も判らぬではない。それに対する防衛であって、他に含むところはないと理解できたから、凌統は周瑜の申し出を辞した。
「……何と書いてあった」
 少し気にしたように呂蒙が尋ねてくるのに、凌統は気乗りしない笑みで応える。
 気になるなら覗き見でもすればいいようなものだが、それをしないのが呂蒙の気質を良く示していた。
「別に、何も。礼もまともに言わないで出てきたから、戻ったら改めて礼を言いに来るって、ただそんだけの話ですよ」
 呂蒙は内心、何がそれだけだとこっそり嘯いた。
 信を読み終わってからの凌統の顔は、ぱっと見ただけで晴れやかなものに変わっていたのだった。
 対して、連日の愚痴に付き合わされていた呂蒙は、どっと疲れが出てくるのを感じた。
「……それにしても都督殿、お顔の色が優れないように見受けられますが。何か、悩み事でも?」
 取ってつけたように周瑜に声を掛ける凌統に、周瑜は苦笑いを浮かべた。
「何、私に信が届いたのを、小喬が何処からか聞きつけてな……差し障りもないので見せてやったのだが、自分の名前がどこにもないと言って、室に篭ってしまった」
「ははぁ、都督殿もご苦労が耐えませんね」
 凌統が含み笑いを漏らすと、周瑜は横目で無礼な部下を睨めつける。
 おお怖、と凌統が肩を竦め、一歩退いて呂蒙の影に隠れる。
 ちゃっかりした奴だ、と呂蒙が苦笑いを浮かべる。
「あぁ、そう言えばまた山賊が暴れているという報が届いていたな。ちょうどいい、凌統、お前が行ってくれ」
 周瑜の突然の命に、凌統は、げっと一言呻き声を上げる。
 調子に乗るからだと呂蒙は同情しつつ、だが決して庇い立てはすまいとそっぽを向く。
 もう凌統の愚痴は聞き飽きていたのだ。少し離れていてくれた方が良い。
 だと言うのに。
「呂蒙、お前が補佐をしてやってくれ」
 周瑜はあっさりと命令を下し、正式な命令書は後で回すといって去っていってしまった。
「あーぁ、とんだ八つ当たりだ。ねぇ、呂蒙殿」
 自覚があるのかないのか、凌統は竹簡を手に弄びながら呂蒙に同意を求めた。
 何と答えていいものかわからず、呂蒙は深々と溜息を吐いた。


  終

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