周泰に屈むように頼むと、周泰はあっさり、の言うままに屈んだ。
 膝を着いてくれれば、さすがに長身の周泰と言えどの手も届くようになる。
 それにしても、如何に相手がだとは言え、脳天の急所を晒すことになるのだがいいのだろうか。
 考えてはみたものの、周泰とではがどんなに頑張ったとしても勝てる訳がない。
 納得してうんうん頷いていると、周泰が上目遣いにを見ていた。
「あ、すいません。すぐ済みますから」
 もらった端布でこさえてみた代物だが、こうして合わせてみると、周泰の頭巾の色と思った以上に良く馴染んだ。これなら、遠目に見ればそのものに見えるかもしれない。
「……頭巾に小さい穴開いちゃいますけど、いいです?」
 それだけが心配だったが、周泰は別に気にしないようだった。
 持ち合わせの安全ピンで、頭の皮膚を刺さないように注意深く留める。
 慎重に遣り過ぎて時間が掛かったが、それだけに位置もぴったりの改心の出来だ。
 周泰を立ち上がらせ、少し離れて具合を見る。
 やはりぴったりだった。
 頭巾を通して、本当に生えているように見える。
 周泰は、自分の頭の上に生えたもの……犬耳を模した飾りを見上げているようだった。
 見える筈もないのだが、が鏡を取ってくると言うと押し留める。
 そこまでする必要はないと言う。
「そ、ですか」
「……」
 こく、と頷くので、も足を止めた。
 周泰の顔(正確には頭の上の耳)を見上げると、不思議と顔が緩んでくる。
 こう言っては何だが、可愛らしい。
 尻尾も作れれば良かったのだが、さすがにそこまでするのは気が引けた。写真を残せないのが、残念でならない。
「じゃあ、取りましょ……って、ちょっとぉ!?」
 周泰は、の横を擦り抜けてすたすたと室を出て行こうとする。
 勿論、耳は付けたままだ。
「ちょ、待、周泰殿ぉ!?」
 思わず声が引っくり返るが、それどころではない。
 周泰を止めなければと駆け出す。
 が呆然としていたのはわずかな間だった筈だが、長身ゆえに足も長い周泰は、歩くのが異様に早い。ざっざっざっ、と歩兵が進軍するような足音を立てて、見る見る内に小さくなっていく。
「駄目ぇ、周泰殿!! そっちには執務室があるのにっ!!」
 某蟲を愛する少女のような台詞を吐いて、目を剥く。
 時間的に、練兵のない将や文官は執務室に詰めている筈だ。
 詰めてはいるが、互いの遣り取りはメールでと言う訳にはいかないから、自然うろついている者も多いのである。
「なっ……」
 最初に出会ったのは、目敏い周瑜だった。
 すぐに周泰の異様に気付き、絶句する。
「おお、周泰か……?」
 一緒に居た呂蒙は、何かおかしいと感じるものの、気付けないようだった。
 間違い探しの回答者で、番組を盛り上げてくれるのは間違いなく呂蒙殿です。
 そんなことを考えつつも、二人が足止めしてくれるのを期待して駆け込む。
 ところが周泰は、絶句した周瑜にも首を傾げる呂蒙にも用はないとばかりに黙礼をして、再び歩き出してしまう。
「ちょーっ!!」
 が呼び止めるも、実際に引き止められたのはの方だった。
「どういうことだ、あの周泰の頭、否、耳はっ!」
 物凄い剣幕で詰め寄る周瑜に、呂蒙が仰天して止めに入る。
「あああ、後、後でちゃんと説明しますから! 周泰殿が行っちゃいますからっ! ああ、行っちゃう、行っちゃううーっ!」
「誰だ、昼日中から卑猥なこと叫んでんなぁ」
 甘寧がひょっこり顔を出した。
 呼んでねぇよ!
 が胸の内で叫ぶも、無論声に出したものではない。ややこしくなるのが目に見えているからだ。
「猥談なら俺も混ぜろ」
「誰が昼日中からそんなもんするかぁっ!!」
 面子を見ろ、と喚いて残り二人を指差すと、甘寧は深く頷いた。
「こりゃあ、無理だな。よし、俺がしてやるぜ、猥談」
「いいって!」
「猥談じゃ足りねぇってか、仕方がねぇなぁ」
 仕方ないのはお前の頭だ。
「お頭のばーか、ばーか!!」
「誰が馬鹿だ、この尻軽女」
 泣き喚くように駆け去っていくを見送り、言われた分はきっちりとお返ししてやる。
 それが済むと、甘寧はけろっとして周瑜と呂蒙を振り返った。
「何か、あったんですかい」
 まず、それが最初だろう。
 周瑜は頭痛を覚えて頭を押さえた。
 呂蒙が申し訳なさそうに頭を下げ、肝心の甘寧は薄く笑ったまま、状況を掴めず首を傾げた。

 執務室が並ぶ中、はうろうろと周泰を探してうろついた。
 が、一向にその姿が見えない。
 あんな姿でうろついては、いい物笑いの種だ。の好奇心の対価とするには、あまりにもあんまりだろう。
「どした、
 呑気な声に弾かれるように振り返れば、やはり呑気な表情の孫策が立っていた。
「は、伯符! 周泰殿見かけなかった!?」
「いや、見ねぇけど……何かあったか?」
 周泰の頭に犬耳を着けたのだと説明すると、孫策はきらりと目を輝かせた。
「そりゃあ、見てみてぇな!!」
「いや、だからよ」
 話を聞いていなかったのかとは頭が痛い。
 見せたくないのだ。晒し者にしたくないと言っている。
 しかし孫策は、最早の声などまったく耳に入らないようで、既にそわそわと足を蠢かしている。
 が、孫策を叱り付けたものか、放置して周泰を探しに行こうか迷っている隙に、孫策はの体を軽々と持ち上げた。
「たぶん、権の室だろ」
「ちょ」
 確証があるのかと問い詰めようとしたの唇を、孫策は素早く奪ってみせた。
 ご。
 怒鳴りつけようとした瞬間、孫策は物凄い勢いで走り始めた。
 今の口付けは何だったのか、問い掛けることも出来ない。
 どうせ勢いだったのだろう。そう思って、問うのを諦めた。
 マグロの如きで、止まったら死んでしまいそうに思えたのだ。

 孫権の室を訪れたが、周泰は既に立ち去った後だった。
 何でも、わざわざ『耳』を見せに来たという話で、は思わず引っくり返りそうになる。
 自ら恥さらしせずともと思うのだが、周泰の思惑などが知る由もない。
 礼を言って退室しようとするのを、孫権が留めた。
「……その、何とかという祭りの扮装なのだと聞いたが」
「ああ、ハロウィンの。耳を着けなくちゃいけないって訳じゃなくて、普段と違う格好だったら、何でもいいんですよ」
 ミシンもないし、大掛かりなものはには無理だ。
 耳くらいなら何とかなると思ったのと、もらった端布がたまたま黒だったから、周泰の物を作ったに過ぎない。前々から、あの頭巾ならイケルとは思っていたのも事実だったが。
「私にも、何か作ってもらえまいか」
 は。
 の顔が素になるのを見て、孫権は頬を染めた。
「あ、俺も俺も。、俺も」
「うるさい、連呼すんな。何、耳、気に入ったの」
 見てもいない癖にと呆れるに、孫策の方が大いに呆れてくれる。
「馬っ鹿だな、お前。好きな女が身に着けるもの作ってくれたら、嬉しいに決まってんだろ」
 な、権、と孫権に振る。
 孫権は、顔を赤らめながらもこくりと頷いた。
 へ。
 そんな、ものか。
「だって、耳だよ。犬耳だよ!?」
「関係ねぇよ」
 孫策はまた孫権に振り、孫権もまた一々馬鹿正直に答えてこくりと頷く。
 そんなものなんだ。
 頭をこりこりと掻いて、一応了承した。
「……分かった、時間掛かるかもしれないけど、何か考えてみる」
 とにかく今は周泰だ。
 あんなけったいな格好を、いつまでもさせておく訳にはいかない。
 孫権にもに頼んで、孫策と手分けして探してもらうことにした。

 庭の茂みを踏み分けて進む。
 常緑樹が多いせいか、もう冬も間近だというのに緑が濃い。
 その茂みの向こうに、周泰は座して居た。
 池の縁、恐らくはが好む空木の木の下だった。
「周泰殿」
 怒りよりも呆れが先立つ。
 周泰は、案の定犬耳を付けっ放しで居た。
 胡坐を掻いて座り込んでいたので、耳が良く見えて何だかなだ。
「……外しましょうよ」
 脇にしゃがんで手を伸ばすと、周泰は嫌がるように頭を反らしてしまう。
 こんなものが嬉しいものか。
 その心根は、の理解外だ。
 恥を重んじ、恥を掻かされたことを決して忘れず一生の恨みとするような中原の民が、こんな犬耳を好んで着ける理由が分からない。
 例えの手作りの品だということを鑑みても、そこはきっぱり、犬耳はないだろうと思ってほしい。
 しかし周泰は、体術を駆使してでもいるのか、の手をひょいひょいとかわす。
 あああ、もう。
 いっそ苛ついて、は手を下ろした。
「お手」
 手を差し伸べると、周泰は数瞬考え込みつつもおとなしくの手に手を載せた。
 その重みに沈み込むようにへたり込むを、周泰はいぶかしげに見下ろす。
 は、もう何が恥で何が恥でないのか分からなくなっていた。
 初夜にお姑さんが監督してくれるお国柄だ。お手すら恥でないのかもしれない、かもしれないが、だが。
「もう、周泰殿っ!」
 がばっと身を起こす。周泰の手は引っ掴んだまま、犬耳に手を伸ばした。
 けれど、やはりひょいとかわされてしまう。
 リーチの差は、腕を掴むというハンデを以ってしても埋め難いものがあった。
 が犬耳を取り去ることは叶わないと見て良い。
 後は、孫策なりの救援を待つか、周泰自身に外させるしかなかろう。
「……周泰殿」
 何だ、と目で問い返される。
 溜息が出た。
「それ取ってくれたら、ちゅう、して上げますから」
 周泰の目に、の情けない顔が映っていた。

「あーっ、何だよ!」
 が周泰を連れて帰ってくると、屋敷中を探していたという孫策は不満の声を露にした。
 周泰の頭に、既に耳はなかった。
 見たかった、とぶつぶつ不平を垂らす孫策に、はげんなりと疲れた顔を向けた。
「……お、そだ、周泰! その耳、俺に貸せよ」
 着けてみたいと無邪気に手を差し出す孫策に、は最早止める気力もない。
 周泰と違い、孫策ならばいっそ恥も恥にならない気がした。黒耳だが、色合い的に似合わないこともないと思う。
 せいぜい野っ原走り回ってくるがいいさと邪悪な笑みを浮かべた。
「なぁ、ちゃんと返すからよ」
「……」
 周泰は、手にした犬耳をさっと背中に隠してしまった。
 何してんですか、あんたら。
 子供がおもちゃの取り合いをしているような様に、呆れてもう物が言えない。
「大姐、何か、可愛い小物とかお洋服とか、作ってくれるってホントー?」
「大姐、私にも作っていただけますか?」
 呆然と立ち尽くすの後ろから、二喬がぴょーいと飛びついてきた。
「無論、俺にも作ってくれるのだろうな」
 孫堅が爽やかに胡散臭い笑みを浮かべて現れる。その背後には黄蓋も居るし、いったい何処から聞きつけてきたのだろうか。
 視線を無意識に向けると、孫策がにっかりと笑った。
「屋敷中、聞いて回ったからな!」
 あんたなんかに頼んだ私が馬鹿だったよ。
 やさぐれつつも、当分の間は針仕事から逃れられそうにないと諦めた。

 しばらくして、着けたければ一日だけにしろという製作者の厳命の下、呉の諸将が犬耳猫耳虎耳を着けて執務に臨むという事態になったとかならなかったとか。
 事の原因となった黒衣の長躯は、中でも取り分け機嫌が良さそうに見えて、を酷くアンニュイな気持ちに追い遣った。

  終

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